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僧侶の「怪談説法」に客が殺到。人々はなぜ「恐怖」を求めるのか

「怪談和尚」と異名をとる僧侶が京都にいます。その名は、三木大雲さん(47)。三木和尚が語る法話は、とにかく強烈。なんと、身の毛もよだつ怪談からスタートするのです

▲「怪談和尚」と異名をとる京都「蓮久寺」住職、三木大雲さん

聴く者を震えあがらせる三木和尚の「怪談説法」は今、引く手あまた。全国津々浦々をめぐって口演を行い、告知をすれば即完売。怪談説法を書き下ろした新刊『続・怪談和尚の京都怪奇譚』(文春文庫)は発売早々に四刷の大ヒット「法話の予約がもっとも取れないお坊さん」として注目を集めているのです。

▲三木和尚の「怪談説法」はつねに満員。「予約がもっとも取れない法話」とも呼ばれている

怪談説法が催される会場は、つねに超満員。法話とは縁遠そうな若者たちの姿が多いのも特筆すべき点。そして三木和尚は、背筋も凍る恐怖のエピソードを切り口としながら、仏の教えを説いてゆきます。悲鳴があがることもあれば、すすり泣く声が聴こえる場合もある。聴衆は、多様な反応を見せるのです。

▲三木和尚の「怪談説法」を聴き入る若い観客たち

寺社で落語家が怪談噺を語ることはあっても、僧侶が自ら怪談をこれほど多彩に披露する例は極めてまれでしょう。失礼ながら門外漢には、「もしや、罰当たりなのでは?」と感じ、心配になります。

いったいなぜ、法話に怪談を採り入れるようになったのか。

なぜいま、人々はこれほどまでに恐怖を求めるのか。

ご本人にお話をうかがいたく、京都の下京区に建つ光照山「蓮久寺」を訪れました。

▲遊郭の太夫から門を寄進されたという蓮久寺

島原の遊女である吉野太夫が寄進したとされる門は艶めかしいまでに紅く、そのため外観には妖美な味わいがあります。まさに「怪談」にふさわしい風情。門をくぐると、そこに読経をする三木和尚がいました。

「本当の話は、むごすぎてできない」

――日ごろ語っておられる怪談説法を書籍化した話題の新刊『続・怪談和尚の京都怪奇譚』 (文春文庫)がベストセラーとなっていますね。怪談はどのようにして集めておられるのですか。

三木大雲(以下、三木)「世の中には不条理な出来事で悩んでおられる方が、たくさんいらっしゃいます。そういう方々からおうかがいしたエピソードを、ご本人様からの許可をいただき、本にしたり、お話をさせていただいたりしております。個人情報がわからないように、ところどころを改編し、人を傷つける部分をなくして、そこから得られる教えや学びについて語るというかたちです」

――なるほど。確かに三木和尚の怪談説法を聴いていますと、逸話の提供者への心配りを感じます。

三木「そうなんです。怪談ではありますが、決して恐がらせることが目的ではありません。むごすぎる部分は割愛しております。ですから、実際のお話よりは幾分マイルドになっていると思います。本当の話は、そのまま語るには、あまりにも悲惨な場合が少なくはありませんので……」

▲「怪談説法は決して恐がらせるだけが目的の法話ではない」と語る


「怪談説法」のきっかけは、暴走族だった

――そもそも、どうして法話のなかに怪談を採り入れようと思われたのですか。

三木「きっかけは、10年ほど前のことです。夏のある日、夜中に街を歩いていると、児童公園に暴走族が集まっているのを見つけたんです」

――暴走族の集会、ですか?

三木「目を合わせず通り過ぎようとしたのです。しかしながら、彼らが着ている特攻服の背中に、“天上天下唯我独尊”と刺繍がしてあるのを見てしまったんですよね。天上天下唯我独尊とは、お釈迦様が初めて発したお言葉です。私は思わず彼らに、『私はお坊さんです。君たち、背中に縫ってあるその言葉の本当の意味をわかっているのですか?』と声をかけてしまったんです

――それはまた、勇気があるというか、無謀というか。暴走族は、どのような反応を示しましたか。

三木「もちろん、彼らからのすさまじい罵声を浴びました。『うるさい!』『坊主には関係ないやろ!』『あっち行け!』ってね。ずいぶんバカにされました。このままだと殴られるかもしれない。それほど緊迫した状況に陥りました。お説教なんて、まともにできる雰囲気ではないんです。でもそのとき私は、なぜか『引き下がれない』と感じましてね。なんとかして、彼らと話がしたかった」

――そうはおっしゃっても、血気盛んな若者たちが聴く耳を持たないでしょう。

三木「そうなんです。それでふと、『お坊さんが話す怪談を聴いてみないか?』と語りかけました。すると、みんな『聴きたい』と言うんです。関心を示してくれたんですね」

――夏の深夜にお坊さんが直々に怪談を語るとなると、それはコワいですね。少年たちは興味津々でしょう。どのような話をされたのですか。

三木「私の実体験である『死臭(におい)』という話をしました。私は幼い頃から、もうすぐお亡くなりになる方が放つ独特なにおいを嗅ぎ取る性質があり、それにまつわるエピソードを話したんです」

――嗅覚が優れている方は、人が亡くなる数日前だったり重い病気にかかったりする際に放つ特別なにおいがわかるそうですね。香料を調合しているプロから聴いたことがあります。三木和尚も、そういう能力がおありなのですね。

三木「そうなんです。ある日、本屋さんで立ち読みしていた中年男性から強いにおいがしたんです。私はこの男性の命が危険な状態にあると察知し、『差し出がましいようですが、お身体の具合がすぐれないように感じました。病院へ行かれてはいかがですか』と勧めました。するとその男性が、『ありがとうございます。大丈夫です。私はもう死んでいますから』と言って、眼の前から消えてしまった。そういう体験をしたもので、その時の様子を語ったんです」

――真夜中にその話を聴いたら、確かにゾッとしますね!

三木「みんな、たいそう怖がりました。けれども、そのなかのひとりの少年が、こんな解釈をしたんです。『その男性は、あんたが声をかけたから、安心して消えたんじゃないか』と。誰かに見つけてほしかったんじゃなかったのかって。そう捉えた少年の心のなかにある寂しさが、私にひしひしと伝わってきましてね……。この子たちはこの子たちなりに日々、満たされぬ承認欲求と闘っているんだなと。その時『そうか。怪談というものは、お説法として心に響く部分もあるんだ』と気がついたんです」

▲暴走族の少年たちに怪談を語り、「説法として伝わることがある」と感じたのだそう

――それが法話に怪談を採り入れ始めたきっかけだったのですか。では、その時に怪談を話したのは、少年たちを更生させるのが目的だったのですか。

三木「いやあ、更生させようだなんて、そんな高尚な意識はなかったです。ただただ、眼の前にいる若い人に自分の話を聴いてほしかった。振り向いてもらうための、とっさの判断でした。ですので話をしたのは、お説法でもなんでもない、ただの私の実体験だったんです。怪談を聞かせるという体験自体も初めてだったんですよ」

――三木和尚にとって大きな転機となった夜だったのですね。暴走族の少年たちとの関係は、それっきりですか。

三木「当時に出会った暴走族の少年たちは、その後もつきあいがあります。私がひどく貧乏をしていた時期に食べ物を届けてくれたり、愛知県で修行をしていた時に、わざわざ京都からバイクに乗って会いに来てくれたり。現在も、この寺の境内の掃き掃除をやってくれているんです」

――怪談を発端として、そんな強い絆が結ばれる場合があるのですね。

自分の怪談が通用するのかを知りたくて「怪談グランプリ」に応募

――その後、「怪談説法」は、すぐに始められたのですか。

三木「暴走族の少年たちと出会った夜を機会に、公園で怪談を語るようになりました。聴く人も次第に増えてゆき、『公園で怪談を語るお坊さんがいる』と全国ネットのニュース番組でも採りあげられました。布教が目的ではありましたが、それよりも自分の話を聴いてくれる人がこんなにたくさんいるという環境が嬉しかったですね。そうして次第に、怪談説法というかたちになってゆきました」

▲「公園で怪談を語るお坊さんがいる」とテレビのニュース番組に採りあげられ、一躍その名を知らしめた

――ニュース番組で採りあげられたのですね。三木和尚の存在を「テレビで知った」という視聴者は多いですよね。特に恐さを競い合う『怪談グランプリ』(関西テレビ)は決定的だったのでは。

三木「不思議なご縁でしてね。暴走族の少年たちに怪談を語ったそのあとに、『怪談グランプリ』が挑戦者を募集していると知りまして。自分が語る怪談がどこまで通用するのかを試してみたくて、応募したんです」

――本職のお坊さんがテレビで怪談を語るとあって、そのインパクトは絶大でしたね。

三木「初めて挑んだ『怪談グランプリ』で2位になりました。そして、その放送を観た文藝春秋のスカウトの方から、『怪談と説法をあわせた本を書かないか』と依頼されたんです。そして、『怪談和尚の京都怪奇譚』 (文藝春秋 /2011年)を出版し、怪談説法というスタイルが巷に認知されはじめました」

▲自分の怪談がどこまで通用するのか試したくて「怪談グランプリ」に応募。本物の僧侶の登場に視聴者は驚いた

「僧侶が恐怖心をあおってどうする」と仏教界から批判が相次ぐ

――怪談説法は現在でこそ『予約がとりにくい法話』と呼ばれるほどの人気を博していますが、往時は賛成意見ばかりではなかったのではないですか。

三木「はい。それはもう、批判ばかりでした。『怪談グランプリ』のオンエア翌日以降は1日中、抗議の電話が鳴りっぱなし。最低でも10本はかかってきていました。そのうち9割が仏教関係者で、『人々を恐怖心から解放するべきなのが僧職なのに、率先して煽ってどうする』『仏教が怪しい新興宗教のように思われる』といった内容が多かったです。あまりにも抗議が多いため、私も『怪談を語るのは、やめたほうがいいのだろうか』と悩むようになりました」

――やはり激しい反発があったのですね。

三木「苦悩しましてね。公園に集まってくれた若者たちに、続けるべきかどうかを相談しました。すると彼らが、『怪談によって仏縁をもらったのだから、やめないでほしい』と励ましてくれたんです。私の方が背中を押されましたね。初めて夜の公園で怪談を語ったあの時、じっと聞き耳を立ててくれた少年たちの瞳の輝きを忘れてはいけないなと、原点に立ち返った気がしました」

――新刊によると、稲川淳二さんの存在も大きかったようですね。

三木「これからも『続けよう』と決心したのは、稲川淳二さんの助言があったからです。僧侶が怪談を語っているという噂は、どうしても歪んで伝わります。さんざん陰口も叩かれますしね……。何度も『もうやめるべきか』と悩みました。それで稲川さんに、『もう怪談はやめるかもしれない』と打ち明けました。すると、『自分も認知されるまでに10年かかった。10年は続けた方がいい』とおっしゃったんです。おっしゃった通りになりました」

▲批判的な意見が占めるなか、稲川淳二をはじめ多くの人に背中を押され、「怪談説法」を続けることができたという


恨みを残した人たちの背景もしっかり語らなければ

――やはり、理解を得るためには何事も10年はかかるのですね。その甲斐あってこの頃は、ご自身が住職をされている蓮久寺のみならず、日本中の寺社で怪談説法を語っておられますよね。しかも、どこの会場も超満員で。このような動きになったのは、いつからですか。

三木「本当に、ここ最近ですよ。一昨年くらい前から、急に解禁ムードになってきたんです。僧職に就く方々が実際に私の怪談説法を聴きに来られ、『もっと、こけおどしなのかと思っていた。ずっと批判的だったが、誤解だった』とおっしゃられて。どうも、『あなたには悪霊が取り憑いている!』と聴衆を脅して高額な金銭を要求するような内容だと思われていたようなんです(苦笑)。私がやっているのは、あくまで怪談を通して、『人が生きるということ、人が死ぬということ』を説く、言わばトークライブですから」

▲最近は他の寺院からも説法を依頼されるようになった

――観客に若い人が多いのも特徴ですね。

三木「若者に向かって、『仏様が許すことの大切さを説いておられます』とだけ語ったところで、伝わらないですよ。リアルではないから。だから私は、恨みを残していった人の背景もしっかりと語るんです。そうでないと、真に迫らない。そういうところが、若者に受け入れられる理由だと思います」

人は怪談の中に「リセットボタン」を求めている

――三木和尚の怪談説法の盛況ぶりを見ていると、怪談は夏の風物詩という印象は過去のものだと感じます。なぜ人は、恐怖を求めるのでしょう。

三木「私は、聴きに来られる方は、リセットボタンを探しているんだと思うんです」

――リセットボタン、ですか?

三木「人間って、『永久に生き続けていたい』とは実は思っていなくて、どこかに死というリセットボタンがあるから心が休まる部分があるのではないでしょうか。今、世の中が漠然とした不安感がたかまっており、とても生きづらい。反面、死を身近に感じることができない。もちろん物騒な事件や自然災害があり、つねに人は死と隣り合わせにいるのですが、それを現実として感じられない。怪談というかたちで死と対峙することで、不安をリセットしたい。心を休めたい。そんな気持ちがあるのではないでしょうか」

――三木和尚の怪談説法は恐怖だけではなくどこか癒されるのは、自分なりのリセットボタンに触れているからなのでしょうね。今後もお続けになりますか。

三木「私は怪談とは“光と影を描くこと”だと思っています。影をしっかり語らないと、光の話はできないと感じているんです。これからも怪談を通じて、生きるとはなにか、感謝とは何かを伝えてゆきたいですね」

三木大雲さんが不良少年たちを振り向かせるために語り始めた怪談。いつしかそれは法話と溶けあい、「怪談説法」という新たな諭しの道を拓きました。

恐怖、怪奇、戦慄。人々との暮らしには、さまざまなおそれや不安が横たわります。それらから目をそむけ、前向きに、ポジティブにのみ生きることをよしとする現代。しかし、光のみを追って影を見ずに過ごすうちに、誰しも次第に心のバランスが崩れてきているのではないでしょうか。

人々が怪談を求める背景には、暗闇にいる自分を見つめなおすことで心の安定を取り戻したいという心理が働いているのでは。そう感じてなりません。(文・取材:吉村智樹)


続・怪談和尚の京都怪奇譚(文藝春秋/文春文庫)三木大雲 著 定価:本体650円+税

 

三木大雲
怪談をベースに法華経を絡めた説法を行っている。1972年、京都市で教法院住職などをつとめた三木随法の次男として生まれる。2005年、蓮久寺の第38代住職となる。関西テレビ『怪談グランプリ2010』『怪談グランプリ2013』にて準優勝、『怪談グランプリ2014』では優勝を果たした。2018年、“最恐”怪談師決定戦「怪談王」優勝。同年、恐い話No.1決定戦「OKOWA」チャンピオンシップ優勝。

吉村智樹(放送作家・ライター )

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫』(KB京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。まぐまぐにて「まぬけもの中毒」というメールマガジンをほぼ日刊で発行している(購読無料)。

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