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犯罪組織が鮮やかに盗みだした「ドレスデン城の財宝」を司法取引で取り戻す、先進国ドイツの物騒な一面

ドイツでここ数年、全国民を騒然とさせた大きな「盗難事件」があったことをご存知でしょうか。それは時価147億円にものぼる18世紀初頭の「ドレスデン城の財宝」が、犯罪組織のメンバーによっていとも簡単に盗まれてしまった大事件でした。そんなドイツ最大のミステリアスな事件は昨年12月、意外な「結末」を迎えたのです。その経緯を伝えるのは、作家で現地在住の川口マーン惠美さん。川口さんは今回、先進国ドイツの根幹を揺るがしかねない検察の動きなど、知られざる「物騒な一面」を紹介しています。

プロフィール:川口 マーン 惠美
作家。日本大学芸術学部音楽学科卒業。ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ドイツ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)をはじめ主な著書に『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)、『復興の日本人論』(グッドブックス)、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。

盗まれた147億円の芸術品「ドレスデンの財宝」

旧東独のドレスデンはザクセン州の州都で、エルベ川のフィレンツェと言われるほど美しい町だ。壮麗な宮殿や教会、財宝の詰まった美術館の数々。18世紀初頭がドレスデンの隆盛の頂点で、その基礎を作ったのが1670年生まれのアウグスト強王。権力を求め、美と芸術を愛し、贅の限りを尽くした破格の王だ。彼が数限りない愛人との間に残した庶子の数は、優に350人を超えたと言われる。

そのドレスデンが、第二次世界大戦末期の空襲で灰燼に帰したのが1945年2月。その後、分断されたドイツの中で忘れ去られたこの町が、再び華麗さを取り戻したのは、統一後10年以上も経ってからのことだ。当時、ドレスデンにすっかり魅せられた私は、2007年、『ドレスデン逍遥』を上梓した。

アウグスト強王の居城であったドレスデン城は、現在、博物館となっている。中でも「緑の丸天井」と呼ばれる一角には、王のコレクションであった目も眩むような宝物が並んでいる。コンピュータも工作機器もない時代に、なぜこのような精巧なものが作れたのかがわからず、科学の進歩とともに人間の能力は劣化してしまったに違いないと、一人で妙に納得したのを覚えている。

2019年11月25日の早朝、この「緑の丸天井」に二人の男が押し入って、精巧な芸術品、21点を盗んだ。事件前、近所の配電機器に放火し、警報装置が作動しないようにした上で窓から侵入。斧で特製のショーケースの強化ガラスを破壊している様子が、綺麗に監視ビデオに写っていた。

このショーケースには、特に貴重な装飾品が収めてあった。リボン形、あるいはバラを模した丸い形のブローチ、剣の持ち手の部分、首飾り、バックル、肩章など、盗まれた21点の装飾品に散りばめてあった宝石は、ダイヤモンドだけでも4316個というから、その価値は計り知れない。被害総額は1億1340万ユーロ(1ユーロ135円で約147億円)と換算された。

しかし、本当の損失は金額よりも、これらの芸術品が永遠に失われてしまうかもしれないという冷徹な事実だった。それは美術史上、取り返しのつかない損失であり、考えただけで誰もが絶望するに足るものだった。

組織的暴力団が支配する無法地帯も。ドイツの知られざる一面

ドイツには、マフィアのような血縁集団の組織的暴力団が数多く存在する。ベルリン、ケルンなどいくつかの都市の一部には、彼らが支配する、警官さえ足を踏み入れたがらない無法地帯も形成されている。

問題の根は深く、70年代にまで遡る。当時、ドイツ政府は、内戦下のレバノン人、そして、トルコで抑圧されていたクルド人(トルコ国籍)を難民として受け入れた。しかし、それが裏目に出て、現在ドイツの犯罪の統計を見ると、その頂点にいるのがクルド・マフィアとレバノン・マフィアだ。彼らの犯罪は多岐にわたり、すでに様々な利権を獲得、暗躍できる法律のグレーゾーンも拡大している。下手に告発すれば、裁判で検察が負ける可能性も高いというから、彼らはまさにビジネスライクで、プロなのだ。

ドレスデン事件から1年経った20年11月、ベルリンの犯罪組織の中でも特に名を馳せている「レンモ」が大掛かりな捜索を受けた。レンモ家を中心としたレバノン系のグループで、メンバーが1000名を超える大世帯だ。強制捜査に至った経緯は、警察がフランスの諜報機関からの通報で闇のチャット網の解読に成功し、それにより、ドレスデン事件にレンモが関わっている証拠を掴んだのだという。その後の捜査により6人が起訴され、22年の初めからは厳戒態勢の下で裁判が始まった。しかし、その頃には、この話題はニュースから消え、皆が忘れてしまっていた。

その年、12月中旬までの11ヶ月の間に33回の公判が開かれ、わかっているのは、被告6人は23歳から29歳の間の若者で、苗字は全員レンモだということ。ただ、彼らは口が固く、盗品の返却に対する報奨金150万ユーロという誘惑にも乗らなかった。

しかも、6人のうちの2人は、2017年3月にベルリンのボーデ博物館から100kgの巨大な金貨、カナダのビッグ・メイプルリーフ(カナダが5枚だけ製作した特別金貨で、当時の時価で1枚375万ユーロ)をあたかもゲームのように盗み、世間を騒がせた若者たちだった(なぜ、彼らが自由に動き回っていたのかは報道されていない)。

ちなみに、ビッグ・メイプルリーフは消えたままで、おそらく溶かして小分けにして売り飛ばし、レンモの資金源になったと見られる。それもあり、ドレスデンの宝物も、裁判が長引けば長引くほど、ダイヤモンドや宝石が個別に売り払われる懸念が高まった。いや、すでにそうなっているかもしれなかった。

ドレスデン盗難事件に急展開。なぜ財宝は戻ってきたのか?

ところが、盗難事件から3年以上が経過した昨年12月17日になって、21点の財宝のうちの18点が戻ってきたという思いがけない吉報がドイツを駆け巡った。ニュースに登場した博物館長は、「戻ってくると信じていた!」と嬉しさを隠せない様子だったが、検察の係官の表情は、安堵とジレンマが合わさったようで、そこまで明るくはなかった。なぜか? 

実は、レンモと検察の間では、司法取引が行われていた。司法取引というのは、犯人が事件の解明に役立つ十分な証言をすれば、その見返りとして減刑されるという、いわば犯人と検察のディールだ。ドイツでは、司法取引自体はそれほど珍しいことではないが、三権分立の原則からは問題があるとも言われる。なぜなら、検察は「行政」に属し、事件の解明がその任務だが、裁判所は「司法」であり、その役割は犯人の罪を判定し、刑を定めることだ。その司法が行政の捜査を助けるために犯人の刑を軽減するとなると、法治国家の原則である三権分立に傷がつくとも言える。しかし、今回の場合、盗品の価値がかけがえのないものであったがゆえに、そんなことは言っていられなかったのだろう。

その夜、盗品の返却は、ベルリンのとある弁護士事務所で整然と行われた。つまり、これは捜査の成果ではなく、レンモの弁護団との取引の結果だ。検察は未だに、これらがどこに隠されていたかさえ知らないという。1億ユーロを超える「ブツ」を3年間も保管し、検察に気づかれることもなく約束の場所に運んでくるだけでも、レンモのロジスティック能力が偲ばれる。

しかし、戻ってきていないものも、もちろんある。例えば、2個のダイヤモンドの入った肩章。そのうちの一個は「ザクセン・ホワイト」と呼ばれる破格のダイヤで、双方のダイヤを合わせた金額は、当時、3トンの金に相当したという。肩章がそのまま、あるいは、ダイヤだけが抜き出されて闇コレクターの手に渡っている可能性は否定できない。それとも、レンモがわざと返却していないのか? 謎は多い。

一番得をしたのは「犯罪組織レンモ」という皮肉

さて、今回のディールで一番喜んだのは、もちろん、盗品が戻ってきた博物館。国民も間違いなくホッとしている。

また、裁判所にとっても、今後、被告の自白があれば面倒な証拠物件の提示が軽減されるので好都合。しかし、なんと言っても一番得をしたのはレンモの面々だろう。

ドイツの刑法では、窃盗なら最高で懲役10年、放火なら15年だが、今回の取引で、それが半分から3分の1に軽減される見込みだ。しかも、逮捕からすでに2年が経過しているし、おまけにドイツでは、刑の満期が来る前に釈放されることも多い。

つまり、運が良ければ、判決が出る頃、彼らの刑期は終わりに近づいている可能性も高い。そうなれば極端な話、今回の収穫が、仮に「ザクセン・ホワイト」の肩章1個だけだったとしても、彼らにとってこの強盗は、「やっぱりやって良かった!」という結論になるのではないか。

事件の真相は「迷宮入り」のまま

ただ、司法取引の第一の目的は事件の解明なので、被告人たちは、盗品の返却後、検察の質問に対して詳しい供述をするという約束になっていた。ところが、返却後、公判はすでに3回開かれているが、現在、暗礁に乗り上げているという。検察官によれば、被告らの返答はどれも不完全で、供述は信憑性に欠け、自白には程遠い。つまり、「事件の解明」には今のところ全く役立っていないらしい。あと二人いるはずの共犯者も特定できていなければ、6300万ユーロ分の盗品も行方不明のままだ。

それに対し弁護団は、被告の自白は司法取引での取り決めを十分に満たしているという主張。まだ見つかっていない盗品の隠し場所や共犯者についての質問は取引条件に入っておらず、しかも、公判で行う質問でもないという意見だ。また、博物館側が請求しようとしている賠償金についても、見解は真っ二つに割れているという。

被告らのこれからの証言が裁判官の満足のいくものでなかった場合、司法取引が覆る可能性もあるという話だが、その可能性は低いだろう。レンモが抱える弁護士たちは、これまでもずっと、あらゆる法を駆使してこの犯罪組織の利益を守ることに成功してきたのだから、きっと今度もうまくやるに違いない。結局、今回の司法取引は、盗品が戻ってきた以外は、「レンモに一本!」となるのではないか。

犯人たちが娑婆に戻り、また自由に恐喝や窃盗に励む日はおそらく近い。先進国ドイツの物騒な一面である。

プロフィール:川口 マーン 惠美
作家。日本大学芸術学部音楽学科卒業。ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ドイツ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)をはじめ主な著書に『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)、『復興の日本人論』(グッドブックス)、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。

image by : Delpixel / Shutterstock.com

川口 マーン 惠美

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