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聖徳太子の時代から日本人の根幹に根付く「国力の源」とは何か

私達が住む日本という国は、何を目指しているのでしょうか。ロングセラー『君と会えたから』『手紙屋』などの著者として知られる作家の喜多川泰さんのメルマガ『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』では、今回、古代から現代にいたるまで日本が目指し続けている国のあり方について紹介。現代日本人にも根付いている日本の価値観はどこから生まれているのかを語っています。

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国力の源

古代から現代に至るまで、日本が目指した国のあり方は変わっていません。一言で言えば「みんな仲良く」です。なぜなら、「日本人はみんな家族だから」と言ったらみなさんは驚くでしょうか。

今上天皇(きんじょうてんのう…在位中の天皇陛下は今上天皇とお呼びします。例えば、推古天皇とか、天武天皇とかみなさんご存知の天皇のお名前は、天皇が亡くなった後に功績を讃えて贈られる諡号です)は126代です。

ということはもちろん初代がいたわけですが、初代の神武天皇から10代目の崇神天皇までに日本全国の豪族たちを支配下に抑えていったと思われます。

どうやって?

中国では、秦の始皇帝が中華統一を果たすために戦争に次ぐ戦争を行い他国を滅ぼしていったことは有名です。日本はまったく別の方法で豪族を平定していきました。それは、血縁関係を結ぶこと。つまり親戚になることでした。

日本全国の豪族たちが天皇と血縁関係のある親戚になっていったと古事記に記されています。日本が統一されていった時代の遺跡や遺骨には戦闘の形跡がないことから考えても、どうやらそれが事実らしいと考えられます。

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ちょっとした計算をしてみましょう。すべての人には両親がいます。そしてそのそれぞれに両親がいる。そうやってさかのぼると10代前にはご先祖さまは2の10乗、つまり1,024人必要です。そこからさらに20代さかのぼると、なんと10億人の先祖がいることになります(2の30乗ですね)。

一代が25年平均だとして30代前は750年前。時代で言えば鎌倉時代。当時の日本にそれだけの人口がいたはずもありませんから、やはり我々はどこかでみんな繋がっていそう。

それに、その倍以上前からこの国はあるわけですから、あなたも血筋をたどるとどこかで地方豪族の先祖が一人くらいはいそうでしょ。その地方豪族はことごとく、天皇の親戚になっていった。そうなるともう、あなたも私も皇族の親戚筋だとなるわけです。

こうやって天皇家は、日本国民の家長的存在としてすべての国民の幸せを祈る役割を担うことになっていきます。

さて、その家長が、国民という家族たちに「我が家ではこういうことを大切にしているんだよ」と伝えてきたことがあります。それが、「みんな仲良くね。だって家族だから」です。もちろんかなり平たく言えばですが(笑)。

聖徳太子が摂政(天皇が幼少期などに代わりに政治を行う責任者)であった604年、「十七条憲法」が制定されました。

もちろん今の憲法のような役割ではなく、官僚や貴族に対する道徳的行動規範という意味合いが強かったのですが、要は、「この国はこんな国にしていくんだぞ、そのために官僚や貴族はこういうことを大事にするんだぞ」という声明文であることに変わりはありません。そして、その精神は今でも日本人の根底に流れています。

「第一条」はあまりにも有名ですよね。

「和を以て尊しと為す」

これこそが、日本という国のあり方を決定づけたと言ってもいいと思います。これがどれほど意味深いものかは、続きを読まなければ見えてこないかもしれません。

第二条 「篤く三宝を敬え」

第三条 「詔を承りては必ず慎め」

と続きます。そして最後の第十七条。大体、最初と最後は一番言いたいことがくるものですが、最後に来たのはというと、

「大事な物事は独断で決めてはならないよ。必ず話し合うこと」

って第一条の繰り返しやん!

国を運営する立場として何より忘れてはいけないのは「和」であると繰り返したわけです。

第二条の「三宝」とは仏教の教えのことです。

ここは今の僕たちとは感覚がずれるところかもしれませんが、当時の人たちにとって仏教とは、今の我々にとっての仏教とは違っていたと、僕は思っています。

聖徳太子より前の時代は、日本に仏教という考え方は浸透していなかった。異国から入ってきたばかりのまったく新しい考え方だったはずなんですね。どうして仏教を政治にとり入れる必要があったのか。

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ちょっと話はズレますが、聖徳太子からもう少し時代が下って奈良時代。日本国内では天然痘が大流行します。当時の日本の人口の3分の1から4分の1の人が亡くなったと言われていますから、今のコロナの比じゃない。その猛威は庶民だけではなく、当然ながら貴族にも及んだ。国政を担っていた藤原四兄弟も全員が天然痘で次々と亡くなるんですね。

今の我々は、天然痘はウィルスによって感染することを知っていますが、当時は目に見えない死に至る病がどうしてもたらされるか誰にも分からない。

そして、一つの結論に至る。「これはきっと怨霊のせいだ」と。

これは笑い事ではない。当時の人たちは真剣にそう考えた。令和の今でも、一つの家庭で4人の兄弟が短い期間に次々病に倒れて亡くなったら、「あの家は呪われている」「お祓いした方がいいんじゃないの?」って真剣に助言する人が出てきますよね。

そして、言われた方も「そうかもしれない」って思う。「普段の行いが悪かったのかも」とか真剣に疑い始める。これだけ「ウイルスが原因」と解明されている現代社会においてすらそうなんですから、昔はもっと真剣にそう思っていた。というか、そうとしか思えなかった。

ところが困ったことに「怨霊」を止める手立てが日本にはないんですね。

実は日本の神様は海外の神様と違って全知全能ではないんですね。日本の神様は怨霊、つまり無念のうちに死んだ人の恨みを止めることができないのは古事記を読めばわかります。

キリスト教やイスラム教など、海外の神様は怨霊より強いんですね。だから、先住民を虐殺して得た土地に、街を作ってそこに住んでいてもあまり気にしない。「神の意志に従ったまで」なので安心して住める。いわば、そこで亡くなってしまった人の怨霊よりも神の力の方が強い。

ところが、日本人はそんなことはできないんですね。「前王朝を倒して、そこに新しい王朝を」なんて「祟り(たたり)」が怖くて誰もできない。なにしろ日本の神様には怨霊を止める力はないんですから。天然痘の原因が「怨霊」ならば、日本の神様に神頼みをしても事態は改善しないんですね。それならどうするか。

そう、外国で最先端科学を学んで帰ってくるしかない。日本にはなくても、世界のどこかには天然痘を克服できる方法が存在しているかもしれないんですね。だから、当時の最先進国「中国」に学びにいく。

そこで、「大陸の方では仏教という教えがあって、人々の平和のために大仏を作っている」と知る。さらに、日本でも奈良に大きな大仏を作ることになる。こんなに大きな仏様なら天然痘を起こす祟りよりも強いんじゃないかと期待するんですね。

結果は、あれほど大きな大仏をもってしても天然痘は克服できなかったのですが。大仏も作ったら作ったで、今度壊してしまったら、大仏の祟りがありそうで怖い。だから都は移っても大仏は残される。実際にはそうやって大陸に行った人が天然痘ウィルスを持ち帰っていたなんて考えもしなかったでしょう。

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話を戻しますが、そう考えると、当時の人たちにとって「三宝」とは、「他国の進んだ知識」だったと思うんです。つまり、当時の「最先端科学」です。

第二条ではそうやって「海外の新しい知識や考え方を取り入れなさい」って言ったんじゃないかと思うんですよね。

そして、第三条で初めて「詔は承りて必ず慎め」と「天皇の命令」についての話が出てくる。「天地の法則に基づいて天皇が出すものだからちゃんと聞くように」と言っているわけです。

だから、この国の治め方として、最高権力者からの命令の前に、まずは「和」を大切にしてみんなで話し合って決めなさい。それから海外からも最新の考え方を学んで、その上で、日本の国土に昔からある自然の法則から命令をするからそれを聞いてね、って言っている。

これが他の国なら、第一条に「詔」が来るはずです。為政者は、「何よりもまず、私の言うことを聞け!」と言うはず。でも、日本ではそれよりも「和」が大事。

和を乱すような決め方、例えば権力者の鶴の一声とか、少数派が威圧的にものをいってそれを通すということをよく思わない。そして、できる限りみんなが納得できるような解決方法を探す。

なぜなら、納得しない人が生まれてしまうと、新たな怨霊を生む可能性が残るから。

だから時間はかかるかもしれないし、非効率かもしれないけどみんなで話し合おうね。そしてみんな仲良くしようね。なぜなら、日本国民はみんな家族なんだから。

これこそが日本文明の特徴と言えるし、日本という国の国力の源になっている。

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先の戦争で多くの日本人が戦争に行きました。生きて帰るのは難しいとわかっていても戦地に赴くことができたのは、自分がいなくなっても日本という国さえ無事であれば子供たちは大丈夫だという確信があったからだと、戦後アメリカは分析します。

GHQは日本の強さを、民族全体の血縁的つながりにあるとみて、学校で、天皇、神話、神社について教えることを禁止しました。

GHQによる日本支配は1945年から1952年までの7年間でしたがいまだにそれを学校で教えないのは、学校においてそれらを教えないように監視する団体(のちの「日教組」)を作らせてから日本を去ったからでしょう。

結果、僕たちは「日本人はみんな家族だから」という血縁的つながりを忘れてしまった。でも「和を持って尊しとなす」という文化的根源は、心のどこかに残っている。

この日本文明の根幹ともいえる「みんな仲良くしようね。だって家族だから」という価値観が、日本という国を、世界の中で特別な、豊かで、治安良く、発展する社会にするのに役立ってきたのは間違いないと思います。

そして、その根幹をなくしてしまったら、日本という国は、世界のどこにでもある、ちょっとだけ経済的に豊かな国でしかなくなってしまうと思うのです。

一つの文明というのは、何千年もかけてそこに生きた人たちが大切につなぐことで伝えられていきます。同時に、それをしなくなった瞬間に歴史から消えてしまうというのも事実です。

2000年以上続く奇跡の文明、そして日本という国を、次世代につなげることができるのは、今を生きる我々だけです。そのためにも、日本という国が何を大切にしてきたのかをまずは知ることが大切だと大人になって「日本」を学ぶようになって、日々強く感じています。

この記事をきっかけに、僕たちの祖先たちが何を大切にしてきたのか「日本」を学び直してみては?もちろん僕自身もまだ学びの入口に入ったばかりのところにいるのですが。それでも充分すぎるほどに、世界の他のどの国にも存在しない「繁栄永続の秘訣」や「次世代に手渡したいバトン」がたくさんあることに気づきます。

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image by: Shutterstock.com

喜多川泰この著者の記事一覧

1970年生まれ。2005年「賢者の書」で作家デビュー。「君と会えたから」「手紙屋」「また必ず会おうと誰もが言った」「運転者」など数々の作品が時代を超えて愛されるロングセラーとなり、国内累計95万部を超える。その影響力は国内だけにとどまらず、韓国、中国、台湾、ベトナム、タイ、ロシアなど世界各国で翻訳出版されている。人の心や世の中を独自の視点で観察し、「喜多川ワールド」と呼ばれる独特の言葉で表現するその文章は、読む人の心を暖かくし、価値観や人生を大きく変えると小学生から80代まで幅広い層に支持されている。

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