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仕事とは“お金を稼ぐこと”なのか?「生涯現役」という言葉の違和感

自分のため家族のため一生懸命勤めて定年を迎えた後、何をしていいかわからなくなる人が少なからずいるようです。「仕事」以外の時間の使い方を知らず、お金にならないことは「仕事」ではないと考えていると、シルバー人材センター等に登録して働く“偉い”老後を過ごすか、定年離婚や引きこもりという少し残念な老後を迎えることになると考えるのは、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんです。今回のメルマガ『j-fashion journal』では、定年後20年はある「自由な時間」の使い方次第で、“幸せな老後”になるか否かが決まると綴っています。

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自分の本当の時間

1.与えられた仕事は無駄と思わない

子供の頃、自分の好きなことをしている時間が最高に楽しかった。でも、そんな時に言われるのが「勉強しなさい」「宿題しなさい」だった。勉強も宿題もつまらない。なぜ、好きなことをしてはいけないのか。好きなことをするのは面白いし、充実しているのに。

大人になって、会社に入ると、今度は仕事が待っている。仕事に慣れると、自分で考え、自分で仕事を組み立てたくなる。上司からの理不尽な指示は受け入れがたい。それでも勝手は許されない。最終的に、私の場合は上司と意見が対立して組織から飛び出すことになってしまった。良識ある人達は組織の中で定年を迎えるのに。

会社では仕事が与えられる。与えられた仕事をしている時は、仕事に疑いを持たないのが普通だ。人生の中で、仕事をしている時間は有意義なのか、無駄なのかとは考えない。

歳を重ねると、ふと思うことがある。我々にとって、有意義な時間とは他人から指示されて勉強したり、仕事をすることなのか。それでいいのだろうかと。私の場合、独立してフリーランスになってから、比較的自由に仕事ができるようになった。誰からも具体的な指示はされず、結果だけ出せばいい。全ては自己責任だ。自己責任は大変だが、一方で気楽でもある。誰かを巻き込むことがなく、自分で完結できるからだ。

フリーランスになると、会社の仕事には無駄が多いことが見えてくる。多くの会議は無駄だし、無駄な組織も存在する。でも、当事者にとっては無駄な仕事であるはずがない。本人にとっては大切な仕事。外部からみると無駄な仕事。第三者だから見えることもある。

2.お金になる仕事は善?

組織の中で真面目に働いてきた人ほど、定年を迎えると戸惑いを覚えるようだ。誰からも指示されなくなり、仕事も与えられない。そして、組織の仲間とも離ればなれになる。会社に勤めている時は、「自分の本当の時間は仕事をしている時間」と思っている人が多いだろう。その本当の時間が強制的に奪われるのだから、戸惑うのも無理はない。

会社員の人生は、生れてから死ぬまでの約半分を会社中心で過ごす。4分の1の時間は、社会人になるための準備に使う。定年後の4分の1は、誰にも管理されずに自分の時間が持てる期間だ。しかし、この人生の最後に与えられた最良の時間を生き生きと過ごす人は意外に少ないようだ。

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会社員として過ごす時間は、常に予算や売上、自分の給料などお金のことを考えている。生活するにもお金は必要だし、趣味を楽しむにもお金は必要だ。だからお金のために働いている。お金のことを考え、お金のために働くことが善であり、お金にならないことは悪であるという刷り込みが数十年にわたって行われるのだ。人生の半分の時間を使ってじっくりと行われ、それが常識だと思うようになる。

このままの状態で定年を迎える人は不幸だ。定年後に用意されている仕事の多くは、単純作業で報酬も低い。つまり、自身が低い評価をしていた仕事だ。会社で責任ある仕事を任せられていた人も、定年後は評価の低い仕事しか与えられない。その仕事をすることが本当の自分の時間なのだろうか。

3.自分で考え行動することは悪?

子供の頃、夢中になった時間はお金が目的ではない。好きなことに熱中したから楽しかったのだ。しかし、お金にならないこと、自分の好きなことをするのが悪であると刷り込まれてしまった。好きなことをするのも、好きなことを探すのも悪だと考えるようになってはいないか。

自身を支配する者の命令に従うことだけが善であり、自分で考え行動するのが悪だと考えてしまう。定年になってから、最初に行うべきことは、このカルト的な思想から脱却することだ。他者に従う期間は終わり、解放されたと理解すべきだ。

そして、贅沢はできなくても、年金でそれなりの暮らしができるならば、金を稼ぐための時間ではなく、自分の好きなことをする時間を確保しなければならない。そうしないと、死ぬ間際に後悔することになる。死の間際、もし自分の人生に後悔があるとしたらどんなことか。終末医療の現場のレポートでは、「なぜ、もっといろいろなことをしなかったのだろう」「なぜ、好きなことをしなかったのだろう」という声が最も多いという。

上司の言うことを聞いて、定年後は妻の言うことを聞いて、あるいは医者の言うことを聞いて自分の行動を決めてしまう。それでは自分の時間とは言えないのではないか。

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4.現金収入以外の仕事もある

江戸時代の日本では、国民の8割が農民だった。当時の農民は、農業だけを仕事としていたわけではない。道路や水路の整備や補修、住宅の建築、農閑期の機織り、藁細工や竹細工、家畜の飼育など、ありとあらゆる手仕事に熟練していた。同時に、自然や天候、動植物等の知識を持っていた。勿論、文字の読み書きもできた。祭では、能や神楽、踊りや三味線、太鼓、笛などを披露していた。

農民の仕事は過酷である。しかし、その中にも仕事の楽しみは存在していたし、祭というイベントも存在していた。農民の仕事は、基本的に自給自足と年貢のための米作等だが、江戸中期以降は貨幣経済が発達し、現金収入を目的とした仕事も増えていった。

サラリーマンの仕事は、現金収入のための仕事だけだ。それ以外は仕事とは思っていない。それでは専業主婦の仕事は仕事とはいえないのか。現金収入にはならないが、家事は生活を維持するための大切な仕事である。地域コミュニティの仕事もある。地元の町会や消防団の仕事、PTAの仕事等だ。

サラリーマンは会社以外の仕事は家族に任せていた。しかし、お金にはならない仕事があると認識すれば、家族のための仕事、地域のための仕事も見えてくる。定年とは会社との契約上の話であり、仕事をやらなくてもいいということではない。この認識がずれていると、定年離婚や引きこもり生活に一直線に向かうことになる。

5.本当の自分の時間を優先する

自分と家族の生活のための仕事、地域コミュニティのための仕事があるといっても、定年後はまだまだ時間はたっぷりと残っている。平均寿命を考えても、20年程度は残されている。

その20年の中でどれだけ「本当の自分の時間」を体験できるのか、が幸せな老後生活に直結している。逆に、20年を家族や地域のための仕事もせず、「本当の自分の時間」も持てなければ、臨終の間際で後悔することになるだろう。

ここでもう一つの壁を打ち破る必要がある。仕事の価値をお金ではなく、自身の命や魂で感じ評価することだ。何かに熱中した子供時代の経験は確かに命も魂も喜んでいた。それは何年続いたのか。小学校なら6年間、中学校を含めても9年間だ。しかし、定年後は20年もある。人生の最後の20年間は、真剣に自分の時間に向き合い、何をするのかを決めて、それを優先すべきではないか。

■編集後記「締めの都々逸」

「会社の仕事 終わってからは 命のために 生きていく」

お金のためではなく、好きなことをすることは良いことだと思います。でも、それを悪だと刷り込まれている。仕事以外のことは遊びであり、遊びにうつつを抜かしているのは不良だ、という思い込みです。

定年になっても、シルバー人材センター等に登録して働いている高齢者は偉いと思いますが、反面で、もっと人生を楽しめばいいのにと思います。生涯現役という言葉も、仕事とはお金を稼ぐこと、という思い込みに基づいているのかもしれません。

私の場合は、仕事と遊びの区別がついておらず、最近はお金も稼げないので、これは遊びなのかもしれませんけど。(坂口昌章)

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image by: Shutterstock.com

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