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なぜ松下幸之助は、26人中25番目の取締役を社長に大抜擢したのか

「ものを作る前に人を作る」と語ったほど、何より人を重要視していた松下幸之助氏。そんな松下氏は、どのような秘訣を持ち人材採用に当たっていたのでしょうか。今回の無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では著者の浅井良一さんが、松下電器(現パナソニック)を支えた3人を見出したエピソードを紹介しつつ、その「秘訣」に迫っています。

理念のもとで任せる 3人の重要な人材の採用の経緯について

松下幸之助さんは「事業経営においては、まず何より『人を求め』『人を育てて行かなければ』ならない」と言われているのですが、そこで主要な3人の人材について、その求められ方を見ます。

主要な3人の人材とは、技術の中尾哲二郎さん、経理・マネジメントの高橋荒太郎さん、そして3代目社長の山下俊彦さんとなります。ここでその3人の採用の経緯について見ようとしているのですが、なぜかというと松下さんの人材採用の秘訣を学ぼうと考えたからです。しかし、そこでは特に共通する秘訣と言うべきものは見つかりません。

しかし、個別で見ると別個としての秘訣が浮かび上がります。そこで明らかになるのは、見つけ方にはいろいろありそうですが、見つけた人材の活かし方については、思い切った判断を持たれています。

1.中尾哲二郎さん(技術の右腕、パナソニックの本田宗一郎さん)

創業期のヒット商品、二股ソケット、砲弾型電池ランプ、箱型ランプは松下幸之助さん自身が考案したものですが、それに続くスーパーアイロン、電気こたつ、三球式ラジオ、その他をつくりあげたのは、その働きぶりに目つけ採用した中尾哲二郎さんによってでした。幸之助さんは、中尾さんを「希有の人」とまで高く評しています。

二人ともにとって天啓の出会いは、幸之助さんが工場で器用に旋盤を使う見慣れぬ小柄な青年に目を奪われたことにはじまります。手の運びや動作が素人離れしており「君はどこの者かね」と声をかけた幸之助さんに「私は『檜山(下請け工場)』のもので、ちょっと旋盤を拝借しています」と青年は答えたのです。

人材発掘は企業の帰趨を決する必死のことですが、それらの人は意外なところに埋もれていることを認識しなければなりません。中尾さんは、幸之助さんに見る目があったから見出されました。

先に言った檜山の主人と幸之助さんとの間にこんな会話がありました。幸之助さんが檜山の主人に「良い職人が入ったね。あれは良い仕事をするだろう」と尋ねると、すると意外な返事が返ってきました「あれはダメです。うちのやり方に文句ばかり言って使い切れないので暇を出そうと思っています。いっそ大将の方で使ってもらえませんか」「じゃあ、僕のところで使ってみよう」で採用が決まったのでした。

箱型ランプを中尾さんの助けも借りてつくったことで、その実力を知ると「君ならできる」で、ヒット商品のスーパーアイロンと電気こたつをつくらせ、さらに専門学校を出たばかりの2人の若手をつけてNHKのコンクールに一等に入賞する三球式ラジオを、これはさらに電熱器、乾電池、自動炊飯器、カラーテレビ、VTRと続くことになったのでした。

2.高橋荒太郎さん(経理・マネジメントのプロ、松下の大番頭)

松下の経理制度・組織をつくりあげて近代的な経営システムの基盤をつくり、また主要事業も任せられて成し遂げています。松下さんが社内で唯一「さん付け」で呼んだ人で、経営理念について最も熱心で「ミスター経営理念」とも称され、松下さんにとっては得難い共感者である補佐役です。

高橋さんは朝日乾電池という会社で若くして常務をしていたのですが、同社と松下電器が業務提携しさらに資本交流も行われた時に、ただ一人請われて本社の監査課長として移籍することになったのでした。両社は事業上で交流が頻繁で、松下さんは高橋さんの力量を知っており、どうしても得なければならない人材として獲得したのでした。

高橋さんのその考え方「人の大事さ」「衆知を集めた全員経営」は、幸之助さんの経営理念と軌を一にしています。高橋さんは余り自己顕示欲がなくおもてに出ることはなかったのですが、経理および科学的管理法等の専門的知識・見識・実績においては深くて松下の組織・制度について先端を行く企業に育て上げました。

世界でも稀なこの時代の事業部制がうまく機能できたのは、幸之助さんの経営理念が機能されたこともありますが、マネジメントとして高橋さんのつくり上げた経理制度や目標予算管理や他では成功されたことのない本部経理(経理社員)制度が構築されたことによります。「経理のことは、とにかく任すから」の一言から起こったことです。

3.山下俊彦さん(抜擢された三代目社長)

松下が「大企業病」の兆候を持ったときに、それの建て直しの役目を担って社長に指名されたのが山下さんでした。当時26名の取締役がいたのですが、上から25番目であったのにもかかわらずのことで、山下さんが実現させたウェスト電気(関係会社)と冷機事業部での業績手腕が評価されてのことでした。

出身校は大阪の泉尾工業高校なのですが、学校の先生にすすめられて当時従業員4,000人の中堅企業であった松下電器を受けて入ってしまったということで縁を持つことになったのでした。

入社してからは主に現場で働いていて、仕事もそんなに面白いものでなくマンネリになって、こんなことでいいのだろうかと思ったそうで。そんななか、ゴーリキーの戯曲『どん底』の台詞「仕事が楽しみなら人生は楽園だ。仕事が義務なら人生は地獄だ」が胸につきささり「仕事を楽しむからこそ、良い仕事ができる」の境地を持たれたそうです。

山下さんは、特に幸之助さん薫陶を受けて能力を伸ばしたのではないのですが、松下の企業文化のなかで能力を伸ばしさらにオランダのフィリップスでの技術研修時に計算しつくされた管理手法をも知りました。ウェスト電気では「ガラス張り経営」の大切さを、冷機事業部では「自分の城は自分で守る」の気概と計画の大事さを体得させられました。

社長に就任して会社全体を診断し気付いたことは、企業体質そのものが悪化して「大企業病」にかかりつつあったことだそうで、そこで将来を考え、事業構造の改革、経営体質の強化、海外事業の推進に精力的に取り組み、その最大の成果は「このままでは松下には将来はない」という危機感を会社に浸透させたことだと言われています。

社長になる前のエアコン事業部長時代から、山下さんは日々の思いを大学ノートにつづっていましたが、そこにこう書いています。「BSやPLはいずれも過去の業績の表示であって、会社の未来価値を示すものではない」「未来は永久に未知の世界である。会社の将来性に対してアテになるのは資本金や資産価値ではない。『人間だけ』だ」。

松下幸之助さんは必死で「人を求めました」。なぜならば、企業が社会貢献を行い、継続して存続するのにはそれしか法がないからであり、上記にあげた3人について、中尾さんを見出さなければ、初期ヒット商品なく、高橋さんを獲得しなければ経営の近代化はできず、山下さんを抜擢しなければ大企業病に罹ったままだったからです。

ここに経営者の役割の重要な一端が明瞭になります。経営者は効用を持つ経営理念、使命観のもとに、正しい人間観をもって人材を求め育み活躍してもらわなければなりません。逆にいうと、人は正しい人間観をもつ経営者のもとで、経営理念、使命観により導かなければ活きた仕事ができないということになります。

松下幸之助さんの人間観

「経営は人間が行うものである。経営の衝にあたる経営者自身も人間であるし従業員も人間、顧客やあらゆる関係者もすべて人間である。つまり、経営というものは、人間の幸せのために行う行動だといえる。したがって、人間とはいかなるものか正しく把握しなければならない。言いかえれば、人間観というものを持たなくてはならない」

と前置きし、

「人間は万物の王者というべき偉大な存在である。生成発展という自然の理法にしたがって、人間にみずからを生かし、また万物を活用しつつ、共同生活を限りなく発展させていくことができる。そういう天与の本質を持っているのが人間だと考えるのである」

と言われています。

image by: Shutterstock.com

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戦略経営のためには、各業務部門のシステム化が必要です。またその各部門のシステムを、ミッションの実現のために有機的に結合させていかなければなりません。それと同時に正しい戦略経営の知識と知恵を身につけなければなりません。ここでは、よもやま話として基本的なマネジメントの話も併せて紹介します。

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【著者】 浅井良一 【発行周期】 ほぼ週刊

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