安倍首相も勘違い?「日本が太平洋戦争に負けたのは8月15日ではない」理由

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8月15日、今年も巡ってくる終戦記念日。私たちはその「日付や名称」について疑問を持つことはあまりありませんが、どうやら日本と世界各国との間には大きなズレがあるようです。メルマガ『きっこのメルマガ』を発行する人気ブロガーのきっこさんは今回、8月15日を「戦争が終わった日」とするのに無理がある理由と、そもそも「終戦記念日」という呼び方自体が日本独特であるという事実を記しています。

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本当の終戦記念日はいつ?

毎年、今の時期になると、必ずどこかの新聞で次の俳句が紹介されます。

八月や六日九日十五日 詠み人多数

日本人にとって8月は、広島の原爆の日、長崎の原爆の日、終戦記念日が続くため、テレビやラジオや新聞などは原爆や戦争についての特集をしますし、どうしても戦争について考えさせられる時期になります。そこで、この日付を並べただけの句が取り上げられるのです。

原爆の日を詠んだ句や終戦記念日を詠んだ句は数えきれないほどありますが、この日付を並べただけの句のほうが、二度の原爆投下から終戦に至った経緯が見えて来るだけでなく、「多くを言わずに思いを伝える」という俳句の特性が生かされているのです。

しかし、俳句はわずか17音しかない世界最短詩形である上に、季語を必要とするため、作者が自由に使える音数は10音前後しかありません。そのため、どこかの誰かが詠んだ句と類似した句が生まれてしまう確率が極めて高いのです。さらに言えば、一字一句同じ作品も生まれてしまいます。

この句は、最初は作者の名前が明記された形で発表されました。しかし、すぐに別の人が「私のほうが先に同じ句を詠んでいる」とクレームを付けました。すると、また別の人が「私が先だ」と主張しました。こうして、何人もの人が「私が詠んだ句だ」と言い出したのです。

他にも「八月は六日九日十五日」や「八月の六日九日十五日」など、一字だけ違った類似句を「自分のほうが先に発表している」と主張する人たちも現われました。ようするに、この句は、日本人であれば誰もが思いつく月並みな発想であり、「ようかここのか/じゅうごにち」という音数も俳句の定型にピタリと収まるため、同じ句を詠んだ俳人が全国にたくさんいた…という話なのです。そこで、あたしは和歌の「詠み人しらず」になぞらえて「詠み人多数」と記載しました。

…そんなわけで、今週の土曜日、8月15日は「終戦記念日」です。人によっては「終戦」という表現が納得できずに「敗戦の日」や「敗戦日」と言う人もいますが、いずれにしても日本では8月15日を「戦争が終わった日」と定めています。でも、8月15日を「戦争が終わった日」と定めているのは、この戦争に参加した国々の中で、日本だけなのです。戦争は相手がいないとできないものであり、その「終わり」は双方が同時のはず。それなのに、どうして日本だけが8月15日なのか、基本の基本を時系列でおさらいしてみましょう。

1945年7月26日、米英中の3カ国(後にソ連も参加)がポツダム宣言を発し、日本に対して無条件降伏を要求しました。

8月6日、広島に原爆が投下されました。

8月8日、ソ連が日本に宣戦布告しました。

8月9日、長崎に原爆が投下されました。

8月14日、日本政府はポツダム宣言の受諾を決め、連合国各国に通達しました。

8月15日、昭和天皇の玉音放送によって、日本の降伏が国民に公表されました。

9月2日、日本政府がポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書に調印しました。

ポツダム宣言を読んだことがない上に、中学生レベルの近代史の知識もない安倍晋三首相は、かつて「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかりに叩きつけたものだ」と発言しています。これは雑誌『Voice』の2005年7月号に掲載された対談の中での発言ですが、この時系列を見れば、安倍首相がどれほど無知なのかが良く分かると思います。

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