日本の醜さと情けなさを映す鏡。沖縄の「本土復帰50年」を総括する

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2022年5月15日、沖縄返還50年という節目を迎えた我が国。しかし沖縄県民がどれだけ新基地建設反対を訴え続けようとも政府は聞く耳を持たず、辺野古の工事は続いています。なぜ本土と沖縄の関係性はここまで歪んだものとなってしまったのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では著者でジャーナリストの高野孟さんが、とある月刊機関誌に寄稿した論考を紹介する形で、沖縄と日本の50年を概括しています。

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※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2022年11月7日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

米国への従属を転換する覚悟が問われる

東アジア共同体研究所の琉球・沖縄センターが『復帰50年/沖縄を読む』と題したブックレットをこの春に出版したところ、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」の月刊機関誌「日本の進路」編集部より、これにちなんで沖縄と日本の50年を概括する一文を寄せるよう要請があった。それが掲載された同誌11月号が手元に届いたので、本誌で紹介する。

米国への従属を転換する覚悟が問われる

今年は沖縄の復帰50年という大きな節目の年で、1972年の沖縄返還協定によって沖縄が27年間の「アメリカ世(ゆ)」を脱して再び「ヤマト世」を迎えてからのこの半世紀を1つの時代としてどう捉えたらいいのか、沖縄の側ではもちろん本土の側も含めて、盛んな議論が湧き起こるものと思われた。

そこで、私が属する東アジア共同体研究所の琉球沖縄センターでは昨秋から準備して、『復帰50年 沖縄を読む/沖縄世はどこへ』と題したブックレットを編んで今春出版した。その第1部では、私が私なりのこの50年の概観的スケッチを描き、それを呼水にする形で、本文に当たる第2部では、沖縄と本土の50人の多彩な方々に「この50年を考えるためのこの1冊」を選んでその推薦理由を短く鋭く書いてくれるようお願いした。そのような構成にしたのは、この大きなテーマを1つの角度で切り裂くことなど到底できるはずがなく、むしろ逆に様々な視点から光を当てて乱反射状態を作り出すことの方が議論を賑やかにするのに役立つだろうという判断からのことであった。

ところが、それから半年が過ぎた今になってみると、驚くべきことに我々が予想したような復帰50年をめぐる大議論は起きなかった。もちろん現地や本土のメディアはそれなりに特集やシリーズ企画を組んだし、NHKの朝ドラさえも沖縄を舞台に選んだりしたけれども、それらはそれだけのこととして流れ去って行き、沖縄の人々が50年を経てもなおどうすることもできないでいる本土による根源的な差別の構造は微動だにせず居座ったままである。

9月には沖縄県知事選があり、辺野古新基地建設に反対する玉城デニーが基地容認の自民党・公明党推薦の候補を破って再選を果たした。この記念すべき年にたまたま巡ってきた選挙で「オール沖縄」陣営に支えられた玉城が勝利したのは重要な政治的な成果ではあるけれども、問題は、県民がいくら選挙や県民投票や大会決議や世論調査で普天間基地即時閉鎖、辺野古新基地建設反対、米海兵隊は出て行けという明確な意思を示しても、本土政府は一切耳を貸さずに「辺野古移転が唯一の選択肢」と呪文のように言い続け、しかも本土の国民がそのような政府の態度を変えさせようとも思わずに事実上容認してしまっているという、二重であるが故に根源的な沖縄に対する差別構造には、何ら揺るぎがなかったということである。

その構造を一夜にして転覆することなど出来はしないと分かり切ってはいても、それを揺るがし始めるきっかけくらいは掴める年にしたいものだと思ったのだが果たせず、虚しく迎えるこの年の暮れである。

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