時代劇で描かれる江戸時代の食事、とても美味しそうですよね。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では時代小説の名手として知られる作家の早見さんが、江戸時代の食とお酒について詳しく語っています。意外な「大会」が流行していたことも判明しているそうですよ。
「粋」とはかけ離れた江戸時代の食、お酒
カルチャースクールで、『鬼平犯科帳』と江戸文化、風俗について講座を持っています。『鬼平犯科帳』の魅力の一つに食やお酒の描写がありますね。池波正太郎はご自身が食通であったこともあり、実に美味そうな食べ物が出てきます。
筆者も自作の中で飲食の場面をよく描きますので、江戸時代の食文化について様々な資料に当たっています。江戸時代は長いので、時代の経過と共に衣食の好みや流行が変わってゆきました。
よく時代劇で描かれる居酒屋、屋台の寿司屋、天麩羅屋が江戸のそこかしこで営まれるようになったのは文化年間(1804~1818)の頃と言われています。鬼平が活躍した頃より、20年程後ですね。
鬼平の頃にも蕎麦屋、うどん屋、煮物と酒を出す煮売り屋のような庶民的な店や、大名家の留守居役が会合を持つ高級料理屋はありました。
文化年間になって、我々がイメージする江戸の飲食店が揃ったのですね。
寿司は現代とは様子が違いました。江戸前、つまり江戸湾で捕れる魚をネタとしていましたが、シャリが大きく、今日からすると寿司というよりお握りのようでした。手掴みで醤油を付けて食べましたが現代と違っておしぼりなどはありません。醤油の付いた指は暖簾で拭きました。この為、醤油で暖簾が汚れている程、繁盛店と見なされたとか。
また、おでんは串に刺して食べました。筆者の子供の頃、岐阜市で串に刺したおでんを食べたものです。冬になると駄菓子屋さんでおでんが出されたのです。鍋の中、串に刺したこんにゃくやちくわ、はんぺんなどが煮込まれ、鍋の真ん中にある味噌たれを付けて食べました。
江戸では味噌だれは付けなかったでしょう。辛子を付けて食べていたのだと思います。辛子と言えば、江戸時代は鰹が特に好まれましたが刺身にして辛子を付けて食べたそうです。
現代人からすれば違和感がありますね。
また、今日では鍋というと白菜がつきものですが、江戸時代に白菜はありませんでした。鍋には葱が使われました。肉食は禁じられていましたが、それは建前で実際には猪や鹿の肉が鍋で食べられており、猪や鹿は山鯨と呼ばれていました。お坊さんがお酒を般若湯と呼んでいたようなものですね。
お酒と言えば江戸時代のお酒は現代よりもアルコール度数が低かったそうです。現代は15パーセントくらいですが江戸時代は12パーセントだそうですからワイン並ですね。京都、大坂にある造り酒屋の清酒が好まれ、江戸には年間500万樽が下ってきたそうです。江戸に下らないお酒を、「くだらない」と呼び、「くだらない」の語源になったことは有名ですね。
庶民は毎日ご馳走を食することはできません。江戸や京都、大坂は白米が出回っていましたので庶民も白米を食べていました。貧しいおかずを白米で補い、食欲を満たしていました。梅干し1個でどんぶり飯を2杯食べた、と自慢する江戸っ子もいたとか。
江戸は朝に炊き、上方は昼に炊いたそうです。江戸では炊き立ての白米を朝に食べ、昼はお握り、夕か夜にはお茶漬けか雑炊にしていたそうです。
江戸時代は闘食、つまり、大食いを競う大会が盛んでした。記録には饅頭を63個と羊羹を7棹とか蕎麦を70枚とか凄まじい食べっぷりが残っています。また、変わったところで醤油を2升飲んだという男もいました。その男は飲んでから死んだそうで、東西馬鹿番付で西の大関(江戸時代は大関が最高位)に選ばれました。ちなみに東の大関は釣り人を見物している者だそうです。
闘食、まさしく戦い、しかも命懸けの食べ比べ、飲み比べをしていたのです。江戸っ子の粋とはかけ離れていますね。
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