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女芸人バービーが教えてくれた「褒めること」と「好評価」の違い

よほど偏屈な人でなければ、褒められるのは嬉しいもの。でも、褒めることは意外と難しく、教師や上司が基準もなく褒めるのは依怙贔屓になると考え避ける人もいるようです。お笑い芸人バービーさんの「褒め動画」に関する話でそんな考えを改めたと語るのは、メルマガ『j-fashion journal』著者で、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さん。褒めることは「好き」や「応援」の意思表明で、コツを掴めば、AIやロボットにはできない感情表現が相手を元気にするとの気づきを伝えています。

「好評価」と「褒める」の違い

1.依怙贔屓は悪いのか

小学校の頃、依怙贔屓(えこひいき)する先生がいた。特定の児童をやたらに可愛がる。僕は、それに納得できず、「依怙贔屓は悪いことだ」と信じ込んだ。したがって、中学生の段階で「客観的な評価で全てを判断すればいい。そもそも、結果が全てではないか。入試だって一度のテストで勝負が決まる。だから、先生なんてロボットでいいじゃん」と思った。実際には内申書もあるけど、それもいらないと思っていた。

中学校の授業参観で、「先生はロボットでいいのか」というディスカッションを行い、ほとんどの同級生は、「やはり人間の先生がいい、ロボットはダメだ」という意見だったが、僕は「ロボットの方が優秀で公正だ」と主張した。すると、僕の母親が激怒して「そんな子に育てた覚えはない」と発言し、逆に担任が「坂口君も本気で言っているんじゃないですから」と取りなしたのだが、本当は本気だったのだ。

今もその気持ちは変わっていない。人間の教師には質にバラツキがあり過ぎる。良い教師もいるが、ダメダメの教師も少なくない。だから、授業を教える先生はAI、教育プログラムで良いと思っているのだ。

社会人になっても、当然、好き嫌いはあるし、依怙贔屓もある。そもそも、日本は結果よりプロセスを重視する。これも納得できない。なぜ、結果だけで判断しないのかと。自分が講師として教える立場になっても、この気持ちは変わらなかった。「自分は絶対に依怙贔屓しないぞ」と思った。自分なりに才能を認めれば高評価をつけたし、褒めもした。しかし、自分の基準を理解できない学生は、私の態度を「依怙贔屓」と感じたかもしれない。

2.「評価」と「褒める」

「結果が全てであり、なるべく客観的に評価すべきだ」と考えていた僕は、「褒めるのが苦手」だった。「良いものは良い、悪いものは悪い」というべきだと思っていて、しかも自分の評価軸は厳しいので、どうしても辛口になってしまう。これは、ライターの仕事をしていて「辛口でお願いします」と言われたことが多かったからかもしれない。でも、「全員に平等に厳しいのだから、悪いことはないだろう」と思っていた。僕の中では、褒めることは、評価することに等しかったのだ。

しかし、つい先日、長年変わらなかった自分の考えがぐらついた。ラジオでお笑い芸人のバービーが「褒めるYouTube」について話していた。とにかく、視聴者に向けて褒める番組を流したところ「バービーさんの言葉を聞いて涙が出ました」というコメントが多かったそうだ。別に特定の人に向けて話しているわけでもなく、ある意味では太鼓持ちの「ヨイショ」を流しまくるわけだが、それでも視聴者の心に響いたのだ。視聴者の分析をすると、「元気になる」というワードで検索した人が多かったそうだ。そして、バービーの番組に出会い、その褒め言葉を聞いて涙を流したのである。

ここでは、見事に「褒める」行為が独立していて、評価の結果で褒めているわけではない。そもそも誰かを褒めているわけではなく、褒め言葉の羅列を不特定多数が聞いているだけなのだ。それでも慰められて涙を流す人がいるのだ。

僕はこれまで、「私は褒められて伸びるタイプです」と言われても、「だったら結果を出せ」と思っていた。しかし、その考えは間違っていた。「褒める」は、評価と独立したところに存在しているのだ。客観的な評価を聞いて涙を流す人はいない。僕のYouTubeを聞いて涙を流す人はいない。でも、どちらが本人のためになったかと言うと、明らかにバービーのYouTubeだ。

3.「褒める」は「好き」に近い

評価の結果として褒めるというのは、褒めることの本質ではない。赤ちゃんは「かわいいね」と褒められて育っていく。何もしなくても、「いい子、いい子」と頭をなでられる。

落ち込んでいる時、例えば、飲み屋の女将さんに、「何だか知らないけど、元気出しなさいよ」と言われるだけでも元気が出てくる。それは評価でも何でもない。褒めることも評価ではない。「私はあなたが好きだよ」「あなたを応援しているよ」という意思表明であり、だから涙が出てくるのだ。これは依怙贔屓かもしれない。依怙贔屓で元気になって、やる気になる人もいる。そして、依怙贔屓はロボットやAIではできないのだ。

考えてみれば、男性が好きな女性に対して「とてもきれいだ」と言うのは、「君がとても好きだ」と言っているのであって、客観的評価ではない。客観的には十人並みでも、好きだからきれいに見えるのである。依怙贔屓と褒めることは、恋愛感情に近いのかもしれない。

4.恋愛に近い感情のコントロール

教師や上司の立場で、恋愛感情を学校や会社に持ち込むのは危険だ。一歩間違えれば、セクハラやストーカーに直結する。しかし、「好意を持って見守る」という範囲内であれば、これは良い先生、良い上司ということになる。大切なことは、感情ではなく行動であり、節度だ。そして、感情のコントロールにも訓練が必要だ。

大学の教育学部では、感情のコントロールを教えているのだろうか。あるいは、管理職研修で感情のコントロールを教えているのか。肝心なことを教えていないから、自分の感情がコントロールできず、それが学生や部下に伝わってしまう。そして「依怙贔屓している」という評価になるのだろう。

僕は、褒めるのが苦手だ。評価も厳しい。「褒める」ことも、理性の範囲の問題だと思っていたのだ。しかし、どうやら「褒める」ことは感情のコントロールに直結しているらしい。例えば、学生が40人いる。全員を好きになって良い部分を見つける。そして、感情をコントロールして、「好意を持って見守る」姿勢を保ち続ける。そうすれば、好きな気持ちが褒めることにつながる。

褒めるも依怙贔屓も感情の問題。そして、人々は感情が傷ついている。涙を流して、抑圧された感情を解放したい。そう考えている人が多いということだ。バービーは偉い。

編集後記「締めの都々逸」

「褒めてもらって 元気になって こじれた気持ちがほどけてく」

「褒める」のって難しいですね。褒めすぎると、何か下心があるのかと疑われる。でも、好きにならないと褒められないわけです。人を好きになるのは良いことです。最近、不倫が覚醒剤並の犯罪と認定されているのか、好きになることにも臆病な人が増えています。そうすると、怖くて褒められないわけですね。

「褒める」は理性的な批判や評価ではなく、感情的な行為です。ここに気がつくのに60年以上掛かりました。馬鹿ですねえ。そして、感情を出すのを避けるのではなく、コントロールする。それが肝です。(坂口昌章)

image by: Shutterstock.com

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