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渋沢栄一の子孫が提言。コロナ終息後に待ち受ける世界の姿とは

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、世界中が未だに混乱し続けています。これまで常識だったこと、当然だと思われていたことがもろくも崩れ、いとも簡単に破壊されました。世界は今後どうなっていくのか、私たちは何をするべきなのか、まったく「わからない」予測不能な状態になっています。しかし、この「わからない」という言葉、決して否定による思考停止ではないと語るのは、世界の金融の舞台で活躍する渋澤健さん。渋沢さんは、この「わからない」こそ好奇心のスイッチが入る前向きな言葉だと語ります。

プロフィール:渋澤 健(しぶさわ・けん)
国際関係の財団法人から米国でMBAを得て金融業界へ転身。外資系金融機関で日本国債や為替オプションのディーリング、株式デリバティブのセールズ業務に携わり、米大手ヘッジファンドの日本代表を務める。2001年に独立。2007年にコモンズ(株)を設立し、2008年にコモンズ投信会長に着任。日本の資本主義の父・渋沢栄一5代目子孫。

コロナ禍で世界はどうあるべきなのか「わかんない」

謹啓 ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

「わかんない」。人は誰でも、意味が不明だったり見えにくかったりするような状況では、否定や思考停止に陥る傾向があります。

しかし、7月中旬に総合モデレーターを務めさせていただいた、ベネッセアートサイト直島で開催されたオンライン・フォーラム、『今、瀬戸内から宇沢弘文~自然・アートから考える社会的共通資本~』に参加し、登壇者との対話を通じて、物事は「フレーミング」によって可視化し、そして「トランスレーション」によってその意味を伝えることで、真意が共有できるという示唆を得ました。

ノーベル経済学賞の受賞に最も近かった日本人経済学者といわれる故宇沢先生のご長女で、宇沢国際学院の代表である占部まりさんによると、先生が「わかんない」とおっしゃったのは二回だけ。ビートルズに熱狂する若い女性を見たとき、そして初めて直島に訪れて野外に設置してある現代アートを鑑賞したときだったそうです。

しかし、先生の「わかんない」は、否定による思考停止ではなく、好奇心のスイッチが入ったということではないでしょうか。現代アートを自然や島のコミュニティと調和させることを通じて、産業廃棄物の埋め立て地や公害を排出する精錬所など、日本の近代化・経済成長による負の遺産から美しい自然を再生し、世界中から人々が集まる憩いの場を提供しているベネッセアートサイト直島。豊かな経済社会とは何か、と問う声が海岸に寄せる波に乗って聞こえてくるようです。

効率的に生産合理性を高める経済成長により人々の生活が豊かになる。これが近代化社会の常識でした。現在のコロナ禍で「生命か、経済か」という二者択一を迫られましたが、その最適解はどこか、自粛生活をいつまで続けるのか、正しい答えは「わかんない」です。

宇沢先生はご提唱されました。「人間の心があって初めて経済は動いていく」「豊かな社会に欠かせないものは金銭に換算できないし、ましてや利益を貪る対象としてはならない」「社会的共通資本の理論はいま社会に向き合う我々が実践していくものである」

これが、実現できるか。正しい答えは「わかんない」でしょう。

現代アートも「わかんない」という声も少なくないです。しかし、アートとは見えなかった価値を可視化させる力があります。これが「フレーミング」です。

直島に「無限門」という李禹煥氏の作品が野外展示されています。平べったい巨大な金属のアーチが緑に囲まれた小谷に展示され、その内側から瀬戸内海が展望できます。人によってはただの人工物のアーチにしか見えず、意味が「わかんない」でしょう。しかしその存在がなければ、その場所から眺める瀬戸内の景観を同じように楽しめなかったかもしれません。

景色は全く変わっていない、しかし「無限門」を通して、見えていなかった美しさが可視化できた。この「フレーミング」という概念に、数値化が難しい企業の非財務的な見えない価値の可視化のヒントがあるようにも思います。見えない価値の正しい「答え」を定めることは困難ですが、「わかんない」ことに啓発されて「問い」を繰り返すことがとても大事だと考えます。

しかし「フレーミング」は、「無限門」のように、その特定の場でしか体感できないというサイト・スペシフィックの問題もあります。そこで必要になってくるのが「トランスレーション」です。

デジタル技術の発展により、情報のトランスミッション(伝達)の効率性は著しく向上しています。成果を測定する数値化は、まさに情報のデジタル化であり、数字は万人の共通言語となります。しかし、情報の送り手が体感しているコンテクストが受け手にも体感できないようであれば、ロスト・イン・トランスレーションに陥る可能性が高まります。

今回のフォーラムで登壇者としてご一緒させていただき、「協生農法」を提唱されている船橋真俊さんのお話は大変表現力と洞察力に富み、オンライン・フォーラムに参加された約1,500名の聴講者の方々と共に、私もグングンとお話に引き寄せられました。

単一的なモノカルチャーではなく、多様性を重視する協生農法によってアフリカのブルキナファソの砂漠地帯を、豊かな生態が宿る緑園へと変身させた船橋さんの検証実験は、「社会的共通資本」やポスト近代化社会の具体的なカタチであると感じました。

しかし、そのフォーラムに参加しておらず、且つ、大量生産、価値のマネタイズなどの従来からの近代化マントラ(真言)に染まっている多くの人々にとって、情報としてインプットがあったとしても、体感は難しいでしょう。

そして、体感がなければ、自分コトとして考えられず、自分コトとして考えられなければ変化は生じません。情報だけでなく、その場の体感に関する「トランスレーション」が必要となります。

現在、新型コロナウイルス感染症をきっかけに、世界の常識が大きく変わろうとしています。豊かな経済社会とは何か。社会的共通資本やポスト近代化社会が現実的なのか。それは「わかんない」です。

しかし、そこには存在感や可能性を感じます。より謙虚にオープンに、好奇心と想像力を活かす「フレーミング」と「トランスレーション」により、今まで見えなかったものが見えてきて、新しい時代の常識として広く普及するかもしれない。そう考えると、とてもワクワクします。

□ ■ 付録:「渋沢栄一の『論語と算盤』を今、考える」■ □
 『論語と算盤』経営塾オンラインのご入会をご検討ください。

image by : shutterstock 

『渋沢栄一 訓言集』学問と教育

今日の教師を視るに、その多くはただ文字を講義し、義理を伝授すれば本文をつくしたもののごとく考え、生徒もまたあたかも寄席にて軍談でも聞くような気持ちでおる。

コロナ禍によって子供たちが登校できなくなり、オンライン教育では十分学習ができていないという報道が目立ちます。でも、どのように教育して良いか「わかんない」時に、今までの教育の現場の常識に捕らわれることなく、「フレーミング」や「トランスレーション」ができている教員や学生たちは、新たな教育の可能性も感じたはず。そう期待しています。

『渋沢栄一 訓言集』処事と接物

人は尊卑を通じて、同情心がなくてはならない。しからざれば人にして人ではない。この心なくして、単に自己の利益のみを図り、他を頼みざるがごとき無情冷酷のふるまいは最も警めねばならないのである。

「心」があって初めて経済は動く。「心」という豊かな社会に欠かせないものは金銭に換算できない。

 

「資本主義と闘った男」である宇沢弘文先生と「日本の資本主義の父」である渋沢栄一の思想は、かなり通じ合うものがあります。このような「資本」が21世紀の常識になってほしいですね。

謹白 渋澤 健

image by: shutterstock

渋澤 健(しぶさわ・けん)

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