インドという国を語るとき、私たちはしばしば「巨大市場」「人口大国」「急成長する経済」といったマクロな言葉を思い浮かべがちです。しかし、かの国はそれだけではない力を持っています。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、去る12月13日に行われたシンポジウム「南インドを知る─学術・経済交流を見据えた日印の未来ビジョン」で得られたインドと日本のつながりについて紹介しています。
まずは進めてみることで見えるインド世界と地域の力
フェリス女学院大学で12月13日に行われた「南インドを知る─学術・経済交流を見据えた日印の未来ビジョン」では、インドと日本からの多彩な登壇者により、新しい視点からの新鮮な知見を手に入れるよい機会となった。
南インドの多様な社会と危機対応や、今年の日印首脳会談で発出された共同宣言の基盤には前線で奮闘する外交官の人と人のつながりがあること、日本とインドの特殊な関係性、そして経済発展著しい中での、社会変化と変わらない社会課題をも浮き彫りにした。
大学には学生のみならず様々な世代の方に来ていただいたが、学生が響いたのはおそらく、インド人が綿密な計画がなくても、前に進もうとするエネルギーを持ち得ていることであろう。
これが結果的に技術的イノベーションを導いているのだと考えると、インドから学び、勇気づけられる思いがする。
登壇した外務省の宮本新吾・南部アジア部長は、今年来日したモディ首相と、石破茂首相(当時)が東北新幹線に乗って仙台に行った際にも同行し、車内で楽しそうに談笑する両首相の傍らで対応したことを紹介。
南部アジア部長として南アジアの広い地域を担当しながらも、インドを訪問する機会が多く、在インド大使館勤務中から地域とのつながり、インドの友人や「家族」の存在を大切にしてきたという。
今後5年間で10兆円を日本からインドに投資する大きな計画は、そんな外交官の密な人間関係が基盤になっているようだ。
また、インドと日本の両首脳は定期的に往来しているが、その往来は一緒に地方旅行(視察)することも慣例になっているという。
そんな特別な関係を横浜の視点で説明してくれたのが横浜インドセンター会長のナリン・C・アドバニ氏である。
祖父から横浜で貿易を営む歴史や元町・中華街のインド人居住区、現在におけるインドと日本の絆の強さの根源を教えてくれた。
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神奈川県はシンガポールの駐在事務所がインドを担当し、企業誘致や人的交流を推進しており、最前線の活動を神奈川県東南アジア事務所に駐在する仁谷浩之氏が紹介した。
インド側からは、ベンガル─ルのセントジョセフ大学社会学部のチャンドニ・バンブハニ博士が、南インド4州での居住地の分断(レジデンシャル・セグリゲーション)を検証し、都市の中心部におけるカースト階層の回復力と適応性が示されると言及した。
低いカーストの人々は、引き続き資源の乏しい非公式居住区に住み続け、分断の程度は、大都市、中規模都市、小規模都市間で異なるという。
チェンナイにあるステラマリスカレッジのパドマ博士は、新型ウイルスによるパンデミック下では女性へのドメスティック・アビューズ(DV)が増加し、医療システムの過負荷により被害者への医療的ケアが困難になった事実を紹介した。
多くの女性が虐待による身体的・感情的な傷を負っている事実を突きつけた。
同カレッジのシンシア・ジュード博士は、南インド各州の特徴、社会経済的、文化的背景を示し、各地域で違った公衆衛生・草の根・デジタル・宗教団体の対応や地方自治体の役割を説明した。
パンデミックは雇用の喪失や移住労働者の離散、教育の中断、メンタルヘルスの危機に代表される長期的な影響が生じており、それは深い傷跡を残しているという。
一方でコミュニティ主導のネットワークや女性の自助グループ、宗教団体が回復とレジリエンスで重要な役割を果たていることも指摘した。
南インド・マンガロール出身の上智大のアルン・デゾーサ博士は、日本には伝わらないインドの地域レベルでの危機への対応やその多様性を再度確認し、南インドとの関係を深化させていくために重要な情報を共有したことを評価した。
私自身、学術レベルで南インドとの交流が始まったことを再認識し、今後の出会いと展開が楽しみである。
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