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消えた怪談番組。なぜ「お盆の風物詩」はTV放送されなくなったのか?

昭和時代の夏といえば、各局がこぞって「心霊番組」を放送していたものですが、平成を経た令和の今、それらの類のプログラムを見ることはほとんどなくなってしまったと言っても過言ではありません。その原因はどこにあるのでしょうか。今回のメルマガ『富田隆のお気楽心理学』では著者で心理学者の富田隆さんが、怪談話やホラー映画などが果たす役割や日本の伝統的な怪談に隠されている高度な精神性を解説するとともに、昨今のテレビ欄から心霊番組が消えた理由を考察。その上で、「本当に恐ろしい現象」を記しています。

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怪談の意味

夏は「怪談」の季節ですね。

昔は、お盆が近くなってくると、各テレビ局で「怪談」ものや「オカルト」ものを競って放送していました。昼のワイドショーなどでも、「本当にあった怖い話」的な特集を組んで、ある種、夏休みの午後の、お茶の間の風物詩、あるいは「お盆の風物詩」となっていたものです。

そうした、視聴者から寄せられた「不思議な話」を受けて、これを解説する専門家の方々は、それぞれの番組ごとにお馴染みの顔ぶれが揃っていたものです。私が個人的に親しくさせていただいたのは新倉イワオ先生ですが、貴方は憶えていらっしゃいますか?日本テレビの昼の番組では常連でした。彼は心霊や怪談の専門家ではなく、舞台プロデューサーでしたが、穏やかな分かりやすい解説で信頼を集めていました。そして、当時は、いずれの専門家の方々も、大体は毎回判で押したような、いわゆる「因縁話」風の解説にまとめていたものです。

「階段に…、猫が…おんねん」

というのは、「あのねのね」原田伸郎さんの迷作!?『怪談 猫の怨念』ですが、こうした不思議な事件や超常現象の裏には、亡霊の「怨念」や「非業の死」が隠されている、というのが定番の説明で、こうした霊の想いを「供養」することで、大抵の怪奇現象は起こらなくなり、めでたしめでたし、となるのでした。

つまり、視聴者の体験した不思議な怪奇現象は、今は亡き者たちからの「メッセージ」であり、彼らが語るその「悲劇」に耳を傾け、これを供養するということが、一種の「年中行事」となっていたわけです。

これが、どことなく、フロイト(Sigmund Freud)やユング(Carl Gustav Jung)の「夢分析(dream interpretation)」に似ているように思うのは、私が心理学に携わる者だからでしょうか?

つまり、夢分析においては、一見不思議で非合理な夢を分析することで、その人が無意識に抱えている「想い」や「衝動」「感情」などを理解しようとする訳です。これは、夢というものを、その人の無意識領域から送られて来るメッセージとみなし、これに耳を傾け、問題解決を図る試みであり、怪奇現象を亡霊や過去からのメッセージとみなして供養しようとすることとよく似ているように思えるのです。

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【ハートに火を点けて】

もちろん、怪談話やホラー映画などには、もっと純粋に「スリル」を楽しむという、感覚レベルの娯楽性もあります。

恐怖という感情は、攻撃性(怒り)や悲しみと同様に、それ自体はネガティブなものです。しかも、人は日常生活の中で、こうしたネガティブな感情を引き起こすような体験を、全て避けて通るというわけにはいきません。そして、そうした感情を貯め込むことは「フラストレーション(frustration 欲求不満)」の原因となり、放置すればストレス状態を引き起こしかねません。

そこで、代替的な疑似体験により、こうしたネガティブな感情の鬱積を吐き出す「カタルシス(Catharsis 浄化)」が必要となります。破壊の限りを尽くすような攻撃的な映画を見たり、悲恋の物語に涙したり、ホラー映画で悲鳴を上げるといった体験は、まさにこの「カタルシス」なのです。こうした体験を経た後、「スッキリした」気分になるのは、心の中に澱(おり)のように溜まっていたネガティブな感情をきれいに排出した証拠です。それは、純粋に「気持ちの良い」快楽体験なのです。

どんなに恐ろしいホラー映画でも、映画が終わり、劇場を出て明るい日常に戻れば、それらは一場の夢、スリルも過去のものとなり、既に「克服された恐怖体験」へと変容します。それはちょうど、たとえ夢で恐怖にうなされたとしても、醒めてしまえば、それは結局、「夢で良かった」と安心できるポジティブな体験に変わることとよく似ています。

さらに、こうしたカタルシス的な快感に加えて、恐怖は、もっと根源的な快楽を刺激するものでもあります。

そもそも、脳における恐怖、攻撃、性的興奮の中枢は隣接しており、相互に影響を与え合います。ですから、恐怖により引き起こされた興奮は、容易に性的中枢の興奮にすり替えられるわけです。攻撃性でも同様の影響が生じます。

以前に、デート中に絶叫マシンに乗ることやスポーツ観戦などが、男女の性欲を刺激するというお話をしました。これらは、それぞれ恐怖による興奮や攻撃性を解放したことによる興奮が性中枢に伝わり、性的な興奮が引き起こされるということの例です。

さらに大人の貴方なら、SM的なプレイが性欲を高める仕組みについても、同様のメカニズムで説明できることをお分かりいただけるでしょう。

安全な状況で体験される「恐怖」は快楽に火を点けます。

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【社会的弱者の叫び】

以上の「カタルシス」効果も、快楽中枢を刺激することも、どちらも精神的な健康につながることであり、それだけでも「怪談」の効用は充分にあるのですが、日本の伝統的な怪談には、さらに、高度な精神性が隠されています。

それは「倫理的」なレベルのカタルシスと言えるかもしれません。ここでは「倫理」という言葉をごく普通の意味で用います。それは「善を求める道理」であり、「人の行動規範」となるものです。

江戸時代にヒットした怪談話は、『四谷怪談』であれ、『番長皿屋敷』であれ、『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』であれ、化けて出るのは皆「社会的弱者」であり、社会の底辺で踏みつけにされるような立場の人々です。

物語の被害者となるのは女性、しかも夫にひたすら尽くす「糟糠(そうこう)の妻」(貧しい時代から苦労を共にしてきた妻)であったり、武家への奉公人(今なら派遣社員)というような弱い立場の女性であったり、さらには、目の不自由な流しの按摩さん、といった人たちです。

酷い仕打ちに遭っても、今なら、「パワハラ」「モラハラ」「セクハラ」などで社会に訴えることもできるかもしれません。しかし、話は江戸時代のこと、彼らにいたっては「泣き寝入り」どころか、濡れ衣を着せられ、無礼討ちで斬り殺されたり、出世の邪魔だと毒殺されたり、長年コツコツと溜め込んでいたお金を奪われて殺されたり、というように、あまりにも理不尽な「非業の死」に追い込まれてしまうのです。

しかも、犯人たちには何のお咎(とが)めも無し。もちろん、社会体制をひっくり返すような「支援団体」も現れません。まさに、彼らは社会的矛盾の犠牲者です。

当時の善良な庶民は、こうした社会的矛盾に怒りを感じながらも、我慢をするしかなかったのです。いや、それだけではなく、気づけば、自分自身もいつの間にか弱者の犠牲の上に毎日の生活を営んでいる。もちろん良心が疼くこともあったでしょう。そうした彼らの「罪悪感」や「怒り」そして「共感」が、『四谷怪談』や『番町皿屋敷』、『真景累ケ淵』などの物語に「投影(project)」され、興業の大当たりを支えていたのです。

これらの怪談は、歴史の彼方で犠牲となった「社会的弱者」の「叫び」を代弁するものであり、社会倫理的な「抗議(protest)」に他なりません。日本の怪談における「精神性」の高さとは、人々の「倫理観」に再構築を迫るレベルにあるのです。

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【怪談は現実の中にある】

ですから、先にお話ししたような、昭和の時代の「本当にあった怖い話」や怪奇特集なども、こうした江戸文化の伝統を引き継いでおり、弱者や犠牲者への共感と鎮魂に支えられていたように思えます。

しかし、平成の間に、こうした番組は影が薄くなりました。時代も変わったのです。現代では、むしろ、敢えて「社会的弱者」の立場に自分を置くことで、権利を主張したり、自分たちの政治的目的を達成しようとする人が増えました。

本当の「弱者」はむしろ、パワハラやらセクハラやらで訴えられた個人なのかもしれません。マスコミのあり方も変質し、今や、世論を誘導し、バックに控える国際金融資本などの利権を拡大するためには、無理矢理、白を黒と言いくるめるような、強大な社会的怪物と化してしまいました。先述の「社会的弱者なりすまし作戦」を支援(あるいは企画)しているのも、マスコミです。

ですから、こうしたマスコミの一端を担うテレビ局では、真の社会的弱者を救うことはできません。彼らの振り回す「倫理」や「正義」は、世界を支配する者たちが一般人民に押し付ける、都合の良い「行動規範」であり、個人をも世界をもより善くするようなものではありません。

ですから、昭和時代の「お盆の風物詩」がテレビから消えるのも当然のことです。

現在、「江戸文化」の伝統を引き継いでいる「怪談話」は、ネットの世界に探すことができるかもしれません。いわゆる「都市伝説」や「陰謀論」の中に、こうした伝統を引き継ぐものたちが、かろうじて生き延びています。

主流メディアが、ますます「支配する側」に都合の良い「世界像」を提供するようになってくると、人々は、それが「フェイクニュース」かもしれない、あるいは「都市伝説」に過ぎないと分かっていながらも、ネットに拡散された、それらの「怖い話」を面白がるようになります。彼らは、無意識にそれらの持つ、潜在的な重要性に反応しているのかもしれません。

「相次ぐ俳優さんや女優さんの自殺は、実は暗殺だ」とか、「新型コロナウイルスやワクチン接種は人工削減計画だ」、「誘拐された幼児たちが悪魔儀式で殺されている」、「誰もいないのに、ペッパー君が見えない誰かと話していた」というような都市伝説は、現代社会が抱える病理を象徴しているのでしょう。ですから、多くの人々は「まさか」と否定しながらも、「もしかしたら」と想像力を膨らませてしまうのです。

そして、本当に恐ろしいのは、つい昨日までフェイクニュースだ、陰謀論だと笑っていた話が、今日になると突然「現実」に変わってしまうという現象です。

たとえば、「新型コロナウイルスは武漢の研究所から流出した」という話は、最近まで「陰謀論」だと否定されてきました。しかし、亡命した中共の高官や科学者たちの話を総合すると、それが現実である可能性はかなり高くなっています。その後、具体的な証拠も積み上げられつつあります。

「事実は小説より奇なり」という言葉もありますが、現実に起きていることの方が、人々の想像力を超えてしまったとすれば、それはそれで、なかなか恐ろしいことなのではないでしょうか。現代では、「恐怖は現実の中にある」ということなのかもしれません。

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image by: Shutterstock.com

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