日本のアパレルを薄利多売から脱却させる「一点モノ」の潜在能力

 

残念ながら、日本のファッション業界は、モードの芸術的価値よりも、ブランドの売上規模や利益に興味が強いようだ。芸術品と印刷物を区別せずに、売上という数字で評価してしまう。アートに原価率や利益率という言葉は似合わない。というか、関係ないものだ。しかし、芸術は難解であり、それを評価する評論家がいなければ、一般の人に価値を判断することはできない。ファッションも同様である。

ファッションをアートとして評価するには、プロの評論家が必要なのだ。評論家が存在しない都市でコレクションを発表しても、そのブランドの価値が高まることはない。東京がコレクションの舞台として認知されず、日本人デザイナーがパリを目指すのも、プロの評論家によるブランドの格付けにある。

3.アートの価格戦略と商品企画

服をアートとして考えることは、大量生産と薄利多売ビジネスからの脱却につながるのではないか。これまでの価格戦略は、原価から積み上げて小売価格を設定するか、市場価格の相場から素材や工賃を決めるか、という二択だった。油絵の価格を絵具とキャンバスから積み上げることはないと思うだろうが、実際には原価から積み上げる安売りの絵画もある。ビジネスホテルの客室に飾られている抽象絵画は、中国で大量生産されていることが多い。手間をかけずに、それらしく見えるアクリル絵画を量産しているのだ。

最早、アパレル市場も偽物を大量生産している状況かもしれないが、日本国内でビジネスを行うならば、アートとしての製品を考えるべきではないか。例えば、時計や自動車で考えてみよう。日本のメーカーは最初から量産品を生産していたので、ブランド価値が低い。しかし、オート・クチュールのような一点ものを作ることでブランド価値が上がるかもしれない。

たとえば自動車メーカーが特別な工房を作り、一点もののコレクションを発表する。一人のデザイナーが、車全体のデザインを統括し、細部まで妥協を許さないモノ作りを行う。それを半年に1台ずつ発表することができれば、コレクションとして発表する。価格は最低一億からのオークションを行うのはどうか。売れなければ、自動車メーカーのコレクションとして保管しておく。

その一台がオートクチュールで、その技術を生かしたプレタポルテも作る。これも完全受注生産で数量限定とする。こちらは、通常の車の5~10倍程度の価格に設定する。その下に、高級車の量産品が展開されるということだ。そして、量産品にもブランド価値が付加されるのである。

print
いま読まれてます

  • 日本のアパレルを薄利多売から脱却させる「一点モノ」の潜在能力
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け