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有名なのに誰も知らない。ミステリーの女王・山村美紗の凄絶人生

「本が飛ぶように売れた」。かつて日本には、そんな時代がありました。そして書籍がもっとも売れたと記録される1996年に亡くなったベストセラー作家がいます。それが「ミステリーの女王」こと山村美紗(やまむらみさ)。東京の一流ホテルで執筆中に死亡。戦死・殉職とも呼べる凄絶な最期を遂げたのです。

山村美紗の名を誰しも一度は耳や目にした経験があるでしょう。200冊以上の著書は、ほとんどがベストセラー化「山村美紗サスペンス」と冠がついたドラマは死後24年が過ぎた今なお揺るぎない人気を誇ります。凶悪事件が起きる舞台の大半は京都「京都には山村美紗が人を殺さなかった場所はない」とまで言われています。

▲夫の山村巍氏が描いた山村美紗の肖像油画。タイトルは「殺人事件」

しかし、膨大な量の小説を書き遺した山村美紗ですが、正体を知る者は少ない。ゆえに「他の作家が京都を舞台にミステリーを書くことを許さなかった」「担当編集者に猿の物まねをさせた」など傲慢な振る舞いがまことしやかに語り継がれています。また、男性関係も「文壇タブー」として触れられはしませんでした。

誰もが知っているのに、誰もが知らない。そんなアンタッチャブルな作家の禁忌にあえて踏み込んだのが、新刊『京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男』(西日本出版)を上梓した作家の花房観音さん(49)。出版界の頂点に君臨し、虚と実のはざまに生きた女王の素顔とは? 花房さんにお話をうかがいました。

▲作家の花房観音さん

▲花房さんが上梓した『京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男』(西日本出版)

「お客様、あちらは山村美紗が人を殺した場所でございます」

「名探偵キャサリン」「葬儀屋探偵 明子」など人気シリーズは数知れず。「ミステリーの女王」「日本のアガサ・クリスティー」と呼ばれた山村美紗。SM小説の大家「団鬼六」最後の弟子と謳われ、女と男の情念を書き続ける花房観音さんとはジャンルが違いすぎます。それでも花房さんは「美紗さんとは不思議な縁を感じていた」と言います。

花房観音(以下、花房)「デビューのきっかけとなった『団鬼六賞』大賞を受賞した際、編集者から『京都に住んで京都について書く女流作家だなんて、山村美紗以来だね』と言われたんです。さらにその後『京都ぎらい』というベストセラーをお出しになった井上章一さんが私を“官能界の山村美紗”と評し、その呼称がよく使われるようになりました。自分では意識をしていないのに美紗さんのお名前がずっとついてまわる。不思議なご縁を感じ、『彼女について調べてみたい』と考えるようになりました」

花房さんのもうひとつの仕事はバスガイド。ガイドを通じても「山村美紗の恩恵にあずかった」と感じていたのだそう。

花房「車窓の風景を手で指し示しながら『お客様、あちらは山村美紗が人を殺した場所でございます』とガイドするとドッとウケる。それくらい美紗さんが描いた京都のイメージが一般に定着しているんです。京都を舞台にした小説は以前からたくさんありました。川端康成、夏目漱石、谷崎潤一郎など文豪たちが京都を描いてきました。けれども『神秘的でミステリアスな観光地』という印象を根付かせたのは美紗さんです」

▲生前200冊以上のミステリー小説を書き、その多くの舞台が京都だった

出版界や書店に貢献した流行作家が忘れられてゆく現実

京都を描き続けた先人、山村美紗。出版界に多大な功績を遺した偉人、山村美紗。そんな彼女について知りたいと思い立ったとき、花房さんは寂しい現実に直面します。それは「過去に山村美紗を研究した書籍が一冊も出ていない」こと。確かにWikipediaをひもといても、実績に反比例して人物評に関する記述が本当に少ない。そして2016年に「自分が美紗さんの評伝を残さなければ!」と強く誓う出来事があったのです。

花房「私はその日、新刊のPRのために京都の書店まわりをしていました。美紗さんがちょうど没後20年となる年です。なのにどこの書店もフェアを開催していない。あんなに人気があったのに。京都に、そして京都の書店にもっとも貢献した人のひとりなのに。『作家って、こうして忘れられてゆくのか……』と、しみじみしてしまって」

流行作家の諸行無常を感じ、ハートに火がついた花房さんは、200冊を超える山村美紗の著書をすべて読破。ほか京都から国会図書館へ足繁く通い、知りえた限りの書籍化されていない文章やインタビュー記事、ゆかりある人々のインタビュー記事までも目を通しました。散逸する山村美紗の「私」部分の情報収集は困難を極めたのだそう。

花房「往時のお手伝いさんなど取材に応じてくださる全員にお話をうかがいました。とにかく“謎が多い”人なんです。今でこそ作家がSNSやblogなどで自分のプライベートを明かすのが当たり前です。けれどもインターネットが普及する以前はそうではありませんでした。ましてや美紗さんはとりわけエッセイの仕事が少ない人。自分や自分の家族について多くを書き残していないのです。存在自体がミステリーですよね」

▲「美紗さんは存在自体がミステリー」と語る花房さん。インタビューは山村美紗が好んだサロン喫茶「ぎおん石」で行われた

「見栄っ張りで傲慢な女王だった」という伝説

散り散りになった資料や証言をこつこつと集めるうち、山村美紗の虚と実に彩られた人生が見えてきました。ひとつは「見栄っ張りで傲慢な女王」という側面。

「存在を誇示するように邸宅に100名以上を招く盛大なパーティをたびたび開き、そのつど派手なピンク色のドレスを新調した」

 

「新聞に掲載された文芸誌の広告にある『山村美紗』の文字サイズをわざわざ定規ではかり、他の作家の級数の方が大きければ激怒。担当者に京都まで胡蝶蘭やメロンを持って謝りに来させた」

 

「他の作家が京都を舞台にミステリー小説を書くと、掲載誌の編集長を怒鳴りつけた」

そういった関係者証言が花房さんの元へ集まってきました。まるで「女帝 小池百合子」を彷彿とさせる人物像です。

▲派手好きで、大輪のひまわりをこよなく愛した

しかしながら反面、それらわがままで高飛車な態度もまた山村美紗流の、話題になるための自己演出だった、そんな証言も花房さんは得ています。

花房「美紗さんの人生を顧みるため、先ず年表づくりをはじめました。すると、どうしても公式プロフィールの年齢では辻褄が合わないんです。そうして取材を進めるうちに、公表年齢と実年齢が違うのだと判明しました。媒体によって発表された享年すら異なる。それをきっかけに美紗さんが意識的にフィクションとノンフィクションを使い分けているのがわかってきたんです」

花房さんはなんと山村美紗が日本統治下の韓国・京城で小学生のときに書いた作文「お風呂たき」までも入手しています。しかも調査を進めるうちにその作文の内容が「フィクションである」とわかり、仰天したのだそう。

ひた隠しにした「病弱」と「夫の存在」

小学生の頃から仮面をつけ、露悪的なまでに自ら山村美紗像をつくりあげたミステリーの女王。ひるがえって「実」の部分には、忘れ去られてしまう恐怖心からか、おそるべき量の文章を書きまくる、病気がちで気弱な女性がいました。

花房「異様な執着心としか言いようがない、すごい仕事量です。一ヵ月に15冊もの新刊を出していたんです。ベッドを椅子にして倒れるように眠り、眼が醒めたら即座に書き始める。そうやって1日20時間も仕事をしていたそうです。執筆中の『女王ではない姿』を身内にすら見られたくなくて部屋には暗証番号付きの鍵をかけ、暗証番号を何度も変えていました。調べるまで、病弱で、たびたび発作を起こしていたなんて知りませんでした。まして発作が起きるたびに数学教師だった夫の山村巍(たかし)さんが注射を打っていただなんて。晩年は命と引き換えながら原稿を書いておられたようです」

「夫の巍さん」……実は山村美紗がひた隠しにしていたのが、夫・山村巍氏(91)の存在でした。山村美紗の葬儀で喪主として人前に登場した巍氏の姿に「あれ、誰?」と往時の出版界は騒然。長年に亘り山村美紗を担当した編集者ですら、夫の存在を知らなかったのです。

山村美紗といえば、セットで語られるのが同じくベストセラー作家の西村京太郎。隣接した豪邸に住み、「家のなかで行き来ができる」。そんな都市伝説もありました。山村・西村の両家が並ぶ場所は住所を告げなくともタクシーで到着できるほど京都の名所と化していました。離れた場所にあるマンションに住む実の夫の存在は隠し、特別な関係を疑われる相手は誇示する。ここもまた山村美紗の謎めいた部分です。そうして調査を進める花房さんが夫の巍氏に初めてコンタクトをとったのは、奇遇にも山村美紗の墓の前でした。

▲大きく「美」と彫られた山村美紗の墓。花房さんはこの墓の前で夫の巍氏と出会った

花房「巍さんはおびただしい量の美紗さんの肖像画を描き残しています。美紗さんが亡くなるまで、巍さんには油画を描く趣味はありませんでした。しかし毎晩、美紗さんが夢枕に現れ『私の絵を描いて』と告げるようになったのだそう。それで巍さんは絵を習うところから始め、のちに膨大な数の美紗さんを描き残していったんです。西村京太郎さんが美紗さんをモデルにして書いたとされる『女流作家』には、夫とは不仲であると記されています。私は『不仲だった妻の肖像画を、なぜ夫はずっと描き続けているの? 本当に不仲だったの?』『京太郎さんは、なぜ不仲だなんて書いたの』と疑問を抱きました。美紗さんのようにたとえるのならば『京都最大のミステリーだ』と思いましたね」

▲山村美紗の死後、夫の巍氏は妻の肖像画を描き始めた。毎晩、美紗が夢枕に現れ『私の絵を描いて』と告げるようになったのだそう

幻の存在だった夫との邂逅は、花房さんにとって調査で得た情報の信ぴょう性をさらに高める、願ってもない機会でした。しかし……。

花房「同時に『私はたいへんなタブーに触れようとしている』という恐怖心も湧いてきました」

仕事を干される覚悟で文壇タブーに足を踏み入れた

登場人物の誰もが人間味があって、読むうちに全員を好きになる。「京都に女王と呼ばれた~」は、そんな本なのです。けれども山村美紗とふたりの男の関係に迫るシーンは確かに「踏み込んでるな~」とヒヤヒヤする、手に汗握る場面でした。

花房「美紗さんの人生にスポットをあてようとしたら、西村京太郎さんと夫の巍さんとの、一般的には理解しがたい三角関係を浮き彫りにせざるを得ません。私はこの関係性のなかにいた美紗さんをとても魅力的だと感じるのです。けれどもそこは『文壇タブー』と呼ばれる部分。書くと仕事がなくなる、干されるおそれはありました。出版した今でも、それはあります。『なぜ仕事を失うかもしれないものを私は書くのだろう。書くべきじゃないんじゃないか』と悩んで眠れなくなった夜もいくつもありました。ノイローゼに近かったですね」

それでも花房さんは覚悟を決め、途中で筆を折らなかった。それは、ある「ひとりの作家の死」があったからでした。

花房「2018年11月、お世話になっていた勝谷誠彦さんがお亡くなりになったのです。コラムニストのイメージが強いですが、本人はずっと『小説家として成功したい』『芥川賞を獲りたい』と思い悩んでいました。小説を書く環境のために1億円もの巨費を投じ、軽井沢に家を建てたほど。お亡くなりになったあと、小説のプロットが大量に見つかったのだそう。書きたいものを書けずに亡くなったのは、きっと無念だったでしょう。そう思うと胸が苦しくなり、『人はいつか死んでしまう。だからこそ執筆中に亡くなった作家の人生を今の人へ伝えるべきだ』と考えました」

▲「なぜ仕事を失うかもしれないものを私は書くのだろう。書くべきじゃないんじゃないか」と悩む夜が続いた

ベストセラー作家にもあった「無冠」というコンプレックス

1日に20時間も仕事をし、執筆中に亡くなってしまう鬼気迫る日々を送っていながら、衆目の前では女王のようにふるまう。虚勢を張っていても、ひとりになると自信を失う。そんな二面性に触れるうち、花房さんは山村美紗の根源にある強いコンプレックスを嗅ぎ取ります。

花房「美紗さんはベストセラー作家でしたが無冠でした。病気に苦しみ、命を削るほどの執筆をし、自分の実績を編集者たちに誇示し続けたのは受賞作家ではないコンプレックスからだったのでは。同じ人気作家を楯にするように並び住んだり、長者番付に載ること、順位を上げることに賭けて節税をしなかったりしたのも、そのためではないかと思うんです」

ひと昔前は『ミステリーは直木賞を取りにくい』と言われていました。そして受賞作家とそうではない作家とでは、たとえどんなに本が売れようとも評価や待遇に差がありました。さらに夫の存在を公表すれば「結局、稼ぎは夫に依存できるじゃないか」と差別的な視線を向けられる場合もあったでしょう。取材を進めながら花房さんは、改めて先人が歩んだイバラの道に想いを馳せたのだそう。

花房「おこがましいですが、共感できる点がたくさんあったんです。私も官能小説を書いているだけで露骨に態度を変えられたり汚物を見るような扱いをされる場合があります。美紗さんが生きた時代は女だからとなめられたリ、セクハラも横行していたでしょう。往時はどんなに売れても『女流作家は媒体を華やかに見せるための添え物』、そんな考え方がまだ根を張っていました。美紗さんはそういった固定観念と闘っていたのでは。自分を大きく見せなければならなかった気持ちが痛いほど伝わってくるんです」

▲山村美紗のデビュー作「マラッカの海に消えた」(昭和49)の紹介文には「女性の身で単身ペナンへ飛んで現地取材をした」と書かれている。現代なら「女性の身で」と書かれはしないだろう

調べれば調べるほど憧れる気持ちが強くなった

高級クラブで西村京太郎に接客したホステスがなれなれしいと、ママに抗議の電話をかけるなど嫉妬心を隠さなかった山村美紗。派手好きで、承認欲求が強く、子どもっぽいが憎めない。謎多き作家の生涯を追い終えた花房さん。今の気持ちは。

花房「かっこいい。自分にはそこまでできない。何事にもひたむきで、欲望に正直。それに面白い人だなと思いました。下世話な興味からはじまった取材ですが、調べていくうちに憧れる気持ちが強くなっていきました。私は来年50歳になります。今年は小説家デビュー10周年で、40代最後の年。はじめは『官能界の山村美紗』という呼称に『決別したい』、そんな想いがありました。けれども決別できる存在ではない。燃えるように生きた女王の背中を見ながら、私も苦悶をしつつ小説を書いてゆくのでしょう」

▲山村美紗は「何事にもひたむきで、欲望に正直。そこがかっこいい」と語る

新型コロナウイルス禍もあり「史上最悪」を記録すると目される出版不況のさなかに、あえて出版最盛期を支えた作家の評伝を世に出す。一矢報いる気概は重文級の西陣織をプロカメラマンが撮影した装幀にも表れています。

そういえば本書でも明かされていますが花房観音さんは、証言を得るために西村京太郎さんにもお会いになっています。その日の京太郎さんは目が醒めるようなピンク色のポロシャツを着ていました

『京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男』

花房観音 著 西日本出版 1,500円(税抜)

花房観音(はなぶさかんのん)

小説家/バスガイド。2010(平成22)年に「花祀り」で団鬼六賞大賞を受賞し作家デビュー。現在も京都でバスガイドを務める。男女のありようを芯から炙り出す筆力の高さに女性からの支持も厚い。著書に『花祀り』『女の庭』『好色入道』『どうしてあんな女に私が』など多数。

吉村智樹(放送作家・ライター )

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫』(KB京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。まぐまぐにて「まぬけもの中毒」というメールマガジンをほぼ日刊で発行している(購読無料)。

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