さまざまなタスクに取り囲まれるような状況の中に生きている現代人。我々はそれらのタスクを、どのような考えを持って整理すべきなのでしょうか。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では著者で文筆家の倉下忠憲さんが、そんな問題を深掘り。そこから見えてきたのは、「決めること」が持つ大きな意味でした。
きわめて簡単できわめて難しい。二種類の「やること整理」について考える
前回は、「心の整理」について考えました。タスクという情報を整理することで、自分の心を整理していくこと、ある種の決定を行うこと。それがタスク管理における心の整理です。
その話を踏まえて、今回は「やることの整理」について考えていきましょう。
■「やること整理」にある二種類の“高さ”とは
前回までの話をまとめると、「やることの整理」と呼びうる行為には二種類の“高さ”があることがわかります。
まず、たくさん存在している「やること」の中から今(ないし今日)やることを選ぶ、という整理です。デイリータスクリストを作ったり、その順番を整えて実行したいものから上に配置していく、といった作業がこのレベルの「やることの整理」です。
言い換えれば、そこで行われる「やること」の整理は、もうすでに「やること」だと決まっていることを配列するものです。もちろん、そうした整理ですら三体問題くらいの難しさが発生することもありますが、それはレアケースでしょう。たいていは、サブウェイでメニューを選ぶ程度の難しさに留まります(これが難しい人もいるのは承知しています)。
■なぜ個人の「やること」は際限なく増えるのか
上記のレベルだけでタスク管理を理解していると、どこかの時点で躓いてしまうでしょう。なぜなら、現代社会は個人の「やること」が際限なく増えるベクトルを持っているからです。
ここでなぜそうなっているのかを探求するのはやめておきましょう。端的にキーセンテンスだけを並べると、集団ではなく個人に責任が置かれるようになったから、消費・広告が強力に人を動員するようになったから、個人がエンハンスされすぎているから……、あたりが挙げられるかと思います。
なんであれ、ごく普通にメディアと世間に接しているだけで、いろいろなことが「やること」として降りかかってくる、というのが現代社会生活であるように思います。
そうした状態において、すでに存在する「やること」をどう整理(というか配置)するのかを考えるだけはまったく足りません。もっと上流の(あるいは低級の)「やること」整理が必要です。
この記事の著者・倉下忠憲さんのメルマガ
■危険な徴候。こんなタイプが自己啓発セミナーに引っかかる
そうした“高さ”における「やることの整理」は、目の前にある情報(あるいは頭に浮かんでいる情報)が、はたして自分の「やること」なのかどうかを考える作業を意味します。「やること」にするのか、しないのか。それを決める行いとしての「整理」です。
この「やること」の整理は、ある意味できわめて簡単であり、別の意味できわめて難しくあります。
まず「難しさ」から考えていきましょう。何がどう難しいのか。
タスクリスト的なレベルの「やること」の整理は、パズルめいた知的作業となります。手持ちの時間と優先順位を考慮して、まっさきに着手するものを選ぶ。難しいのは難しいですが、「フレーム」(フレーム問題のフレームです)が決まっている中での難しさに留まります。
* もちろん、巡回セールスマン問題的な難しさまで発展してしまうこともありえますが。
一方で、今考えている「やること」の整理は、まさにその「フレーム」を決めるような行為です。自分にとって一番大切なことは何なのか、この人生を通して自分は何を為すのか(『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルの言葉を借りれば、「私はこの人生に何を与えるのか」)は、パズルを解くのとはかなり違っています。方程式もなければ、効率的なアルゴリズムもありません。ヒントもなければ、アドバイザーもいないのです。
自分の責任において、自分で決めなければなりません。
もし、タスク管理をタスクリスト的なレベルだけで捉えていたら、この問題は手に負えないでしょう。その結果、あたかもこのレベルの問題すらもパズルであるかのような言説(いわゆる自己啓発、セミナー系言説)に抗えなくなります。危険な兆候です。
■「自分にとって一番大切なことは何なのか?」という問いに正解はあるか
上記のようにこのレベルの問題はきわめて「難しい」のですが、光明もあります。それは「正解」なんてない、ということです。
自分にとって一番大切なことは何なのかは、他の誰にもわからないでしょうし、決めることもできないでしょう。もっと言えば、当人ですらもわからない可能性があります(これが問題の「難しさ」を形成しているわけです)。
つまり、あらかじめ存在する「正解」などないのです。もし、適切な学習の機会を得られずに、「この世界の問題にはあからじめ正解が決まっているのだ」という認識をお持ちの方は、少し頭を揺さぶった方がいいでしょう。むしろこの世界の問題の大半は正解などなく、私たちの目の前に「問題」として提示されるものはかなり特殊なものなのだ、と。
よって、
「自分にとって一番大切なことは何なのか?」
という疑問は正解がありません。むしろ、えいやと自分が決めたら、それが「答え」になります。どんなものを選ぼうとも、それが「答え」になるのです。
何かを決めたら、それが「答え」になる。
別の視点を取れば、この問題の「難しさ」は要求される知的な能力の大きさに由来するのではなく、「決める」という行為にかかる心理的な負荷の高さに由来している、ということです。何かを「決める」ことが難しいのです。
パズル的な難しさであれば、アルゴリズム的なサポートが得られる未来は描けるでしょう。しかし、こちらの難しさはそうはいきません。AIによるサポートが存在する社会を背景にした『PSYCHO-PASS』という作品はそこにあるディストピアを見事に描いていますが、「決める」ことを避けては大切なものを失ってしまうのでしょう。それは「タスク管理」というノウハウ分野ですら言えることです。
決めることは難しい。でも、決めてしまえばそれが「答え」になる。あとはその答えと共に生きていく。言い換えれば、その答えが自分にとっての「フレーム」になる。そういう関係があります。
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■「何でもできる」と謳うノウハウものに隠されている欺瞞
「自分にとって一番大切なことは何なのか?」
この問いの難しさがパズル的な難しさと混同されてしまうのは、表現に依るところがあるかもしれません。たとえば、こう言い換えたらどうでしょうか。
「あなたは、何を一番大切にしたいと思っていますか?」
「大切にすることについて、どのような意志をお持ちですか?」
問われているのはパラメータではありません。言い換えれば、「あなた」というオブジェクトがあり、そのオブジェクトが所有するパラメータにおいて「優先順位」という属性の値が一番大きいものを問われているわけではないのです。
そうではなく、どんな「意志」を持っているのか。そう問われています。そう問われているからこそ、難しいのです。それは何かを選ぶことだからであり、それはつまりそれ以外を捨てることだからです。
この難しさについては『限りある時間の使い方』という本でも検討されています。現代社会では、個人に選択肢を与えることが是とされていて、それはたしかに何も選択肢がない状態においては正しいと言えるでしょう。しかし、「決めること・捨てること」をしたくない、という状況において加算的に選択肢を与えることはまったくよくない結果をもたらします。「捨てなければならない」という現実的な制約を見失ってしまうからです。
ある種の「ノウハウ」に欺瞞があるのもこの点です。たしかにそうしたノウハウは、パズル的な難しさをクリアする助けにはなってくれます。しかし、そうした助けがあってすら、私たちは何かを選び、何かを捨てなければなりません。しかし、ノウハウは自分を売り込むために「何でもできるんです。やることををすべてやれるんです」と謳います。そこでは明瞭な隠蔽が行われているのです。
■何かを決めることとは、何かを捨てること
それがどんな決定であっても構いません。なにせ「正解」はないのですから。
自分はこれを大切にする。そう決めること。それができれば、タスク管理の「フレーム」が定まり、いろいろなものが回りはじめます。
もちろんそのことは、社会的成功を約束するものではありません。むしろ僅かに生きづらさが増えることすらあるでしょう。何かを決めることとは、何かを捨てることなのですから。
でも、そうしないと私たちの「やること」は際限なく増えていき、私は自分にとって何が大切なのかを決められないままずっと過ごすことになってしまいます。
もしノウハウが人が生きることの助けを目指すならば、これは本末転倒なばかりか、有害なものにすらなってしまうでしょう。
以上のように「やることの整理」一つとっても、簡易に片づくレベルと“人生論”に結びついてしまうやっかいなレベルが存在しています。おそらくは、その二つの領域が「同じ言葉」によって表現され、片方からもう片方への“道”がつながっている、というのがポイントなのでしょう。真剣に取り組めば取り組むほど、“実務”の話に留まっていられないわけです。
個人的にはそういう「接続感」を大切にしていきたいと考えています──(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2022年2月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録の上、2月分のバックナンバーをお求め下さい。
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