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ホンマでっか池田教授が考察。人を衝き動かす「承認欲求」の生物学的正体

自分の存在が誰かに認められないと不安で不安で仕方がない。SNSの普及にも功罪あって、発信してみたものの思ったような反応が得られず悩む人が増えています。メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』著者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授は、一部の霊長類にはあるもののこれほど強い「承認欲求」を持つ動物は人間だけだろうと説きます。それ故に幼いうちに承認欲求を満たしてあげるのはとても重要で、満たされない幼少期を過ごすと、好ましくない活動にのめり込みやすくなると持論を展開しています。

承認欲求が満たされない人々

地価があまり高くないせいか、自宅の周りは一戸建ての住宅が多く、夏の暑い日には庭にビニールのプールを持ち出して、小さい子を遊ばせているのを見かける。幼児がキャッキャッ言いながら、騒ぎまくっているのは真にほほえましいが、「三つ子の魂百まで」の魂とは承認欲求のことなんだとつくづく思う。

承認欲求は、人間に特に強い欲求だと思う。群れで暮らす霊長類にも多少は承認欲求がありそうだが、それ以外の動物に、純粋な承認欲求があるかどうかは定かではない。イヌやネコが飼い主に懐くのは、餌がもらえたり、安全な場所を提供してもらえたり、といった生存欲求に発するもので、純粋な承認欲求を持つかどうかは微妙であろう。

脳には報酬系という神経回路があり、その中枢は、中脳の腹側被蓋野・線条体のドーパミン神経だと言われる。ここには様々な脳領域から刺激が入力され、肯定的な感情が誘発される。食欲、性欲、睡眠欲などが満たされると、満足した、楽しかった、といった快感が誘発される。食べたり、交尾したり、眠ったりすることが快感でなければ、動物は生命を維持できないので、報酬系は生存のためになくてはならない神経回路である。

人間は、それらに加え、自分の存在を肯定的に認めてもらえたり、自分の行為を褒めてもらえたりすると、報酬系が働いて、楽しい気持ちになる。農耕を始める前の人類はバンドと言われる50人~100人くらいの集団で暮らしていて、集団を離れることはほぼ死を意味したので、集団の構成員として承認されることは極めて重要であった。承認されるだけでなく、自分の行動が、集団の生存にとって何らかの役に立てば、集団内の自分の地位も安定し、その結果、自分と子孫の生存確率も上がるので、他者に褒められることも極めて重要であった。

ニホンザルの群れでも、ボスの座を維持するためにはメスたちにリスペクトされる必要があるようで、承認欲求が満たされると、報酬系が反応するのは、進化的に意味のあるシステムなのだろう。霊長類よりも下等な動物でも、群れを作るものは多いが、これは報酬系で維持されているというよりも、群れを作るべく遺伝的に決定されているのだと思う。

さて、人類が農耕を始めて、富の備蓄ができるようになると、人口は増大するが、貧富の差が広がって、格差は固定され、階級社会になってくる。指導者階級の人々は別として、大部分の農奴に近い下層階級の人々は狩猟採集生活をしていた時と違って、大勢の中の一人(one of them)となる。一番大事なのは生存することで、承認欲求は二の次になってくる。上の命令に従っているのが、生き残る最善の方途という事になったわけだ。

こういう状況では、自分をかけがえのない構成員として認めてほしいという承認欲求を顕わにするのは危険である。承認欲求が消え失せたわけではないが、承認欲求を顕わにするのはほとんどの人にとってはタブーになったのである。

さて、現在のように社会が複雑になってくると、承認欲求のあり様も複雑になってくる。幼い子どもは両親に承認されることで、人生最初の承認欲求を満たすことができる。幼い子を褒めて承認欲求を満たしてあげるのは、その子の将来にとってもとても大事なことだ。承認欲求に飢えていると、自分を承認してくれる人や組織がたとえいかがわしくとも、「自分のことを初めて認めてくれた」という喜びから、その人や組織のためにいきいきと働くようになる。

新興宗教にのめり込む人を見て、多少なりとも承認欲求が満たされている普通の人は、「なんで、あんな非科学的な教義を信じるのか、不思議だ」と思うだろうが、新興宗教にのめり込む人は、少なくとも最初は、教義を信じた故に信者になったわけではなく、承認欲求を満たしてくれたからこそ信者になったのである。暴力団のような反社会的な組織に入る若者も、自分を認めてくれる(と本人が思った)組織に初めて出会ってのめり込んで、そのうち抜けられらくなったのだろう。

もちろん承認欲求は悪の道の入り口ばかりでなく、科学や芸術の発展の原動力でもある。学者が寸暇を惜しんで思索に耽ったり実験に励んだりするのは、素晴らしい成果を出して、社会的な地位と人並み以上の収入を得たいという欲求もさることながら、同業者に認められたいという承認欲求の方が動機としては強いと思う。

ピアニストやヴァイオリニストが毎日毎日飽きもせず、練習に励むのは、演奏をするのが純粋に好きという事ももちろんあるだろうが、いい演奏をして演奏会で褒められたいという動機の方が大きいだろう。

学門や芸術の分野には、学者や芸術家の承認欲求を満たすべく様々な賞がある。賞を貰えるかどうかは、才能ばかりではなく運もあって、賞を貰えた人の方が貰えなかった人より、必ずしも優れているとは限らないが、普通は賞を貰えれば嬉しいだろうし、それを目的に頑張る人もいる。ただし、様々な政治的な配慮があって、この人がなぜ貰えないのだろうということもある。村上春樹はノーベル賞を貰えそうもない。別に悲しくもないだろうが。

自分に自信があって、評価してくれる人が一定数いれば、承認欲求は満たされるので、村上春樹ほどでなくとも、家族や組織(学校や会社)が自分の存在と価値を、ある程度認めてくれれば、承認欲求という観点からは、人は欲求不満にならなくて済む。

問題は、家族からも社会からも疎外されて、認めてもらいたいのに認めてもらえないと思っている人だ。先に述べたように、周りが全部自分と同じ農奴のような生活をしていれば、承認欲求で身を焦がすこともない。承認欲求が顕わになるのは、周囲の人々との比較において、羨望と嫉妬が起きるからである。自分も脚光を浴びているあの人のようにみんなに褒められたい。

先ごろ、NHKで放送された「NHKスペシャル 銃後の女たち~戦争にのめり込んだ“普通の人々”~」に関し、イギリス在住の作家・ブレディみかこが「エンパシーの搾取」をキーワードに戦争賛歌にのめり込んだ当時の「大日本国防婦人会」の女性たちの活動を読み解いている。

兵士への「エンパシー(相手の立場を慮る能力)」に基づき善意の活動をしていた女性たちを、当時の軍部が搾取して、国民を挙げての戦争に協力させたというのが、ブレディみかこの見立てである。私は放送を見ていないが(私は基本的にテレビを見ない)、関連している記事を読むかぎりでは、「エンパシー」よりも承認欲求をキーワードにして読み解いた方が実相に迫れると思う。

image by: Shutterstock.com

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