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現地在住日本人が見た徹底的かつ迅速なアラブ首長国連邦コロナ対策

新型コロナウイルスの感染拡大予防対策に関して、欧米や東アジア各国の動きはたびたび報道されていますが、中東圏の情報はほとんど伝えられていないのが実情です。彼らはどのような形で未知のウイルスの封じ込めを図っているのでしょうか。今回の無料メルマガ『アラブからこんにちは~中東アラブの未知なる主婦生活』ではアラブ首長国連邦(UAE)在住29年の日本人著者・ハムダなおこさんが、UAEの徹底かつ迅速なコロナ対策を紹介しています。

変化の兆し

あっという間に年末が迫っているではないか、と驚くのは毎年のこと。なぜならUAEでは気温が下がらず、また西暦に沿って年末に押し寄せる行事もないために、季節観がないのです。現在の気温は昼間で26度、夜間には17度くらいでしょうか。真夏はもちろん50度を超え、現在とは気温差が20度以上はあるのですが、それでも寒くならないから実感がありません。

灼熱が収まりつつある8月後半から、私たちは家に畑を作り始めました。畑といっても土がないから、庭の砂に植えます。スイカの種を植えたのは、暑い盛りを過ぎた8月末。収穫できたのは10月です。その後にスイカ蔓を始末して野菜を植え始めたのが11月でした。北半球に位置するといっても、季節感が随分ずれています。最近はやたらと蚊が出てきたので、「あぁ、羽虫が生き残れる気温になったか」と感じます。

今年はそれでも例年に比べて暑さがしのぎやすく、昨年まで続いた驚異的な熱波(体感温度56度など)を感じる日は多くありませんでした。加えて、世界中で起こっている局地的な雨が、この砂漠の国にも頻繁に起こるようになりました。突発的に非常に強い雨が短時間だけ降り、住民を驚かすのです。昔はよく子どもたちに、「あなたたちの学校で雨が降ったら、ママのいる家にも雨が降っているのよ」と言ったものです。子どもたちは雨というものを知らないから、自分の上だけに(神様が特別に)水が落としてくれると考えていました。地域全体に雨が降るとか、雨の降る境界線がまったく想像できないのです。子どもたちの通う学校は家のすぐ近くにあり、そこに降る雨が、僅か1、2キロ先の我が家にも降るとは想像できないようでした。ところが最近の局地的な雨は、我が家のあるサルマ地区の北側(ハイウェイに近く、砂漠の入り口のようなエリア)には降らないのに、南側(住宅地として砂漠を開拓しているエリア)にはシャワーのように降り注ぎます。地域は10キロ四方くらいで、そこに学校は一つしかないので、昔のようなことは言えなくなりました。

また雨が降るのが冬とは限らなくなりました。以前は、夏に雨が降ったとしても地上に着く前に乾ききったり、地面に落ちた瞬間にジュっと音を立てて蒸発していましたが、そんな中途半端な雨は見られなくなりました。降るなら住民を危険に晒すくらい強烈に降り、地面に川をつくります。というわけで、雨による季節感もますます無くなっているのでした。

今年、私はたくさんの怪我をして、コロナがなくても家から出る機会は多くありませんでした。昨年の年末年始に日本へ行ったときに、日本で左足の甲を痛めました。連日、大きなプロジェクトを始める準備で歩き回っており、ふと気づくと一歩も歩けないほど左足が痺れていることが何度かありました。UAEに戻ってセラピーに通っているうち、コロナ感染が拡大して、UAEの公的医療機関が大編成されていきました。セラピーの予約はどんどん後回しにされ、外科処置室(セラピーをしていた部署)は病院の離れから院内に移され(それまでは別館にあったのに、別館はコロナ対処棟になってしまった)、それが中央病院や専門病院へと移行され、それらもキャンセルになって、緊急性がないなら休診となりました。

7月には階段から落ちて大怪我をしました。お茶を載せたトレイを持って下りていたら、最後の一段を踏み外し、たかが30センチの段差を落下して、右足首をひどく捻挫してしまいました。転んだ時にトレイに載せていたお茶や牛乳をかぶって、ひどい有り様でした。一昼夜氷で冷やし続けても(コロナで病院にはなかなか行けなかった)しばらくは歩くのも立つのも無理でした。仕方なく膝をついて四つん這いになって歩いていたら、次は膝が赤く腫れてワニ皮のようになってしまいました。

我が家は今年とても大事な行事が詰まっていて、本当なら怪我をしているヒマはありませんでした。息子が結婚し、娘が出産したのです。それゆえ早く万全な身体に戻らなければと慎重に生活していたつもりなのに、9月には足先を軽くぶつけて、左足の中指にひびが入ってしまいました。ネットで調べると、足指の骨折はよくあることで、治療法はなく、ただ隣の指と一緒にテープで巻いておくことだと書いてありました。半信半疑のまま、半月もそのようにしていたら、やっと普通に歩けるようになりました。最近はようやく怪我の連鎖も止まったかと願っていますが、まだまだ年末までは気を緩められません。

今年1年、世界中の誰でも同じでしょうが、コロナの影響で私たちの生活は一変しました。

UAEで最初のコロナ患者が見つかったのは、1月25日。中国の武漢からの観光客でした。しかしまだ危機感は薄く、3月初頭までは数日おきに一桁の新規感染者が出るような状況でした。ところが3月中に50~99人の推移となり、月末からは連日の三桁台で、4月半ばにはあっという間に500人を超えました。人口が900万人(うちUAE国民96万人)の国にすれば、大変な数字です。

それからは次々と感染対策が発布されていきました。3月1日から保育所と幼稚園はすべて休園(これが発表されたのは2月29日で、働く女性にどれだけのカオスを与えたか計り知れない)。3月8日からは全学校が1週間の休校となり、(これも3月4日に発表された。1週間の間に国は全生徒にラップトップを配布し、全家庭にWifiをつなげた)、翌週からは全国の学校でオンライン授業が始まりました。3月17日にはビザ発給が停止され(それ以前に発給されたものも無効化)、外国人がばたばたと帰国しました。3月23日に、国際空港は48時間以内(つまり25日まで)に封鎖と発表されたのに、実際は1日前倒しで24日未明に封鎖されました。
そして3月26日からは外出禁止です。私と次女はその日アブダビにいて、あっという間に外出禁止となったために、ウンムアルクエインの家に戻ることが出来なくなってしまいました(その2日後に夜間だけ外出禁止に変わったので、すぐに戻った)。

このように何を準備する間もなく規制が敷かれ、禁止した者には容赦なく高額な罰金が科され、この1年ずっと市民生活は多大な影響を受けてきました。

しかし驚いたのは、これに対して怒る市民がいないことでした。困っている人間は大勢いるのに怒る人間はいない。それは首長制という政治体制(首長を頂点にしてトップボトムの支配体制)であることもそうですが、部族制の原理と、個人の自由と権利を主張してもどこにも行きつかないという砂漠の生活思考が働いていたからだと思います。そして当然、困ったら国が何とかしてくれるという安心感(ぶら下がり思想)もあります。実際、ドバイ空港を経由して自国に帰ろうとしていたトランジット客が600人も封鎖でドバイ空港に留め置かれましたが、その面倒はちゃんとUAE国家がみていました。立派なホテルを用意され、3食を提供され、空港が再開された4月中旬には自国へ送りかえしてもらえたのでした。学校もわずか1週間で全生徒にラップトップを支給し、全家庭にWifiを設置するなど、不可能を可能にしたとしたか思えない素早さです。

この時期、私は沈黙し続け、実に多くのことを考えさせられました。

image by: Adnan Ahmad Ali / Shutterstock.com

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