数年前の日本訪問の際、日本の元老ジャーナリストに(カン・チョンソク=コラムニストが)「政治家安倍の強みは何か」と尋ねた。返事が少し意外だった。「日本の政治家の中で右翼をコントロールできるのは安倍だけだ」と言われた。
右翼に反対する政治家、右翼を扇動する政治家はあまたいても右翼に振り回されず決定的瞬間に停止信号を送り、その信号が受け入れられる政治家は安倍しかいないということだ。
そのために支持基盤である右翼が「安倍に裏切られた」と猛烈に反対したにもかかわらず、2015年「韓日慰安婦合意」を引き出すことができたという説明だった。
文在寅はこの政府間合意の実践を先送りし、2017年12月に何の代案もなく合意破棄を宣言し、両国関係は泥沼に転がり込んだ経緯がある。
日本では安倍元首相の治績(=功績)で、揺れていた日米同盟を堅固に立て直して安保不安を解消し、バブル崩壊後20年間不況にあえいでいた日本経済に蘇生の希望を吹き込んだ。
彼は在任中、トランプ米大統領と14回の首脳会談を行った。会談の度にトランプは「日米同盟は米国に不公正だ」と圧迫した。
安倍首相はこのような日米関係を、北朝鮮がミサイルを発射すればトランプ大統領が文在寅ではなく安倍に先に電話で意見を聞く関係にまで引き上げた。
「衰退する日本と衰退する米国は、互いに力を合わせなければ中国を阻止しがたい」というのが安倍首相の基本的立ち位置だった。米国は安倍首相死去後、米国のインド・太平洋戦略樹立にアイデアと表現まで提供した政治家として褒め称えた。
日本の株価は1989年12月、3万8,915円という過去最高を記録した。この株価が1990年初頭から崩れ始め、2011年は8,445円へと急落した。この状況で政権を握った安倍首相は、アベノミクス経済政策を通じて株価を任期終盤3万円台近く引き上げた。
アベノミクスは当初掲げた政策目標数値を半分程度達成した(大したもの)ものと評価される。500万の雇用を新たに創出したのも大きな成果だった。









