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Back tattoo of a woman

「タトゥー差別禁止法案」が提出されたNY、温泉にも入れない日本。“意識の違い”はどこにあるのか

日本の銭湯や温泉、プールなどの施設に入ることを禁止されている条件として多いのが「入れ墨(タトゥー)」。しかし、タトゥーを入れることが当たり前の文化になっている外国人にとって、日本の「タトゥー規制」はどう映っているのでしょうか。ニューヨークに住む日本人で、邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOにしてメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』著者である高橋克明さんは、そのイメージ優先の偏見を今すぐやめるべきだとし、ニューヨーカーたちの差別への考え方について語っています。 

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タトゥーに見るニューヨーカー思想

先月29日ニューヨーク市議会に、職場や入居、公共サービスの利用に際して、タトゥーを理由に差別することを禁じる法案が提出されました。

そのニュースを聞いて、最初の感想は「え、いまさら!?」もしくは「まだなかったんだ(法案)!」でした。

いくらニューヨーカーといえど、さすがにタトゥー、もしくはタトゥーを入れている人に対する偏見はまったくゼロではなかったようです。意外といえば意外なのだけれど。

とにかくタトゥーに限らず、ニューヨーカーはあらゆる「差別」に対し、敏感に反応し、許さない。以前、地下鉄の中で、女性同士が大声を上げてケンカをしていました。その光景自体は特に珍しくもないので、周囲も苦笑いをしていて傍観していた。僕自身も、どちらかが手をあげない限りは放置プレーだった。ケンカの原因はわからないけれど、どちらかというと、手前の若いスパニッシュなまりの女性の方が冷静に対応していたので、なんとなく、雰囲気的には奥のアジア系の年配女性の方が悪者っぽい空気にホームは充満していた。心の中でみんな手前の女性に肩入れしていたと思います。

それが、そのスパニッシュの女性のある一言で場の空気は一気に形成逆転になりました。ボソッと、彼女が中国人に対しての差別用語を呟いてしまった。小さい声で。ついつい勢いで。

その一言をニューヨーカーたちが、聞き逃すわけがない。

それまで「しょうがねえなぁ」と苦笑いしていた周囲の面々の顔色が一斉に変わります。そこにいた、白人、黒人、アジア人、オセアニア人、ヒスパニック、お年寄り、中年、青年、男性、女性関係なく、「おいおーい!」「なにぃ!」「ヘーイ!!!」「いま、なんつったぁ!」「自分で言ったことがわかるか!?」と中国人女性の味方に変わった。原因はこの際、関係ない。仮りに被害者、加害者が明確だとして、このシーンにおいて世界は「それはまた別の話」になる。特にこの街では。

なぜか。差別がいけないという良識の前に「他人事」ではないからです。誰もが一度は差別、もしくは差別に近いことをされた経験をこの街の住人はもっている。体感として許せない想いを持っている。

みんなバックボーン(国籍、人種、宗教、性別)が違う中、何もせずに、ただ自分でいること、それだけで差別する、されることは絶対にあってはならないから。つまり、いつ自分も差別されるかわからないサイドの人間であるという事実も、後押しされているということです。もう一回、言うと「ただ自分でいること」で、人生を邪魔される権利は誰にも持たせない、ということでもあります(逆をいえば、反社会的な“行為をすれば”めちゃくちゃ叩かれます。国籍人種宗教年齢性別関係なく)。

それはなかなか日本ではピンとこないかもしれません。例のアカデミー賞のウィルスミス、ビンタ事件にもつながります。あの“事件”のことはさんざん、このメルマガで触れたので、今回は割愛しますが、結局“ただの”差別発言が、日本ではサブカルチャー的に最後は感動話にすり替えられることに対して、こっちではヘイトクライム、ひいては戦争につながる、とみんな潜在的に知っている。「そんなひどいこと言っちゃダメなんだ、人と人は支えあってどーのこーの」と説明してくれる金八先生も、感動的なBGMもこの街には登場しないし、流れない。それより先に、確率的に銃が出てきちゃう可能性の方が高い。

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話は外れてしまいましたが、それだけ「差別」に対し敏感で、かつ嫌っている街です。

なので、「タトゥーで差別しちゃダメ法案」が今頃発令されることが少し意外と思えました。なぜなら、僕の周囲のニューヨーカーはほぼ全員入れてます、タトゥー。

街ゆくNYPD(警官)も子供たちの小学校の先生も入れている。隣の家のマリア(推定60歳)の足首にもデッカいジーザスがこっちを向いている。マリアとともにイエス様も横に広がり、唇の両橋が引っ張られて笑ってるように見えなくもない。NYPDのくせに、両腕にドクロはさすがにまずいだろうと日本人の僕は思わなくもないけれど、隠す様子もない。子供の担任のサラ先生はお尻と腰の中間に薔薇の花が咲いていて、彼女がしゃがんだ際、無意識にも薔薇に目がいき、場所が場所だけに慌てて目を逸らさないと、違う目的で見ていると思われかねない。それくらいタトゥーはこの街では身近で、日常です。

そういう僕も。実はここの読者にだけカミングアウトすると、左腕にそう大きくはないけれど、とはいっても10センチくらいのタトゥーが入っています。今から20年ほど前、渡米してすぐの20代の頃、チャイナタウンのインチキ占い師が僕の守り神といってくれた動物と、人生を変えてくれた映画の主人公のコードネームが一致したので(コードネームの時点で何の映画かバレちゃうよ)嬉しくなって、勢いついでにその名前を入れてみちゃった過去があります。若気の至り…、と言ってもすでに20代後半だったけど。

とはいうものの、実は僕は異常なほどの注射嫌い。おそらく先端恐怖症か何かだと思うほど、注射が嫌い。もし1回打てば生涯、注射をしなくていい「とんでも特大注射」があれば打っておきたいくらい、嫌いです。健康診断でもわざわざ電話して、採血があるかどうか確認するほど嫌い。前日は寝つきが悪くなるほど嫌い。当日は朝から若干、憂鬱になるほど嫌いです。「採血しない健康診断なんてこの世にあるんですか?」と電話口で逆に看護婦に聞かれます。皮膚に針を突き刺し、挿入するという行為自体、信じられない。21世紀になって医療現場がどんどん進んでいるというが、血を採るのに、いまだに人間の皮膚に針を突き刺している限り、文明的とはいえないと思っています。閑話休題。

それくらい針を刺される行為を嫌悪しているのに、なぜかタトゥーを入れる際は一切そのことを考えずにスタートしました。最初の一刀目で、「あ、そうか、皮膚に針入れるんだ」と気づき(あたりまえだ)痛くてしょうがない。一瞬の注射ですら、涙目になって、終わった後この世界が薔薇色に見えるほどなのに、いまからデザインするなんて。ありえない。アルファベッドにして8文字。

最初は枠から縁取っていきます。そこまで、なんとか耐えて「あ、もうこれで大丈夫。枠取りしてもらえたから、そーゆーデザインに見えなくもないし」と脂汗を額に滲ませ、腕をしまおうとしました。「おいおい、こんな途中のデザインで終わっちゃったら、うちの店のデザインセンスを疑われるよ」と笑いながら、モヒカン刺青職人は続けます。いや、冗談言ってないんだけど。こっちは至ってマジなんだけど。頭のてっぺんからつま先まで全身タトゥーの彼には、目の前の日本人がジョークを言ってるとしか思えなかったらしい。終わった後は出来に満足というより「二度と刺青なんて入れるかっ!」と誓ったのでした。ということは、消すこともできない。生涯できうる限り、肌に針を触れさせてくないのだから。

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今年の春、地元に帰省した際、幼なじみのおっさん5人組で近所の温泉に行きました。みんなで入浴していると、スタッフの若い男性がわざわざ浴場に入ってきて「申し訳ございません」と頭を下げてきます。次の瞬間ピンときました。「そーいえば、ここニッポンだった」。スタッフの彼が僕の腕のタトゥーを知る由もない。つまりは他の客からの報告です。日本だと、まずサウナやスパが入れない。仕方ない。その国それぞれの事情がある。日本だと歴史的にも、どうしても反社会的なイメージがあります。出口のカウンターで、女性スタッフに「イレズミがあるお客様は明日の朝の入浴も禁止になっておりまして…」と申し訳なさそうに言われます。数ヶ月前から楽しみにしていた幼なじみとの温泉旅行、僕だけここで終了です。「あ、でも、絆創膏で隠したら、大丈夫だよね」そう粘る僕に「はい。でも、アタクシがもう見ちゃったので」とニッコリ。明日の朝番も彼女なのか。

そんな日本と比べると、小学校の先生も市警官もみんなファッションとして入れているタトゥーに、偏見をもっているニューヨーカーは皆無かと思っていました。

だとして、日常生活でタトゥーに見慣れていても、実際に、部屋を貸す大家、サービス業の面接などでは、やはり差別されるシーンがこの街にもあったのだということです。

法案を提出した民主党のショーン・アブレウ議員は「あらゆる差別を拒否しなければならない。タトゥーのあるニューヨーカーも例外ではない。彼らを保護しなければならない」と語りました。保護…、全身タトゥーだらけのドクロやら十字架を彫ったいかついおっさんを保護っていうのも少しおかしな気もしますが、確かに必要な法案です。

タトゥーに限りません。イメージから入っちゃうこと自体が差別の始まりになります。ここからが本題になります。

差別をテーマにしてコラムを書くと、日本の読者はピンとこないかもしれません。差別に限らない。なんであれ、イメージ優先で物事を決めてしまう傾向はそれ自体がダサいことになりかねない。

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日本にいる頃、僕は専門学校の講師をしていました。その学校の職員室は昔ながらの体質や思考にずっぽり埋もれていた。職員室自体の空気がそうだったので、無意識に講師陣一同、見えない無意味な秩序の元で働いていたと今振り返って思います。

体験入学に来る高校生くんに向けて、各教科の先生を紹介するイラスト集を作成したことがあります。マンガちっくなイラストで、先生の似顔絵、特技、趣味などをカジュアルにおもしろおかしく書く営業ツールでした。そこそこイラストを描くのが得意だった僕が任されたのですが、ある女性講師の紹介ページで、「趣味:ワイン、ワイナリー巡り」と書くと、職員室一同満場一致で「反対」でした。職員会議は開かれたほどでした(笑)。これ、実話です。

どうして?まったく(今でも)理由がわからない。講師紹介の趣味欄に「ワイン」がなぜNGなのか。会議で聞いても、誰も明確な答えをくれません。「いやぁ、、なんかさ、、高校生が読むから…、お酒ってねぇ~」「???」書かれた当の先生も決して嫌がってない。彼女が自他共に認めるワイン通なのは事実で周囲も知っている。酒癖が悪いわけでもない。お酒で失敗した過去もない。成人女性の趣味がワイナリー巡 りのどこが不謹慎なのか。競馬やパチンコなどの公営ギャンブルすら、趣味欄に書くことにまったく問題がないと思っている僕は「休日、ワインをたしなみます」という文言のどこが気に入らないのかさっぱりでした。20年経った、今でも、です。なによりそれを読む高校生もなんとも思ってない。お酒イコール悪い、そんなイメージなのかな。結果「趣味:読書」という当たり障りのない紹介メモが誕生しました。最初から作る必要もなかった。

体験入学では、ある先生が「業界の著名人を呼んで、しっかりしたイベントにして、高校生から入場料をとりましょう」と発言した際、その先生は職員室中から針の筵(ムシロ)のように責められまくりました。「高校生からお金をとるなんて、ありえない!教育者として非道だ!」と言われていました。

なんで?500円だよ?学食のパンは、あれ無料で配るの?パンは金取っていいけど、イベントはダメなの?非道(笑)なの?とにかく今、振り返っても、バカの集合体でした。イメージだけを優先して、本質を見過ごすいい例だと思います。

ちょっと太っているだけで、まったく野球のセンスもないのに、キャッチャーにさせられた友人は逆に苦痛そうでした。親が考古学者だったおさななじみは、まったく勉強もできないくせに、小学校の担任に「デキる」扱いされて、無理して秀才を装っていた気がします。彼は、周囲が親の職業を知る由もない高校で落ちぶれてしまい、現在、無職です。

かなりタトゥーの話からかなり逸脱してしまいましたが(笑)タトゥーに限らず、イメージ優先で人を判断するのを今日限りやめましょう。

腕に彫られた虎も蝶々も、その人の「何」を表しているわけじゃない。

(メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』2022年10月16日号より一部抜粋。続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)

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全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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【著者】 高橋克明 【月額】 初月無料!月額586円(税込) 【発行周期】 毎週水曜日

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