不幸な子だからいじめてしまう。現役小学校教諭が考える加害者にこそ伝える話

 

物隠しなどで、誰がやったかわからないまま、ということがある。やられてしまった個人がいる場合に、そこへのケアが第一優先なのは先にも述べた通りである。しかし、その時にも伝えるべきメッセージは「それをやってしまった人への心配」である。それをやったのは、確実に不幸な子どもなのである。その子どもこそが、真に哀れみと愛を注ぐべき対象なのである。

「犯人捜し」と断罪の発想になれば、行きつく先は地獄である。競争心や優劣の意識の強い人は、とかくこの発想になりがちである。「犯人」が見つからないことを「私の負け」とみなすからである。

そんなことは、取るに足らない下らないことである。ゲームやスポーツレクの勝負の結果に一喜一憂しているのと同じレベルである。勝とうが負けようが、泣いたり怒ったり文句を言ったりしていたら、本来の目的を見失っている証拠である。

大切なこと、本質的なことは、やってしまった子どもに救いの手や言葉を差し伸べることである。正直に出てこなくても、その子どもの心に残ることの方が大切である。やった子どもが発見できることよりも「あなたが心配だ」というメッセージが伝わることの方が100万倍大切なのである。だから、それを誰がやったかわからない場合、全体へのメッセージとして伝え続ける必要がある。

「周りの誰かが不幸ならば、それは巡り巡って私の不幸となる」という原則を教える。逆も然りで、仲間が幸せだと、私も幸せにならざるを得ないということである。不幸な一人の仲間を放っておくようなクラスは、自分を含めた全員が不幸になることを容認しているといえる。困っている人がいたら「大丈夫?」と声をかけて手を差し伸べる人の多いクラスにしていくことが、本質的に大切なことである(ただし現実問題として「いつも全員」がその域に達するのを目指すのはなかなか苦しい。誰しも時に余裕がないからである)。

学校の原則は、子どもが良くなる場であること。この本質さえ外さなければ、大きく間違えることはないと考える次第である。

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