中国の背中すら見えず。日中国交正常化50年で低下した日本の国力

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去る9月29日、国交正常化から50年という節目を迎えた日本と中国。しかしながら今や両国の力の差は歴然で、日本にとって中国は到底手の届かない存在となっています。何が中国をここまで成長させたのでしょうか。今回のメルマガ『モリの新しい社会をデザインする ニュースレター(有料版)』では著者でジャーナリストの伊東森さんが、日中国交正常化前夜から現在に至るまでを振り返りつつ、その要因を考察。「もはや中国と日本を同列に語ること自体が先方に対して失礼」との見解を記しています。

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日中国交正常化50年 前進する中国 逆行する日本 「独自外交」なき自民党

日本と中国は9月29日、1972年の国交正常化から50年を迎えた。岸田文雄首相と習近平国家主席はメッセージを交換し、岸田首相は、

「国交正常化を成し遂げた原点を思い直し、ともに日中関係の新たな未来を切り開くことが重要だ」(*1)

とし、一方、習氏は、

「私は中日関係の発展を非常に重視している」(*2)

と強調。

日中共同声明は、日本と中国が国交正常化のために1972年9月29日に北京で調印された、両国関係の基礎となる文書。日中は、

「一衣帯水の隣国で長い伝統的友好の歴史を有する」

と明記。戦争状態の終結を確認した。

文書では、日本が過去の戦争で中国国民に重大な損害を与えたとし、

「責任を痛感し、深く反省する」

と表明。中国は、日本への戦争賠償請求の放棄を宣言した。

国交正常化当時、中国は1,000万人ともいわれる死者を出す「文化大革命」の最中にあった。そして、貧しく弱かった。しかし半世紀を経て、日本をはるかに追い抜き、アメリカと覇権を競う強大な国へと変貌。

他方、岸田首相は経団連などが主催した都内で開かれた行事さえ出席せず(*3)、保守派の対中強硬路線を常に意識するなど、“独自”のアイデンティティさえ持てないでいる。

目次

  • 独自外交なき50年
  • 前進する中国
  • 逆行する日本 円の実力 50年前と同レベル

独自外交なき50年

日中国交正常化への取り組みは、アメリカと中国との国交正常化への道を開いた1971年のキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当、当時)の極秘訪中に端を発す。

それ以降、アメリカは中国に対しては「関与政策」を取り続けた結果、中国は軍事・経済の両面で日中の脅威となる。

他方、この関与政策は、高度経済成長を果たし、アメリカにとっても“脅威”となった日本の国力の抑え込みという側面もあった。事実、キッシンジャー氏の訪中は、同盟国の日本にさえ知らせないという極秘中の極秘。

一方、常に“独自外交”を続けた田中角栄は、ロッキード事件により、結局、葬り去られる。以降の日本の政治家の頭には、常に独自外交の言葉は存在せず、結局、日本は、アメリカの“下請け国家”になり果てた。

「ドイツのように補助協定を結んで駐留米軍人の行動を抑制すべきなのにそれをしない。それどころか、有事駐留を口にした鳩山由紀夫は米国から袋叩きに遭った。同盟国とはいえ、吉田茂以来、初めて米国にノーと言った角栄が政治的に葬られたのと同じ文脈です。」(*4)

2020年代以降、米中対立は先鋭化する。ロシアの脅威も相まって、世界のブロック化が進む一方、米中の対話のチャンネルまでは閉じてはいない。

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