日本の醜さと情けなさを映す鏡。沖縄の「本土復帰50年」を総括する

 

「平和憲法下」と「日米安保条約下」の対立軸

第2次大戦後の日本の戦後史を、「平和憲法下の日本」と「日米安保条約下の日本」との相克として捉えるのは極めて有力な座標軸の立て方である。が、これは実は、より普遍的なレベルでは「国連憲章下の〔21世紀的〕世界」と「米国覇権下の〔20世紀的〕世界」という現今の世界理解の基本図式の一部と位置付けられる。

国際連合は、二度と国際紛争解決の手段として武力を用いないという全人類的な決意表明と共に1945年に発足し、それを受けて翌年成立した日本国憲法は、国際社会がそのような「平和を愛する諸国民の公正と信義」の道に進むに違いないことを「信頼して、われらの安全と生存を確保しようと決意し」(前文)、世界に先駆けて戦争と武力による威嚇・行使は「永久にこれを放棄する」(第9条)ことを宣言した。ところがこの不戦への崇高な誓いはあまりにも儚く、47年3月のトルーマン米大統領の「全体主義vs自由主義」の対決図式を描いたいわゆるトルーマン・ドクトリン宣告と49年のNATO結成、それへの西ドイツの加盟に対抗した旧ソ連・東欧諸国による55年ワルシャワ条約機構(WPO)設立によって、世界を二分して互いを憎み合い核を含む武力で脅し合う「冷戦」に突入した。

冷戦が終わるということは、予め主敵を設定しそれに対して味方が結束して戦争に備える「敵対的軍事同盟」の時代が終わり、国連憲章に代表される「多国間対話」を通じての「協調的安全保障」の時代がようやく緒につくことを意味していたので、ロシアのゴルバチョフ大統領は即座にWPOを解消した。

が、米国のブッシュ父大統領は冷戦の終わりをそのように理解しておらず、「冷戦という名の第3次世界大戦でロシアに勝利した米国は、もはや敵なしの唯一超大国だ」と妄想を膨らませ傲慢の極地に上り詰めた。そのため冷戦の遺物であるNATOを解消せず、欧州域内のみならず域外の危機にも共同対応するよう目的を変更(外延化)して存続させたばかりか、旧東欧・ソ連邦諸国を次々に加盟させる「東方拡大」を推進した。それが今日のウクライナ戦争の遠因ともなった。

アジアでも似たことが起きて、冷戦の遺物である日米安保条約は旧ソ連の対日上陸侵攻の危険が消滅した後も北朝鮮の核ミサイル開発や中国の軍拡などに脅威を横滑り(外延化)させて存続させられたばかりか、日本により主体的な軍事的役割を分担させるベく集団的自衛権を解禁させ、オーストラリアやインドまで巻き込んだ4カ国同盟による中国包囲網作りに追い立てている(日米安保の「西方拡大」)。

結局のところ日本人は、50年前も今も、同じように、いやますますだらしなく、「米国覇権下の世界」で「日米安保条約下の日本」として生きることに甘んじていて、だから沖縄に新しい米軍基地が建設されようと、自衛隊のミサイル部隊が増強されようと、何ら痛痒を感じないという以前に関心すら抱くことはないのである。そりゃあそうでしょう、米国大統領が来日するといっても横田米空軍基地に降り立ってそこから都心の大使館近くまで専用ヘリで飛ぶという無礼を働き、その理由が首都圏の空の大部分の航空管制権を横田の米軍が管掌していて最も安全だからと言われても、それに抗議することのない従属国の国民が、沖縄の基地についてだけ怒りの声を上げるなどということがあるわけがないだろう。こうして、沖縄の復帰50年を見つめれば見つめるほど浮き彫りになるのはむしろ「日米安保条約下の日本」の惨めさなのである。

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