安倍首相も勘違い?「日本が太平洋戦争に負けたのは8月15日ではない」理由

 

ま、それはそれとして、この時系列を見れば分かるように、あたしたち日本人が「終戦日」だと思っている8月15日は、ただ単に「日本は降伏することにしましたよ~」と国民に発表した日であって、まだ調印は完了していなかったのです。こうした国家間の取り決めは、文書に調印した時点で初めて効力を持ちますから、9月2日を「戦争が終わった日」に定めているアメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアのほうが正しいのです。

Bicycle-mounted_Japanese_Troops_in_the_Philippines

image by: Japanese military personnel / Public domain

第一、日本に対して8月8日に宣戦布告したソ連は、8月15日を過ぎても北方領土を侵略し続けていました。現実問題として、8月15日に戦争は終わっていなかったのです。さらに言えば、ソ連は、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの中で日米による降伏文書への調印が行なわれていた9月2日に、北方領土の歯舞島への侵攻を開始したのです。そして、9月5日までに千島列島全島の占領を完了させました。

そのため、他の国は調印が行なわれた9月2日を「戦争が終わった日」に定めましたが、ソ連は当初、1日ずらして9月3日に定めていたのです。自国が「戦争が終わった日」と定めた日に日本の領土を侵略していたら、ツジツマが合わないからです。実際は9月5日まで侵攻していましたが、侵攻を開始した日さえツジツマを合わせられれば「9月2日の1日で占領を完了させた」と嘘をつくことができます。そのため、ソ連的には9月3日にすればOKなのです。結論ありきのデータ改竄、まるで安倍首相ですね。

そして、ソ連崩壊後の2010年7月、政権を受け継いだロシアの議会は、アメリカやイギリスと歩調を合わせて、9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決しました。これで、旧ソ連は単独で日本に宣戦布告したのではなく、アメリカやイギリスなどと一緒に連合国の一員として戦争をしたのだという既成事実づくりが完成したわけです。

旧ソ連が北方領土に侵攻した9月2日を「戦争が終わった日」に定めれば、ロシアは日本が降伏文書に調印した9月2日以降の不法な戦闘や侵略などをすべて「旧ソ連の責任」にできるのです。つまり、北方領土については「ソ連から政権を受け継いだロシアの領土だ」と主張しつつ、調印後の不法な戦闘や侵略については「旧ソ連の責任であってロシアは関係ない」というダブルスタンダードが合法化できるのです。これまた安倍首相のような姑息さですね。

…そんなわけで、2012年12月、政権に返り咲いた安倍首相が露骨な反中と嫌韓の姿勢を示し始めると、中国はさっそく対抗し始めました。まずは2014年、日本が調印した9月2日の翌日の9月3日を「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利の日」に定め、大々的な軍事パレードなど戦勝記念の行事を行なったのです。でも、こうしたアピールは中国だけではありません。

あたしはずっと「戦争が終わった日」というオブラートに包んだ表現を使って来ましたが、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアは9月2日を「戦争が終わった日」、つまり「終戦日」とは呼んでいません。これらの国々は9月2日を「Victory over Japan Day」、略して「V-J Day」と呼んでいました。直訳すると「対日戦勝日」、ザックリ言えば「戦争で日本に勝った日」です。

ちなみに、アメリカを始めとした戦勝国にとって、第二次世界大戦の戦勝日は「V-J Day」の他にもう1つあります。ナチス・ドイツが降伏した1945年5月8日の「Victory in Europe Day」、略して「V-E Day」、「ヨーロッパで戦争に勝った日」です。

相手の国々が「対日戦勝日」と言っているのに、日本側が「終戦記念日」だなんて、これほどおかしな話はありません。日本は無条件降伏を要求したポツダム宣言を受諾したのですから、8月15日か9月2日かはともかくとして、やはり「敗戦日」と言わなければおかしいのです。でも、ドイツでも5月8日の「V-E Day」を「Ende des Zweiten Weltkrieges(第二次大戦の終戦の日)」と呼んでいるのです。

print
いま読まれてます

  • 安倍首相も勘違い?「日本が太平洋戦争に負けたのは8月15日ではない」理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け