父親に「世界をまたにかけろ」と言われ続けた少年はどうなったか

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自分が伝えたい思いや理念などを言葉にした際、相手があまりに無反応であったり薄い反応しか見せない場合、伝えること自体をやめてしまいたくなる気分に陥りがちです。しかし、今回の無料メルマガ『起業教育のススメ~子供たちに起業スピリッツを!』では著者の石丸智信さんが、そんな状況であっても諦めず伝えることの重要さを、とある作家さんの講演内容を紹介しつつ記しています。

想いの言葉は種になっている

私たちは、これまでの経験などの中で、親や先生、先輩、上司、同僚など、色々な方から様々な助言などを受けてきていると思います。その助言に対して、私たちはどのような反応をしてきたでしょうか。

以前、『賢者の書』や『手紙屋』などの著者である喜多川泰氏の講演会を聴講する機会がありました。その講演の中で、「素直じゃないからといって…」というテーマがありました。そのテーマでは、親や先生など大人が言ったことに対する子どもたちの反応についての内容があり、とても印象に残っています。

本号では、その内容を踏まえて、個人としての想いや組織の理念などを伝え続けることについて考察していきたいと思います。

講演会の中で、喜多川氏は、ご自身も小さい頃は、父親の言葉に対して「無反応だった」とお話されていました。そして、父親と食事をしていると、父親から「世界をまたにかけろ!」とよく言われたそうです。

私たちが小学生ぐらいの頃に、もし、父親などの大人から同じ言葉を投げかけられたら、どのような反応していたでしょうか。「はぁ~~?」といった顔つきになり、なかなか返す言葉もなかったのではないでしょうか。目をキラキラさせて、「そうだよね、世界をまたにかけるよ」などとは思わないのではないでしょうか。

喜多川少年もその言葉に対して、左から右へといった具合に反応せずに無反応だったと振り返っていました。

では、もし立場が逆だったらどうでしょうか。

子どもたちに対して、私たち大人が、喜多川氏の父親のように、自分たちの想いなどを語ったとします。その想いなどに対して、子どもたちから反応がなかったとしたら、どのように思うでしょうか。

きっと、「聞いているのか、いないのかわからない」「素直に聞いてくれない」とか、この無反応が繰り返されると、「言ってもしょうがないから言うのをやめてしまおう」なんて思ったりしないでしょうか。反対に、子どもたちから笑顔でうなずかれたりすると、反応があったとうれしくなったりしますね。

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