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文在寅の牢獄送りは決定か。韓国大統領選、宿敵当選で訪れる絶望

3月9日に投開票が行われた韓国大統領選で、大接戦の末に勝利を収めた野党「国民の力」候補の尹錫悦(ユン・ソンヨル)氏。韓国の国民の選択は5年ぶりの政権交代でしたが、当選した尹氏とは一体いかなる人物なのでしょうか。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える日本人著者が、尹氏の当選までの軌跡と、彼の人となりを詳細に伝えています。

尹錫悦当選者の歩み

3.9大統領選挙の開票状況を見守る「民主党」と「国民の力」の表情は刻々と変わっていった。当初、9日午後7時30分の地上波放送3社の出口調査と事前世論調査の結果、民主党の李在明(イ・ジェミョン)大統領選候補と「国民の力」の尹錫悦(ユン・ソンヨル)候補が超接戦を繰り広げていることが分かり、両党の開票状況室では終始張り詰めた緊張感が漂った。事前の世論調査で遅れを取っていた民主党は、出口調査に安堵感を示したものの、内心大きな格差を期待した国民の力は慎重な態度を示していた。

しかし開票が進むにつれ両党の表情は変わっていった。開票序盤、李候補がリードしていたため浮き立っていた民主党は、10日の午前零時32分ごろ尹候補が逆転するゴールデンクロスの瞬間が訪れると、当然ながら落ち込んでいく。ずっと1位で走っていた李候補が2位に落ちると民主党の状況室は暗く沈んだ。議員らも固い表情で状況室を後にした。京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)の自宅で開票状況を見守っていた李候補は、午前2時36分頃、自宅を出てソウル汝矣島(ヨイド)の党本部に向かった。一方、出口調査結果に戸惑いを隠せなかった国民の力は、尹候補が1位になると一斉に歓呼を発した。午前2時15分頃、尹候補の当選有力が報道されると、歓呼はさらに大きくなった。

尹錫悦当選者は1,639万4,815票を得、48.56%の得票率を記録した。民主党の李候補は1,614万7,738票で率は47.83%となった。差はわずか0.73%、票数では24万7,077票の差だった。無効票が30万票を越えているから、二人の票差は無効票より小さかったことになる。

尹錫悦当選者については、これまでこのメルマガでも何度も伝えている。ここであらためて尹錫悦のこれまでの歩みをざっと俯瞰してみたい。

検察総長として現政権と対峙した尹錫悦次期大統領は不正腐敗と立ち向かって戦ってきた自分の人生軌跡を踏み台にして「星の瞬間(大統領になる瞬間)」を逃さなかった。10年前までは平凡なエリート検事だった尹氏は、朴槿恵政府で国家情報院コメント工作事件を法と常識に基づいた原則どおりの捜査をして、結局左遷された。これを見た文在寅は尹錫悦のことを「オレの側の人間」と考えた。文在寅政府で破格的に抜擢された尹錫悦は、前政権に対する「積弊捜査」を越え、「生きた権力(現文在寅政府)」にまで刃を向けた挙句、憎まれ、自分を起用した政権と不和の末に決別した。その後、検察総長を途中辞退し、大統領選に直行し、本人のコンセプトを「公正と常識」の時代精神に置き換え、政権交代の旗を掲げた。

1960年、ソウル城北区普門洞(ソンブクグ・ポムンドン)でユン・ギジュン延世(ヨンセ)大学名誉教授とチェ・ソンジャ氏夫婦の1男1女のうち、一番上に生まれた。豊かで学究的な家庭環境は、ゆとりあるながらも好奇心旺盛な性格の肥やしになった。ソウルのテグァン小学校、チュンアム中学校、チュンアム高校を卒業した。高校時代は放課後、東大門(トンデムン)運動場に立ち寄り野球試合を観戦するのを楽しんだという。野球名門のチュンアム高出身という自負心が今も強い。所得不平等研究で有名な父親の影響で、一時、経済学者を夢見たこともある。もう少し肌で感じられる勉強をしたいと思い、ソウル大学法学部に79学番(1979年)に入学した。大学を卒業し、なんと「9度目の受験」で司法試験に合格した。本人が「近所の冠婚葬祭には全部行った」と回顧するほど、周囲の人のために時間を使い(結果)落選を繰り返したためだ。1991年の9回目の試験直前にも、万事を後回しにして結婚する友達の結婚式に参加するために大邱(テグ)まで駆けつけたが、その時、高速バスで偶然読んだ「非常上告の申請」に関する内容が3日後の司法試験に異例的に出題されたおかげで合格することができたという。非常上告の申請は、検察総長だけが持っている固有権限だ。尹次期大統領はこれについて「運命」と語ったことがある。

1994年、司法研修院を23期修了した尹次期大統領は、弁護士として開業しようとしたが、「3年間経験しよう」として飛び込んだ検察に26年間も勤めることになる。「スター検事」ユン・ソンヨルの成長期は反転ドラマの連続だった。大邱地検で初任検事としてスタートし、序盤は晩学で平凡な経歴を積んだ。盧武鉉政府発足後、大型特殊事件に投入され、「刀鍛冶」として名声を築いた。

02年、一時検事の服を脱いで法律事務所大手の太平洋(テピョンヤン)で働き、1年後に「検察庁の廊下で作るジャジャンミョン(ジャージャー麺)のにおいが懐かしい」と言って実家に帰ってから出世階段を上り始める。

線の太い捜査スタイルで李明載(イ・ミョンジェ)、鄭相明(チョン・サンミョン)元検察総長ら先輩の寵愛を受け、大型事件の捜査の度に選出された。そのおかげで、最高検察庁中央捜査部とソウル中央地検特捜部の要職をあまねく経験した。この過程で特別なボス気質で「ユン・ソンヨル軍団」を構築したという批判を受けたりもした。

尹次期大統領が一躍スターになったのは、2013年朴槿恵政府当時、国情院コメント事件と関連し国会国政監査で上部の捜査外圧を暴露してからだ。「人に忠誠をせず、法と常識に忠誠をつくす」と突き放した国政監査長の本音発言は歴史の一場面として残っている。政権に憎まれ、地方高等検察庁検事に左遷され、約4年間、流刑地を転々としながら忍苦の歳月を送った。不当な圧力に屈しない「硬骨検査」のイメージを大衆に印象づけた。この頃、民主党の中心人物から総選挙出馬を勧められた時は「検察に残って後輩の面倒を見るべきだ」「後輩たちがわたしを政治検事と見るのではないか」と婉曲に断ったという。

特捜部検事としては息の根が切れた(左遷されまくり)かに見えた尹次期大統領は、2016年の弾劾政局を迎え、チェ・スンシルゲート特検捜査チーム長として華やかに復活した。文在寅政府に入って、いわゆる「ろうそく革命」の功臣として、先輩を押しのけてソウル中央地検長に抜擢された。「積弊清算」捜査と公訴維持を陣頭指揮し、李明博・朴槿恵元大統領に対する重刑を引き出した。朴元大統領に賄賂を渡した容疑で李在鎔(イ・ジェヨン)元三星電子副会長を拘束起訴した。司法行政権乱用疑惑に巻き込まれた梁承泰(ヤン・スンテ)元最高裁長官も収監させた。当時、保守陣営は厳しい捜査に強く反発したが、尹次期大統領は特検内部で、朴元大統領に対する非拘束捜査を主張したと、後日周囲に話していたという。

チョ・グク事態が、今日の「政治家ユン・ソンヨル」を作った変曲点だった。検察の首長として「生きた権力にも厳正でなければならない」という文大統領の願いを文字通り行動に移し、チョ・グク元法務部長官一家に対する強力な捜査を推し進める。現政権にとっては目の上のたんこぶのような存在になった瞬間でもある。チョ・グク元長官の娘の入試不正疑惑や夫人のチョン・ギョンシム教授の私設ファンド疑惑だけでなく、大統領府の蔚山(ウルサン)市長選挙介入疑惑、月城(ウォルソン)原発の経済性操作疑惑まで追及した。結局、政権と全面戦を宣布した格好となった。与党議員は一斉に彼に背を向けた。チョ・グク元長官の後任である秋美愛(チュ・ミエ)元法務部長官との葛藤に、「検収完縛」(検察捜査権の完全剥奪)を試みる民主党との正面衝突が重なり、現政権との確執は取り返しのつかない状況に陥った。尹次期大統領は結局昨年3月、「正義と常識が崩れるのをこれ以上見過ごすことはできない。検察でのわたしの仕事はもはやこれまで」と辞任の弁を残し、任期を4か月余り残して検察総長の職を退いた。

文在寅政府と対立していた尹次期大統領は、自然に野党代表に担ぎ挙げられた。次期大統領選候補世論調査で、与野党合わせて支持率1位を走り始めることになる。全国選挙で4回相次いで敗北し、政権プランすらなかった保守陣営は、尹次期大統領を代案としてラブコールを飛ばした。3か月余り家に蟄居しながら基礎体力を鍛えた尹候補は「6.29宣言」を通じて大統領選への挑戦を公表した。公正と常識という時代精神を土台に圧倒的な政権交代を実現するという尹錫悦のコンセプトは、進歩を標榜した政権主流政治勢力の「不公正」と「ネーロナンブル」に疲れた国民にカタルシスを与えた。周辺では、尹次期大統領の父親が忠清南道公州(チュンチョンナムド・コンジュ)出身で、近くの論山(ノンサン)に坡平・尹氏の集成村があるという点を機に、「忠清大望論」を吹き込んだりもした。忠清道を遊説するときにはいつも「忠清のアドゥル(息子)、ユン・ソンヨル」と言っていた。

汝矣島(ヨイド)文法(=日本で言えば永田町スタイルほどの意)に慣れていなかっただけに、初期の適応過程は順調ではなかった。「ユン・ソンヨルXファイル」論議で道徳性リスクが浮上し、果敢だが下手な話法で何度も非難を浴びた。昨年7月末、電撃的に「国民の力」に入党してからも、李ジュンソク代表との不和説が取りざたされるなど右往左往した。「全斗煥擁護」論発言や「犬の謝罪」SNS書き込みは致命的な失策とされる。ただ、党内選挙の過程で、柳承敏議員、元喜龍(ウォン・ヒリョン)元済州道知事らライバルから波状攻勢を受けながらも、堅固な支持率を維持する底力を誇示した。政権の中核に立ち向かい、屈しなかったというイメージのおかげで、党員から全面的な支持を得ることになる。

大統領選本選に飛び込んだ尹氏は、何度も試験台に上がり、政治家に成長した。李ジュンソク代表との葛藤解消は第一関門だった。昨年11月、李代表が「尹核官」(尹次期大統領の主要関係者を略した言葉)を狙撃して地方を回ると、蔚山まで訪れ、深夜の直談判で事態を収拾した。今年1月、議員たちが李代表に対する辞退要求決議案を通過させようとした時も、太っ腹に議員総長を訪れ、李代表と手を取り合って「ワンチーム」を宣言した。「三顧の礼」で迎え入れた金鍾仁(キム・ジョンイン)元総括選挙対策委員長が自分に「演技だけしろ」と「毒舌」すると、選対を解散する勝負に出るという賭けに出たりもした。

選挙対策本部を実務型に縮小した尹次期大統領は、全羅道(チョンラド)と「2030世代」に積極的に取り組み、支持率アップの契機を作り出した。女性家族部の廃止など、特定支持層を狙った公約も次々と打ち出している。テレビ討論では、民主党の李在明候補の「大庄洞ゲート」関与疑惑を取り上げ、検事が被疑者を取り調べるような場面を演出する戦略を展開した。事前投票の前日、尹氏は、「国民の党」安哲秀代表との劇的な一本化で政治力を立証した。安代表の決裂通知に対し、これまでの交渉内容を公開する「駆け引き」を繰り広げ、完走を公言していた安代表から自ら辞退と支持宣言を引き出したのだ。

過半数の政権交代世論を追い風に、新政府の舵取りに成功した尹次期大統領は、「与小野大」の不利な院内地形を克服し、具体的な成果を出さなければならない難しい課題を抱えることになった。政治報復の悪循環の輪を断ち切って、国民統合と民生回復の夢をかなえることができるか注目されるところだ。対日関係においても、無条件に日本が嫌い、といったスタンスは見せないものとみられる。米韓安保を土台に日本とも有効な関係を築いていくことになるだろう。仲の悪い二人(李ジュンソク代表と新しく合流した安哲秀)をいかにうまく政府の駒として動かしていくかなど、前途多難ではあるけれど、法と常識に基づいたマインドをこれまでのように貫いていくなら、韓国という国は安定と輝きを放つ東アジアの要衝の地となっていくであろう。李に期待するところは大きい。

(無料メルマガ『キムチパワー』2022年3月10日号)

image by: 国民の力 - Home | Facebook

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韓国暮らし4分1世紀オーバー。そんな筆者のエッセイ+韓国語講座。折々のエッセイに加えて、韓国語の勉強もやってます。韓国語の勉強のほうは、面白い漢字語とか独特な韓国語などをモチーフにやさしく解説しております。発酵食品「キムチ」にあやかりキムチパワーと名づけました。熟成した文章をお届けしたいと考えております。

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【著者】 キムチパワー 【発行周期】 ほぼ 月刊

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