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ホンマでっか池田教授が考察「ヘイトクライム」の背後にあるもの

相模原市の障害者施設で19人が犠牲となった殺傷事件をはじめ、被害者の数に違いはあっても、日本を含む世界で「ヘイトクライム」が後を絶たないのはなぜなのでしょうか。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみ生物学者の池田清彦教授が、事件を起こした犯人と、最大のヘイトクライムと言える戦争を遂行するヒトラーやプーチンに共通する思考パターンを指摘。小集団で暮らしていた人類が大きな集団になったことで、極端な思考や行動を引き起こしている側面があると、根の深さを示唆しています。

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ヘイトクライムの背後にあるもの

ヘイトクライムが後を絶たない。ヘイトクライムとはある特定の属性、例えば人種、民族、国家、性別、宗教、性的指向、障害などを、嫌悪と差別の対象にして、それらの属性を持つ人々に対して行われる犯罪である。最近日本で起こった顕著な例として、「相模原障害者殺傷事件」や「宇治ウトロ地区放火事件」などを挙げることができる。

もともと、集団生活をしていた人類は、自らが属する集団を慈しむという感情を持っている。大相撲で郷土力士を応援したり、様々なスポーツで母校の選手を応援したり、故郷の知人を懐かしんだりするのは、この感情のなせる業である。これはパトリオティズムと言われる。素朴な郷土愛と解してよい。

パトリオティズムと似た言葉にナショナリズムがある。ナショナリズムはパトリオティズムと同様な意味で使われることも多いが、己の集団の利益を最大化するためには他の集団の利益を犠牲にするのも辞さないという、ネガティブな意味で使われることも多い。これは悪しきナショナリズムである。厄介なのは、パトリオティズムは容易に悪しきナショナリズムに転化することである。

例えば、集団間で利害が対立した時に、手段を択ばずに対立している集団を貶めようとする行動は、悪しきナショナリズムの典型で、その行き着く先は戦争である。戦争中や戦争準備中の国家の権力者は、国民のパトリオティズムを悪しきナショナリズムに転化させて、敵国への憎悪を掻き立てるべく様々なプロパガンダを行うことは周知の事実であろう。他国を嫌悪と差別の対象にして暴力を振るうという観点からは、戦争こそ最大のヘイトクライムだと言える。

戦争の指導者は、戦争の遂行にあたって、何か尤もらしい理念を掲げることが普通だ。自国民の保護とか、大東亜共栄圏の実現とか、ゲルマン民族の優秀性を証明するとか、の建前の下で行われる本当の目的は、対戦国の殲滅以外にない。尤もらしい理念を掲げるのは、戦争という人殺し行為を正当化したいがためだ。その結果、戦争指導者たちは犯罪行為を行っているとは露も思わず、むしろ、正義を行っているという高揚感に浸っていられるのである。

相模原障害者殺傷事件を起こした植松聖も、宇治ウトロ地区放火事件を起こした有本匠吾も、裁判記録を読むかぎり、自分たちが行ったことは社会をよくするための正義であると主張している。犠牲者の数には雲泥の差があるけれども、思考パターンはプーチンや東條英機やヒトラーと変わりはない。

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違いがあるとすれば、戦争に勝てば、戦勝国とその指導者には多少の物理的な恩恵がもたらされるだろうが、目的を達成しても、植松や有本には何の物理的な恩恵もないことである。もちろん、個人的な恨みによる犯行であっても、物理的な恩恵がないことには変わりはないが、恨みを晴らしたという精神的な満足は得ることができる。一般的には、犯罪は自分にとって何かしらプラスになるものを得る目的で行われるのが普通だ。生活に困って金品を取るというのは最も分かりやすい例だ。麻薬の密売やインサイダー取引なども、バレなければ儲かるだろう。

さきに、植松や有本の犯罪は何の物理的な恩恵ももたらさないと記したが、普通、人は自分にとって何の意味もないことで、意識的な犯罪を起こすことはない。だから彼らも、頭の中では何らかの精神的な報奨があるに違いないと思っていたはずだ。おそらくそれは自分の行為を称賛してくれる人がいるだろうという期待だ。ヘイトクライムを読み解くために、これは重要な論点である。

第二次世界大戦を始めた頃の大日本帝国の戦争指導者やナチス・ドイツのヒトラーは、プロパガンダによって誘導されたものではあっても、国民の熱狂的な支持を背景に、戦争を遂行した自分たちの行為は善行だと信じていたと思う。もしかしたら、信じるふりをしていただけかもしれないけれどね。

障害者を殺傷した植松や、ウトロ地区に放火した有本を公に称賛する人はほぼ皆無であるけれども、彼らの心の中では称賛してくれる人が沢山いるという目算があったに違いない。具体的に言えば、植松は自分以外にも、障害者は社会のお荷物で生きていても何の価値もないので、抹殺されるべきだ、と考えている人が沢山いて、この人たちは自分の行為を称賛してくれると考えていたはずだ。

先に述べたように、ヘイトクライムが他の犯罪と違うのは、犯人に悪いことをしたという意識が希薄で、むしろすごい善行をしたと考えている点だ。この心性はプーチンやヒトラーのそれと同じである。この心性を支えるのは、犯行を正当化する理念である。植松の考えは、多くの人が指摘しているように、ナチスの思想を踏襲したものだ。

植松は「日本と世界平和のために障害者を抹殺する」と多くの人には理解不能な発言をしているが、本人は心底そう思っているのである。「事件を起こした自分に社会が賛同するはずだった」という趣旨の供述をしていることからしてもそれが分かる。

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この思想の最基底にあるのは、逆説的に聞こえるかもしれないが、他者を助けるための行動は善行だという素朴な利他主義である。農耕を始める前、バンドと言われる50人~100人くらいの小集団で暮らしていた人類は、集団内の他者を助けることを厭わなかったろう。逆に、自分が窮地の時は助けてもらうことも多かったろう。これを生態学の用語で互恵的利他主義というが、互恵的利他主義こそ小集団が生き残るために重要な行動様式であったはずだ。

しかし当然、病気になったり、怪我をしたり、老いたりして、他者を助けられないどころか、助けてもらわなければ生きていけない人も出てくる。顔見知りの小集団では、いずれ自分が世話になることもあるだろうとか、昔良くしてもらったとかの理由で、役に立たない人を見捨てることは余りないだろう。「情けは他者のためならず」というわけである。この諺は最近の新自由主義的な風潮では誤解されることも多く、「情けをかけると、かけられた人が努力をしなくなるので、本人のためにならない」と解している人がいるが、本来の意味は「情けは自分のためである」ということで、互恵的利他主義の話なのだ。

しかし、集団が大きくなってくると、互恵的利他主義は個人のレベルではだんだん通用しなくなってきて、自分から見て役に立たないと思われる人は非難の対象になってくる。これはどうやら、人間が抱くわりに普遍的な思考パターンらしく、自分が社会に多少は貢献していると思っている人の多くは、多少とも、こういった考えを心の奥に秘めていることが多いと思う。

もちろん、現代の健全な民主主義社会では、税制や社会福祉制度を通して、国家レベルでの互恵的利他主義が遂行されているのが普通だが、指導者やそれに煽動された国民が、社会の役に立たない人間は無駄だという悪しき機能主義に傾くと、いとも簡単に障害者を排除しようという話になり、行きつく先はナチスである。

役に立たない人間を抹殺するのは社会全体の幸福のためだ、という歪んだ利他主義が跋扈するようになる。拙著『現代優生学の脅威』で詳述したように、ナチスはT4作戦という悪名高い政策で、障害者、遺伝性疾患、同性愛者など国家にとって生産性がない人々を安楽死させた。その数は10万に及ぶと推定されている。

(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)

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image by:bgrocker/Shutterstock.com

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