日本でもようやく始まった新型コロナのワクチン接種。世界では接種が進む先進国と確保もままならない発展途上国の「ワクチン格差」が問題となっています。そうした中、国産ワクチンによる積極的な「ワクチン外交」を進めてきた中国に、ワクチン生産能力で世界一と言われるインドが対抗し始めたようです。今回のメルマガ『uttiiの電子版ウォッチ DELUXE』では、著者でジャーナリストの内田誠さんが、朝日新聞の記事から、中国、インドそれぞれの「ワクチン外交」の背景や思惑について探ります。
中国とインドのワクチン外交を新聞はどう報じたか?
きょうは《朝日》です。解説面の「時時刻刻」は、中国とインドの「ワクチン外交」を取り上げています。試しに「ワクチン外交」で《朝日》のデータベース内を検索すると、サイト内で21件、紙面掲載記事で8件ヒットしました。サイト内は「あいまい検索」的に拾ってきているものもありそうなので、この1年間に限った紙面掲載記事8件を対象にします。まずは2面の「時時刻刻」、見出しから。
中印 白熱ワクチン外交
中国 先行提供 重なる一帯一路
インド 世界一の製造能力で対抗
安保や経済 火種
中印両国は、新型コロナウイルスワクチンの周辺国への無償提供を始めている。一帯一路に重なる中国の動きに対してインドが対抗しており、利益の最大化を図りたい周辺国の思惑も絡んでいるという。
中国は途上国を中心とする53の国々と地域にワクチンを無償援助する方針。先行して援助を始めた14の国と地域のうち、アジア諸国は、パキスタン、ラオス、カンボジア、ブルネイ、フィリピンを含む9カ国で、スリランカ、ネパール、ミャンマーについては中印両国からの供給を受けている状態。
インドは近隣国にインド製ワクチンの無償提供を始めていて、バングラデシュ、モルジブ、ブータン、アフガニスタンの他、上記のようにスリランカ、ネパール、ミャンマーでは中国と被っている。モルジブ、ブータン、アフガニスタンは一帯一路絡みで中国からインフラ整備などで多額の資金が入っており、インドは「マスク外交」での遅れを「ワクチン外交」で取り戻すのが狙いだという。
●uttiiの眼
中国が提供するのは国営企業シノファーム社のものとバイオ企業シノバック社のもの。インド側は、英アストラゼネカ社などが開発したワクチンを、インド製薬大手「セラム・インスティテュート・オブ・インディア」が途上国への供給を目的にライセンス生産したもの。同社は世界最大規模のワクチン製造能力があるという。
記事を見る限り、中国が世界戦略の一環として大規模なワクチン外交を展開しているのに対して、インドは飽くまで受け身的、防御的な印象を免れない。それでも、中国からアフガニスタンに至る地域で展開されているワクチン外交のコアな部分に関しては、拮抗した印象も浮かんでくる。
中印が国境紛争を含む対立関係にある中で、中国はパキスタンに真っ先にワクチンを無償提供し、対するインドは長年支援し、パキスタンとの間に国境問題を抱えるアフガニスタンにワクチンを無償提供。奇妙なことではあるが、この図式は中国伝来の安全保障戦略である「遠交近攻」を想起させる。インドは中国とパキスタンに挟み撃ちとなり、パキスタンはインドとアフガニスタンに挟まれている図。
【サーチ&リサーチ】
飽くまで《朝日》の場合だが、「ワクチン外交」という言葉の初出例は、昨年9月10日の記事(サイト内でも同じ記事)だった。
2020年9月10日付
ASEAN諸国に日米中も加えた一連の外相会談で、南シナ海などを巡る米中対立が現出。「間に挟まれたASEAN諸国は難しい対応を迫られている」との記事中、「中国は8月下旬にベトナムなどメコン川流域の5カ国と開いたオンライン会議でも、ワクチンの優先供給を表明。ASEANに「ワクチン外交」を仕掛ける背景には、南シナ海での米国との対立がある」との記述。
*上記の記事中に「一帯一路」の言葉は出てこない。この段階ではワクチンの供給対象がベトナムなどだったために、「ワクチン外交」の及ぶ範囲を過小に見立ててしまった印象。
2020年11月22日付
記事のタイトルは「ワクチン外交、透ける思惑 G20首脳会議開幕」。G20がサウジアラビアで開幕。会議に先立ち、国連のグテーレス事務総長が「途上国にも治療薬やワクチンが行き渡るよう、参加国に280億ドル(約2兆9千億円)の資金拠出を要望」するなど、「COVAX(コバックス)ファシリティー」に関わる提起などもあったこと。「米国第一」の米国と対立するロシアや中国には、ワクチンを外交に利用しようとする思惑があること。中国のワクチン生産量は自国民への供給にも足りず、「中国のワクチンの臨床試験を実施しているアラブ首長国連邦やブラジル、パキスタンなどの「協力国」へのワクチン提供は「優先される」(衛生当局関係者)」ほか、「新興5カ国(BRICS)や上海協力機構(SCO)など、中国が重視する国際的枠組みに対しても、「優先的に考慮する」方針」だという。
*ここでも、まだ、「優先順位」の問題として、中国がワクチン開発への「協力」や一般的に重視する外交枠組みに従った「ワクチン外交」を行うという、いわば当然の結論が語られているに過ぎない。まだ「一帯一路」との関係は論じられていない。
*その後、世界で初めてワクチンを承認したロシアの「ワクチン外交」とともに、「中国も自国製ワクチンで「途上国を援助する」(習近平〈シーチンピン〉国家主席)として、アジアやアフリカ諸国などへの優先供給を約束するなど「ワクチン外交」に乗り出している」との記事。ベトナムが独自の開発に乗り出したとの記事も。
*今年に入り、ついに「一帯一路」に言及した記事が出る。
2021年1月14日付
東南アジア歴訪中の中国の王外相は、クーデター直前のミャンマーでアウンサンスーチー氏と会談。「ミャンマーはワクチンの多くを世界保健機関(WHO)などが主導する「COVAX(コバックス)ファシリティー」で確保し、不足分はインドから購入する方針だった。中国の突然の申し出は一帯一路の推進とセットだが、中国外務省によると、スーチー氏は中国側に謝意を示したという」
2021年1月28日付
世界の感染者が1億人を超える中、ますます世界規模での格差が生まれている、との記事中。「途上国へのワクチン供給が世界的な課題となるなか、自国の存在感を高めようと「ワクチン外交」を展開する動き」を指摘。中国についても言及。「中国政府は今月、ミャンマーやカンボジアなどにワクチン計200万回分以上の無償提供も表明。対立する米国などとの違いを際立たせる戦略のようだ」とした。
●uttiiの眼
こうして見ると、「中国とインドの対立」を所与の前提として、「ワクチン外交」を語るのは、少々強引のような気もする。一帯一路が「ワクチン外交」との関係で意識されるようになったのは王外相のミャンマー訪問からであり、そのミャンマーは現在、ワクチンどころではない状態に陥っている。一帯一路との関係は当然あるだろうが、中国の狙いはもっと広いような気がする。
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