右派も左派も。日本人のほとんどが知らぬ在沖縄米軍基地の大きな存在意義

 

3つ目の問題は、その日本側です。日本という経済と技術面で、存在感のある国が台湾海峡の現状維持に関して、ハッキリとした態度を示せば、台湾としても安心でしょうし、アメリカも現状維持コストを分散できます。

ですが、日本においては軽武装の範囲でも積極的に防衛力を整備しようと思うと、賛成してくれるのは枢軸国の名誉回復などという、国連やサンフランシスコ講和の精神を否定する勢力が中心になってしまいます。それでも、アメリカは仕方なしに相手にしていますが、流石に台湾の場合はそうした「日本の右派」に過剰にコミットすると、「中国側の正義」への「追い風」になってしまうわけで、非常に難しいことになります。

改憲か護憲かというのは、テクニカルな条文の問題として進めるにしても、とにかく日本サイドの「自主防衛を通じて台湾海峡の現状維持を」という勢力が、戦後世界を認めていないというパラドックスは、非常に困った問題です。

4つ目の問題は、3番目の問題の一種の派生ですが、沖縄の問題があります。基地反対派も、そして賛成派も、あるいは自主武装派もそうですが、沖縄を取り巻く安全保障環境の中で、日本サイドには「在沖米軍基地の意味は、台湾海峡の安定のため」が第一の存在意義だという認識が、ほとんどありません。

もっと言えば、沖縄における反基地感情というのは、本土にも支持者がいるわけですが、現実の安全保障、とりわけ台湾海峡の安全という問題とは、全くリンクしないところで、成立しています。では、極端な親中なのかというと、そうではなく、とにかく関連づけがされていないわけです。

では、反基地の根拠とは何かというと、例えば、沖縄における基地反対運動の背景にはまず「沖縄の誇り」というものがあるわけです。その中には、本土では下火になってきた絶対的な反戦主義というものも根強く残っています。その背景には、沖縄戦の戦場にされて自決カルチャーを押し付けられたという旧軍への強めの反発もあるわけです。

そんな中で、旧軍への違和感に、戦後の軍政への反発が重なって反基地という感情が根を張っています。その結果、同盟関係であるにも関わらず、そして東アジアの安全保障を担ってくれているにも関わらず、「基地は負担である」という論理があり、米兵が悪行をするのも「個別の犯罪を憎む」のではなく「基地の負担」として全体への憎悪になってしまうわけです。

この外部からはほぼ理解不能である、沖縄基地問題なるものがあるために、台湾の危険は増大しているわけですが、その点に関しての議論は本土でも沖縄でも全く行われていません。これも不思議な「ねじれ」であると思います。

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