いま巷で話題になっている「鬼ヤバ弁当」をご存知でしょうか? 飾り気のないユニークなそのお弁当から見た「作成者の心理」とはどのようなものなのか、心理学者の富田隆さんが分析。今回のメルマガ『富田隆のお気楽心理学』で、タレント・キャスターのホラン千秋さんが作った「鬼ヤバ弁当」の心理分析を公開しています。
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ホラン千秋「鬼ヤバ弁当」から見た性格分析
世の中では「鬼ヤバ弁当」なるものが話題になっているのだそうです。
テレビ番組からの依頼で、この「鬼ヤバ弁当」を作る人の性格分析をして欲しいという話が舞い込んで来たのです。何枚か、お弁当の写真というものも送られて来ました。
確かに、飾り気が無いというか、ユニークで、タッパーに胡瓜が一本だけゴロリと入っていたり、タッパーの3分の2くらいのスペースにチャーハンが入っていて、残りのスペースは隙間が空いたままだったりします。
ふつう、空いた場所に緑のブロッコリーとかを入れたくなりますよね。
あるいは、ハンバーグとローストチキンらしきものがそれぞれラップでくるんで詰め込まれていたり、焼きそばだけがタッパーに敷き詰められていたり、という具合で、独特な雰囲気を漂わせています。
およそ、世の中のママたちがインスタグラムに投稿する「可愛い」キャラ弁や、「曲げわっぱ」に美しく飾り付けられたゴージャスな「料亭風」のお弁当とは真逆の佇まいです。
ネットでこの人のお弁当が紹介されると、炎上状態で話題になり、中には「残飯みたい」という感想もあったものの、多くの人が、飾り気のないユニークな盛り付け?!に好意を示し、やがて「鬼ヤバ弁当」という名で、新作?を楽しみにするファンも現れるようになったのだとか。
私は、心理分析をする場合、対象となる人の容姿や経歴などを知らない方が自由に面白い分析ができるので、敢えてその人の情報をネットなどで調べないようにしています。
ただ今回は有名な人のようだったので、「自分の知っている人だったらやだな」と内心不安でした。
しかし、「ホラン千秋さん、女性です」と名前だけを知らされて、ほっとしました。
私は、ニュースに天気予報、朝の連続テレビ小説に大河ドラマ、そして『ブラタモリ』以外、テレビをほとんど見ないので(結構見てるかも)、幸い、その人の名を知りませんし顔も浮かんで来ませんでした。
以下は、そんな状況で、「鬼ヤバ弁当」の写真だけを見ての分析です。
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【分析結果】
分析はレポートであるため、ですます調ではなく「である調」で書かれています。
「お弁当から見るホラン千秋さんの心理分析」
お弁当には以下のような性格特徴が反映してる。
1)自己肯定感が高く独立独歩
2)合理主義者でユニークな美意識
3)大胆で必要なら露出を厭わない1)自己肯定感が高く独立独歩
既存の常識的な「お弁当のパターン」を敢えて無視できるのは、それだけ自尊心が高く、自分の行動に自信を持てる証拠。
「自己肯定感(self-esteem:長所短所を踏まえてありのままの自分を肯定する感覚)」が高いので、「独立独歩」の生き方を好む。
2)合理主義者でユニークな美意識
余計な手間暇をかけず、自分が食べたいものを必要な量だけタッパーに収納するお弁当の作り方は「合理主義者」の証拠。
しかし、こうした制約の中でも、可能な範囲で彼女なりの「ユニークな美意識」を発揮している。
一見、乱雑に詰め込まれたパスタなどは、あたかもジャクソン・ポロック(Jackson Pollock:抽象表現主義の旗手)のアクションペインティングのようであり、タッパーに一本だけ放り込まれた胡瓜は、便器を「泉」に見立てたマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp:概念芸術の創始者)のレディーメード作品を彷彿とさせる。
つまり、見る人が見れば、それなりに粋でお洒落な芸術的自己主張が隠されていると言えよう(もちろん、他者からは理解されにくいが)。
3)大胆で必要なら露出をいとわない
社会一般の弁当についての「常識」や美しいとされる「パターン」(たとえば食材の彩りを整える)などを無視しているので、他者からは理解されにくい自分の弁当を、敢えて衆目に晒すという行為は「大胆」で勇気を必要とする。
それが可能なのは、「自己肯定感」が高く、自身の「合理的判断」に自信を持ち、自分なりの「ユニークな美意識」を大切にしているからだ。
しかし、それは秘密や「プライバシー」を露出することでもある。
つまり、彼女は、自分が必要だと納得したら裸になることもいとわないような「大胆さ」を隠し持っているのだ。
以上がホラン千秋さんの「お弁当から見た性格分析」です。
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【裸のお弁当】
この報告書をディレクターに送った後、私はホラン千秋さんの情報を調べました。
先ず写真を見てびっくり。
「この人知ってる!」「見たことある」、ただ、この歳になると、たとえ相手がどんなに美人であっても、なかなか名前が覚えられません。
「人間が名前を覚えることのできる人の数は1,000人まで」という冗談がありますが、彼女は「1,001人目」だったのかもしれません。
ホランさんは司会者やコメンテイターもこなすタレントさんで女優でもあるそうです。
留学先のオレゴン州立大学では「舞台」を専攻していたそうですから、女優としての部分も、美人にありがちな「なんちゃって」ではなく、かなり本格的なようです。
女優志向のタレントさんに、「自分が必要だと納得したら裸になることもいとわない大胆さ」という表現はまずかったかな、と少し後悔しましたが、後の祭りです。
でも、本当のことですから、仕方ないでしょう。
以前に「ペルソナ(社会的仮面)」の話をしました。
ペルソナという仮面を脱いで、素顔というプライバシーを晒すことは、裸になるのと同じです。
私たちが衣服を身に付けて外出するのも、社会的規範(social norms:社会から期待されている態度や行動のパターン)に従っているからです。
その意味で、私たちの着る服装は「ペルソナ」の一種であり、「社会的規範」と「自己主張」がひとつになった「仮面」です。
このように考えると、SNSに溢れている「キャラ弁」や「ゴージャスなお弁当」が共有しているある種の「型」あるいは「パターン」もまた、「ペルソナ」の一種であると考えることができます。
であるなら、こうした「型」や「パターン」を一切無視した「素のまま」のお弁当は、「ペルソナ」を全て脱ぎ捨てた「裸」のお弁当ということになるのではないでしょうか。
やはり彼女は、自分が必要と納得したら、裸にでもなれるし、秘め事を晒すこともいとわない大胆な女性なのだと思います。
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【アンチテーゼ】
毎日工夫して「キャラ弁」の写真をアップしている皆さんや、贅を凝らした「ゴージャス弁当」を作っている方々には大変申し訳ない話ではあるのですが、いわゆる「インスタ映え」のするお弁当には、いつの間にか一種の「型」や「パターン」が形成され、誰が意図したわけでもなく、それらが新たな「規範」になりつつあったのかもしれません。
これらはこれである種の偉業?!でもあるわけですが、ネットを見る側の中には、これが「お手本」と思い込んだり、場合によっては「こうでなければいけない」と勝手に思い詰める人もいるのではないでしょうか。
「規範」というのは、そうした形で人々を縛るものなのです。
人によっては、自分の普段のお弁当とインスタの「お手本」を比較して、劣等感に苛まれる人も出てくるのです。
ホランさんの「鬼ヤバ弁当」は、こうした「思い込み」から、人々を解放してくれました。
だから、多くの人から喜ばれたのです。
とは言っても、「鬼ヤバ弁当」は、既存の「キャラ弁」などが築き上げたものをぶち壊したわけではありません。
いつの間にか出来上がってしまった「お手本」や「規範」に対する「アンチテーゼ(antithesis:対立命題)」を呈示して見せたのです。
それは、既存の「美意識」を否定するものではなく、それとは「別の可能性」があるということを明らかにしたわけです。
結果、「鬼ヤバ弁当」を見て、「気が楽になった」人が続出し、ホランさんのお弁当写真を楽しみにするファンの人たちまで現れました。
皆、「自由」になったのです。
だからといって、「キャラ弁」を毎日アップする人たちのアイデアや努力が価値を失うわけではありません。
それらはそれらで、ひとつの「スタイル」として、これからもファンを増やし、支持を受け続けるでしょう。
この弁証法的な力学は、「キャラ弁」でも「鬼ヤバ弁当」でもない、第三の新たなスタイルを生み出すはずです。
それがどんなものになるか、楽しみに待ちたいと思います。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より一部抜粋)
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