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元祖シンガーソングライター、個性派俳優、そして小説家。異才・荒木一郎が明かす映画テレビ黄金時代の知られざる「素顔」

「空に星があるように」「いとしのマックス」などのヒット曲で知られる日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、個性派俳優としても映画『893愚連隊』『日本春歌考』『白い指の戯れ』をはじめ、ドラマ「七人の刑事」「木枯し紋次郎」「悪魔のようなあいつ」にも出演した俳優・歌手、そして小説家の荒木一郎(79)。その荒木氏が昨年10月、名作『ありんこアフター・ダーク』(河出書房、のち小学館文庫)以来の半自伝的小説『空に星があるように 小説 荒木一郎』(小学館刊)を上梓した。

空に星があるように 小説 荒木一郎』(小学館刊)

500ページを超える大作にもかかわらず、その興味深い内容に引き込まれ、気がつけばあっという間に読了。その小説には、吉永小百合や大原麗子など超大物女優との交友をはじめ、数多くのテレビ・ラジオなどの黄金時代を支えた芸能関係者が次々と実名で登場し、そのすべてのエピソードを詳細に記憶していたことに驚かされた。なぜ私小説という形で昭和の華やかな芸能界の知られざる「素顔」を描いたのか、いかにして名曲「空に星があるように」は生まれたのか、そして先の見えない時代に「人生で成功する秘訣」とは何か。とらえがたい魅力とミステリアスな感性で無二の存在を刻んだ俳優・歌手の荒木一郎氏にお話をうかがった。

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荒木一郎(あらき・いちろう):
1944年、東京都生まれ。歌手、俳優、作詞・作曲家、小説家。幼少より舞台やラジオドラマなどで活動。1966年、『空に星があるように』で歌手デビュー、日本レコード大賞新人賞を受賞。『今夜は踊ろう』『いとしのマックス』など数々のヒット曲を生み出し、シンガーソングライターの嚆矢となる。映画『日本春歌考』などに出演し、個性派俳優として評価を得る。小説家としても才能を発揮し、著書に『ありんこアフター・ダーク』(小学館文庫)、『後ろ向きのジョーカー』(新潮社)など。

吉永小百合や緑魔子、十朱幸代、大原麗子、岩下志麻…日本芸能界の「秘話」を描き切った異才・荒木一郎インタビュー

──この度は、お時間をいただきましてありがとうございます。今回の『空に星が〜』を読ませていただきました。60年代の映画テレビ黄金時代の裏側を詳細に描き切った内容で、ある場面ではうなずきながら、時にハラハラドキドキしながら、また深い感動をおぼえながら、「一本のドキュメンタリー映画」を観るような思いで読ませていただきました。この本の中に、高校生だった当時つけていた日記を、女性からの要望で燃やしてしまうというエピソードが出てくると思うのですが、ここまで詳細に書けるということは、当時からずっと日記をつけていたからなのでしょうか?

荒木一郎(以下、荒木):たしかに燃やしたあとも日記をつけていたことがあるんだよ。それがあったら良かったんだけど、普通の日記帳じゃなくて、本屋さんが小説を予約させる時用に使う、最初の数ページだけ印刷されていて残り300ページくらいすべて白紙になってるぶ厚い見本版に日記を書いてたの。で、前の家から今住んでいるこの家を建てるために仮住まいに引っ越すときに「いらない本とか全部売っちゃった方がいいよね」って、その日記ごと全部売っちゃったわけ。だから、日記は一冊も残ってないんだよ。「あれが残っていれば面白かったのにな」って思うんだよね。

──ということは、逆に日記をまったく保存していないにも関わらず、あれだけ詳細に60年以上前のことを覚えていたということですね。

荒木:そうだね。たまたまとっておいたノートが一冊だけあったの。それは日記じゃないんだけど、そこに手紙が挟んであって、本の中にも手紙の話が出てくるんだけど、手紙の文面をそのまま載せているのは、その手紙があったからなんだよ。あとは、当時あった僕のファンクラブの会報が残っていて、それが参考になったんだよね。あとは新聞記事もあったから、自分が記憶していないことは新聞記事から引っ張って書いたところもあるよね。それをデータとして使って、あとは文章として組み立てるようなことはやってます。

荒木一郎氏の自宅にて

──つまり客観的な目から見た出来事などは、当時のメディアから参考にして、自分目線のエピソードはご自身ですべて覚えていたということですね。

荒木:そうだね、ただ新聞に書かれていることと現実は違うわけで、現実の方は自分が覚えているわけだから。もちろん、ここに書けなかった話はもっとたくさんあるわけで、とてもじゃないけど書ききれないし、書きすぎても訳がわからなくなっちゃうから。本を書くときというのは群集劇的になることが多いんだけど、あまり自分の心情を書くことが好きじゃなくて、「人」、つまり他人のことを書きたくなるんですよ。やっぱり「人のことを紙の中に残してあげたいな」と。その時に出会った人があってこそ今の自分があるんだから。

60年代ニッポンの芸能界黄金期を小説として書き残した理由

──『空に星が〜』の中でも、歌の歌詞について同じようなことを書かれていますよね。少し本文を引用しますと、「他人を哀れむという感情とか、思い出の一部みたいなものではない。まるで自分が彼女自身を体験しているみたいな、頭や体の中に彼女の感情を痛みとして感じ取っているようだった」。相手の気持ちになって考えた途端、代表曲である「空に星があるように」の歌詞がぱっと浮かんできたと。そのとき相手はどのような気持ちだったのか、ということに思いを馳せたら歌詞が出てきた。だから、本も同じように、自分の心情ではなく物語の登場人物が何を思っていたのかということに重きを置いていたんですね。

荒木:そうです。自分の気持ちを書くより、その時の他人の心情の動きを書いた方が面白いからね。そこを記憶していることが、その人にとって迷惑なところも場合によってはあるから、そこは難しいですよね。基本的には、その人の魅力が出るようには書いていますけどね。

──今回、『空に星が〜』という本を小説として書いて、当時のことを書き残そうと決意された理由はなんでしょうか?

荒木:結局、それも人なんだよね。今回出た小学館とは違う出版社なんだけど、30代の女性編集者が僕のところを訪ねて「荒木さんの本を出したいんです」っていうわけ。まだ30代なのにいろいろ見て僕のファンになったっていうんだけど、ああそうなんだって思って、その人と一冊いっしょに本を作ったんですよ。その後に、今度は小説っていう形で本を書いてくれないかっていう話になったの。

──なるほど、そういう経緯があって小説を書き始めたんですね。

荒木:この前に『ありんこアフター・ダーク』(初版は1984年河出書房刊。現在は小学館文庫)っていう半自伝の小説を書いたんだけど、それは「ありんこ」っていう渋谷に実在したジャズ喫茶に高校生のとき友達と集まっていた頃のことを書いたの。もう当時は俳優として芸能界に入っていたんだけど、『ありんこ〜』には芸能界の話を一切書いていなかったんですよ。その編集者に、『ありんこ〜』の背景にある芸能界のことを小説で書いてもらえないかって依頼されたんです。

その編集者は、資料集めとか、とにかくいろんなことを一所懸命やるんだよ。だから、その編集者のために『空に星が〜』を書いたの。ところが、その出版社が、「本の中に出てくる芸能界の登場人物全員に掲載の許可を取ります、許可をとってから出したい」って言い始めたわけ。

──しかし、一言に許可と言っても、かなり有名な女優さん俳優さんがいっぱい登場しますから、それは難航しますよね。

荒木:それだったらいいです、本は出しません、別に許可をとってまで書きたいわけじゃないからって断ったんですよ。で、小学生の頃から僕のファンでマネジメントの新田(博邦ミューズ・プランニング社長)が途中まで読んでいて「これは、客観的に見て面白いから出した方がいいんじゃないですか」って言われて、「このまま出したいっていう出版社があるならいいよ」って話したわけ。そしたら、小学館がこのまま出すっていうことになったんです。だから、基本的に直しはまったくないんですよ。ただ、差別用語が入ってるというところだけは修正しました。

──とはいえ、500ページを超える分量を、そのままカットしないで出した小学館もすごいですね。

荒木:最初「もう少し文字数を削ってほしい」的なことは、それとなく言われたんだよ。でも、削るんだったら出さないって言ったの。そしたら、文字の大きさを限界まで小さくすることで、なんとか600ページ以内におさまったんです。

──初めて読んだときに「少し文字が小さいな」とは思ったんですが、そういう事情があったんですね。内容も、世の中的にまったく知られていない、昭和の芸能界の裏面史といいますか、大物女優の「素顔」の部分が多く描かれていて本当に衝撃を受けました。たとえば、緑魔子さんのカレーライスにまつわる話や、大原麗子さんと一緒に踊り狂っていた夜、吉永小百合さんと荒木さんのお母様とのことや撮影所での掛け合い、十朱幸代さんとの撮影など、映画やドラマではうかがい知ることのできない「普段の姿」を書いていますよね。

荒木:日本の芸能界の中でも丁度いい時代なんですよね、テレビも音楽もいろいろなものの過渡期で。自分が遊びみたいな感覚で音楽や俳優をやっていたものが、たまたまそういった時代に乗っかっちゃったから。そのことを知らせるという意味では、出版したほうがいいんだろうなと思いましたね。こういう時代の変遷があって、今という時代があるわけだから。音楽界なんて今とは全然違うからね。

自分には「職業」がない。ただ好きなことをやってきただけ

──荒木さんは作詞・作曲・歌唱を一人でやるという「日本のシンガーソングライターの草分け」だったわけですが、『空に星が〜』の中でも、たまたま音楽をやることになったという経緯を書かれていましたよね。森永製菓の部長から「あの曲を聴かせてくれ」と言われて、何度も演奏しているうちにラジオ番組を持つことになり、そのうち歌手デビューすることになって、60万枚も売れた大ヒット曲「空に星があるように」(1966年、ビクター)が生まれたというエピソードは本当に感動ものでした。最初から歌手になろう、シンガーソングライターになろうとしていた訳ではなかったのに、あれだけのヒット曲が生まれた時代というのは夢がありますよね。

荒木:音楽は好きで、もともと趣味でやっていたんですよ。でもそれを商売にしようなんて思っていなかったんです。俳優やったり音楽やったりしてるから、よく「職業は?」って聞かれるんだけど、もともと「職業」だと思ってやっていた感覚が全然ないんですね。普通は、高校に通って成績が良ければ大学に行くというコースに進むじゃないですか。僕の場合、高校ではそれをまったく否定する生き方をしてきたわけ。やっぱり「自分を生きる」ということをしてきたから、「職業」「仕事」というより、自分の好きなことをやって生きていきたいって思うんです。

──好きなことをやってきただけで、仕事じゃない、職業じゃないんだと。

荒木:もともと「職業」という感覚とか、それをベースにしている生活が向かないんでしょうね。だから自分には「職業がない」。そもそも職業という概念がないんです。たとえば、絵を描く人だって、それが「職業」ですか?と言われたら困るでしょう。僕の場合は歌が好きだから歌っていたら仕事になったんだけど、歌を職業化しているっていう人たちもいるからね。僕にはお金を儲けようという感覚が全然ないんです。お金がいくらもらえるかじゃなくて、自分自身の価値観で決めているだけなんです。

──今まで荒木さんは、幾らもらえるかではなく、「自分の中の価値観」でやりたいことを決めてきただけなんですね。

荒木:今の教育も「自分中心」「自分が、個性が」ということばかり教えているじゃないですか。それをやっていたら人は幸せならないと思うんです。やっぱり「他人」、つまり人がいて自分がいる、という考え方を持たないといけない。そういう教育をしたほうがいいと思うんだよね。いまは要するに「言うことを聞く人間を作る」っていう教育だから。人間関係を切っていこうとする教育なんだよ。それじゃあ、どうやったって幸せにならない。人間関係よりも「お金を掴むことが幸せだ」っていう勘違いがある。

人生成功の秘訣は「価値観」と「人間関係」、そして「様子を見るな」

──つまり、荒木さんが成功したのは「自分の価値観を大事にする」「人間関係を大事にする」ということを続けてきた結果だと。

荒木:そうですね、僕は「自分の中の価値観でやりたいと思ったことをやる」という生き方を、この本に書いた時代のあともずっと続けてきたわけです。その代わり衝突も多いですよ。でも、ぶつかってもぶつかっても同じことを繰り返していく。そのことで成功をおさめてきて、結果こういう家に住むことが出来ているわけ。だから、自分は絶対に貧乏になっちゃダメだって思ってたんだよ。そうでないと、人に何か意見することが出来ないから。正しいことを言っているのに貧乏だったら話にならないじゃないですか。

──たしかに、それは説得力がありますね。

荒木:僕の理論はとてもシンプルだと思うんですよ。「人がいなければ自分が幸せになることは出来ない」、ただそれだけ。「人との繋がりが大事なんだ」ということを、どこかで教育しないとダメだと思いますね。僕の場合、そういうことを習う場所があったわけじゃないから、必ずどこかで衝突することになるんだけど。こういう自分の経験を誰かに教えてあげたいと思いますね。いつも本音でぶつかってきたけど、そのことで繋がった人間関係をいっぱい持っている。だから、何か仕事をする時に、いつでも何か出来るという。普通の人は、本音でぶつかることはせずに、やりくり算段、自分のことしか考えていないから「様子を見る」ようなことばかりになる。それをやっちゃうと人間がダメになるんだよ。なぜか「様子を見る」ということが賢いと勘違いしているんだよね。

──相手の顔色をうかがうのは、相手のことを考えているというよりも、自分の「保身」のためだからですよね。

荒木:だから「様子は見ない」こと。たとえば、小さな子どもっていうのは何でも見せようと思っていろいろな物を大人に持っていくでしょ? 最初はわからないから、変なものや相手が嫌いなものを持っていったりして嫌がられたりするんだけど。それが段々と成長するに従って「あ、これが本当に人が喜ぶ物なんだな」ということが経験でわかってくる。そういう風に自然体で教育していけば、いろいろな経験がすべて生きてくると思うんだよね。

──本日は『空に星が〜』の創作秘話から現代教育論、そして人生成功の秘訣まで、いろいろ貴重なお話をいただき感謝申し上げます。日本の芸能界の裏側を知るだけでなく、荒木一郎さんという人間が1960年代という日本の高度経済成長期でどのように生き、何を考え、どう動いてきたのか、そしてなぜ成功をおさめることができたのか、その一端を直接ご本人の口からお伺いすることができて光栄でした。まだ『空に星があるように 小説 荒木一郎』をお手に取っていない方は、ぜひ人間・荒木一郎の生き様を、この本の行間から感じていただきたいと思います。ありがとうございました。


【取材を終えて】

「荒木一郎」は、歌手や俳優、小説家である以前に「ひとりの人間」である。それは、ただの人間(ヒューマンビーイング、ホモサピエンス)という意味ではない。あらゆることに忖度をせず、自分の頭で考え、感じ、思ったことを行動に移せる「本当の意味で自分を生きている人間」という意味だ。

あるときは大物脚本家に楯突き、あるときは本音でぶつかって口論し、あるときは自分の直感や価値観を信じて新しい試みにチャレンジする。その生き方は齢79となった現在でもまったく変わらない。

私たちが本来持っていた、しかし何処かへ置いてきてしまったものを変わらず持ち続けているからこそ、彼の音楽や演技、そして私小説の中にいる「荒木一郎」に憧れ続けるのかもしれない。

今回のインタビューを終えて、時代を経ても変わらない荒木一郎氏の強烈な個性は、あらゆる忖度がはたらく今の時代だからこそ、なお一層輝いて見えるような気がした。(MAG2 NEWS編集部gyouza)

 

愛が消えるとき、歌が生まれた。

歌手、俳優、そして作家。多彩な才能を持つ荒木一郎が78歳にして四半世紀ぶりに送り出したのは、自らの代表曲「空に星があるように」を冠した大河青春小説である。60年代の映画・テレビ界を舞台に、荒木自身の彷徨する魂が躍動的な筆致で描かれる。

吉永小百合、岩下志麻、十朱幸代、大原麗子・・・同時代に輝いた女優たちとの美しい思い出の数々にはじまり、伝説のジャズバー「ありんこ」での不思議な交遊録、名曲「空に星があるように」誕生の秘密、「日本春歌考」ほか映画出演秘話など逸話が続々と披露される。芸能界の黄金時代を背景に、自らの例外的な魂の軌跡を「小説」として描き切った画期的作品。

空に星があるように 小説 荒木一郎(小学館刊)

定価 3300円(税込)
発売日 2022.10.28

image by: MAG2 NEWS編集部

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