この憲法が定められた時代を和辻哲郎は以下のように説明する。
「中央集権がほぼ完成し、西方の文化の摂取がきわめて活発となった推古時代において、我々はこの新しき意味における政治の理想が『憲法』として設定されたのを見る。
天皇が政治に神聖な権威を与えるものであることはここでも明らかに認められるが、かく権威づけられた政治が目的にするところは国家の富強というごときことではなくしてまさに道徳的理想の実現である。民衆の物質的福祉ももちろんここには顧慮せられるが、何よりもまず重大なのは徳の支配の樹立である。
儒教の理想と仏教の理想とがここでは政治の目的になる」(日本精神史研究)
この「国家」の成立は「徳の支配」であり、高い倫理観をもとに国家を動かそうという高い理想が示されていた。ここが私たち日本の原点だとすると、教皇の説く倫理はさほど遠いものではない。
徳を最高位とし、その内容の憲法を読み解いた時、時の為政者は、それを都合よく解釈できるし、滅私奉公が高い徳だとの考えに結びつくから、人間が作り出した「徳」が明確ではない限り、その思想は不安定という面もある。だから、破滅に向かった太平洋戦争は無謀のもとに遂行されたともいえる。
絶対神がいるキリスト教やイスラム教はそれぞれの教義に違いがあるにせよ、絶対神の存在に俗人を寄せ付けない構造になっているから、宗教は信じる人にとっては偉大で絶対的な父となり母となるだろう。
私たちの精神史において、その父や母を見失ったのが戦後かもしれない。教皇の言葉から、私たちは目指すべき倫理観が示されたことに気づきたい。ここからわたしたちが、人類と共に幸せに生ける知恵を出すことに、生きがいを感じられる社会であればよいのだと思う。
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