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アリババ創業者マー氏の失踪に見えた中国崩壊。四千年の歴史は繰り返す

現地時間の1月20日、いよいよ誕生するジョー・バイデン第46代アメリカ大統領。バイデン氏は、この4年間で大きく変化してしまった米中関係を改善することができるのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、「そう簡単に4年前には戻せない」とし、その理由が「中国国内で噴出してきた課題」にあると指摘。さらに、このような中国に対して日米両国はどう振る舞うべきかについて考察しています。

バイデン新政権と日米中関係

いよいよバイデン新政権が発足します。日本にとって一番の関心事は、米中関係がどうなるかです。それはそのまま日米中の三国関係がどうなるかという問題に直結するからです。

表面的には、オバマ時代、あるいはその前のブッシュ時代のような「大人の関係」つまり、経済はウィンウィン、軍事外交は均衡、人権は建前論というような一種の「ジャンル別には対立しつつ、全体ではバランス」という米中関係が模索されると思います。

ですが、そう簡単には4年前には戻せないわけです。それは、トランプが「ぶっ壊した」からではありません。中国が強くなって米国が弱くなったからでもないと思います。

そうではなくて、中国に色々と課題がでてきた、これが問題です。

まず、習近平の指導力ですが、2012年に最高指導者になり、権力集中を強めているように見えます。冷静に見れば、2008年のバブル崩壊から手を付けていたゾンビ企業の整理、過剰生産設備の淘汰、そしてこうした既得権にからむ汚職体質などと戦うためには、どうしても権力集中が必要ということなのでしょう。

ですが、その成果が見えなければ権力は消費される一方です。権力が消費されて行くと、これを強権的にして補完しなくてはなりません。これを繰り返してゆくと、人心が離れ、周囲は茶坊主ばかりとなって王朝は衰退します。考えてみれば、中国4,000年の歴史というのは、そうした興亡の反復に過ぎません。

そう考えてみると、香港やウイグルでの措置というのは、政権の強さを示すものではなく、反対に弱さを浮き彫りにしているように見えます。こうした乱暴なことをやっていると、その先には台湾も、そして本土もソフトランディングを難しくするのです。

一連の問題の中で、非常に気になるのがアリババ創業者の馬雲氏の失踪です。日本史のたとえで言えば、馬雲という人は、田沼意次かもしれません。少なくとも失踪の経緯からはそう見えます。ですが、そうではなくて千利休かもしれないのです。

トラブルの原因は、アリペイ上場が阻止された際に放った政府批判だというのですが、そもそもアリペイへの妨害にしても「大きくなりすぎ、強くなり過ぎたものは潰す」という愚かな判断、つまり国の経済よりも政権の強権維持という判断があったと考えられるからです。経済は生き物です。そのような市場、そのような統制の中では、やがて有能な企業になればなるほど、脱中国を検討するようになるでしょう。

毛沢東からトウ小平までの歴代の指導者というのは、とにかく共産中国の安定のために必死に仕事をしてきたわけですが、江沢民以降は「どうやら自分たちの王朝は歴史に残る反映を実現しつつある」という認識を持ち始めたようです。

その証拠に、江沢民、朱鎔基、胡錦涛、温家宝といった指導者たちは、やたらに「自分たちは清朝の最盛期のような王朝の隆盛を実現しつつある」というような意識を持っていたようです。その際に、長い清朝の時代の中で一番理想とされていたのは、驚いたことに雍正帝の時代でした。

雍正帝というのは、質素倹約を旨として、徹底的に国家財政のリストラを行う一方で、地方官の報告書に全て目を通して朱筆で指示を書き込んで返却する、今のシリコンバレーのCEOのような多忙ぶりで、平均睡眠時間4時間、結果的に在任13年弱で過労死したという仕事の鬼です。

その一方で、自身の政治権力を高めるためには冷酷な処分も、果断な判断も、また権謀術数も行う冷血な専制君主でもありました。いわば中華の皇帝制度の特徴が集約されたような人物です。その雍正帝の時代に、中華の国力は絶頂期に近づいたのでした。

どういうわけか、歴代の共産党の指導者はこの雍正帝の「去私」という姿勢に自分たちは少しでも近づこうとしていたようです。巨大な中華帝国のかじ取りという責任の重さに対してある意味、謙虚であったのかもしれません。

これを受けて、雍正帝を主人公にした大河ドラマが何本も作られました。後年は、峻厳な雍正帝が温厚な中年の億万長者のように描かれて行きましたが、初期に作られた『雍正王朝』は、それまで冷血な悪役とされた君主を現代的なヒーローに読み替えた傑作でした。

ですが、2020年代に入った近年の中国の大河ドラマは、より爛熟して退廃が忍び寄って行った乾隆帝の時代を称賛したかと思うと、非道な専制君主であった秦始皇をヒーローにするなど、カルチャーの面でもどこか不安定さを感じます。

実際に、経済も好調ではないと思います。中国経済は、もう大規模な内需で自立しているとか、こうなると米国とのデカップリングで良いという声もあります。ですが、アリババの成功は許さない、テックの分野では依然として自由がないという中では、成長の可能性に「無限」という感じはありません。また、リスク選好マネーということで、アメリカの投資家を失った場合に、中国独自でどのレベルのファイナンスができるのかは、やはり限界があると思います。

そうした中で、中国はやはり、どこかの時点でまずは「グラスノスチ(情報公開)」をもっと踏み込んで行かねばなりません。そうでなければ、民衆から不信任を突きつけられて王朝が動揺してしまうからです。

またその先には複数政党制ということも、何らかの工夫をして採用して行かないと、どこかで立ち行かなくなると思います。ものすごく乱暴な仮説ですが、例えば共産主義と民主主義を二大政党にするのは無理なので、太子党と上海閥が二大政党になるとか、いきなり完全普通選挙の導入は無理なので、戦前の日本のように納税額で区別する限定選挙をやるとか、市長公選制は人口100万都市だけ実験的にやるとか、色々と柔軟にやったらいいのではと思うのです。

反対に、そうでもしないと豊かになった国民の本音との乖離が広がって、政権としては危険な状況に立ち至るかもしれません。

問題はそのような混乱を中国はしっかりと自分たちで乗り越えながら、近代的な国家に脱皮してゆかねばならないのです。もう途上国ではないと宣言するのなら、途上国型の独裁も返上すべきです。また、そうでなければ、やがて国は行き詰まるでしょう。

いずれにしても、そのような動揺、それも本質的な動揺が見えてきたというのが、この4年間の中国に出てきた兆候です。そこでアメリカはどう振る舞えばいいのか、そして日本はどう振る舞ったらいいのか、単にインド太平洋戦略を掲げて囲い込むだけでは全く足りないと思うのです。

問題はとりあえず1つ。中国が内政の混乱を対外的な軍事的緊張に転化するというのは、絶対に阻止するということです。

どうなんでしょう?バイデン=ブリンケン=カート・キャンベルといった、90年代から対中外交を見てきた面々に、そうした新しい時代への問題意識が持てるのかどうか、時間はそんなにないと思うのです。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋・文中一部敬称略)

image by: Drop of Light / Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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