日本メディアが読み取れぬ、戦争中に開幕した中国「全人代」の注目点

 

では、短期的にはどうか、といえば国内経済が多くの逆風にさらされている問題を取り上げている。報告ではその内憂外患ぶりを「感染症による世界的な影響は依然として続き、世界経済の回復の力も不足している。主要な商品の価格は高値で推移していて、外部環境はより複雑かつ厳しくなり、不確定にもなっている」と表現している。

国内経済についてはさらに厳しい見方だ。報告のなかでは、「我が国の経済発展は、需要の収縮、供給のダメージ、そして弱気な先行き見通しという三つの圧力にさらされている。局部的な感染症の発生が続いていて、消費と投資の回復には遅れが見られ、輸出の安定化はますます厳しくなっている。エネルギーや原材料の供給も依然として偏り不足し、中小零細企業や個体商の生産及び経営を困難にしている。雇用の安定という任務を一層難しくしている」と記されている。

GDP成長率の目標値の5・5%は見方によっては強気な見通しにも思える──実際にそう報じたメディアもある──が、短期的な視点から直面している問題をこうして列挙すると、政府が強い危機感を持っていることがよく理解できる。

私個人の実感からすれば、中国経済はやはり社会の安定と絡めて「物価の安定」こそが喫緊の課題ではなかろうか。

習近平国家主席が「共同富裕」を強調した裏側で、独占禁止法の厳格な運用によりアリババグループやテンセント、滴滴、バイトダンスといった巨大IT系企業をターゲットにしたのは、主に富の偏在を許さないとするアナウンス効果と、それに加えて中小企業の発展空間を確立するためであった。

大企業から中小企業へ、また持てる者から持たざるを者へと富が流れるようにすることは「社会主義的」な社会の実現のためでもあるが、むしろ西側社会が目指すアーモンド形の形成──要するに分厚い中間層の形成──のためだとも考えられているのだ。つまり社会の安定は発展と一体と考えるのだ。

このことは人権という視点でも同じだ。今回の報告でも、中国の人権ついて大きく触れているが、中国で言う人権と欧米社会の人権の大きな違いは生存権を重視する点にある。そしてこの生存権と並んで中国が重視しているのが発展権である。

今年2月25日に行われた人権をテーマにした政治局集団学習会(以下、学習会)では、「生存権、発展権を最優先とする基本的人権」という表現が使われた。つまり国民に発展を約束することは中国共産党の考える人権の一丁目一番地ということだ。全人代の報告を読む上で、日本の報道機関が最も軽視するのがこうしたテーマだ。

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