日本の教育や企業のありかた、結婚の方法、そして定年─。人生を送るにあたってぶつかることの多いものについて、何か「おかしい」と感じたのは、メルマガ『j-fashion journal』の著者でファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さん。日本の何がおかしくて、これからどういう形に変えていけばより良くなるのかについて持論を展開しています。
日本の教育、会社、結婚、定年って何か変!
1.博士ちゃんと異次元少子化対策
テレビ朝日放映の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』という番組では、子供ながら大人顔負けの知識を持つ「博士ちゃん」が次々と登場します。興味を持つ対象も豊富で、「昭和家電」「昭和歌謡」「お城」「野菜」「魚」「恐竜」「信号機」「航空写真」など千差万別です。
人が成長する過程で、何にでも興味を持つ好奇心旺盛な時期があります。多くの親は、学校教育を優先して、個人の好奇心を抑制するものです。しかし、博士ちゃんの親達は、本や図鑑や模型を与えたり、子供と一緒に旅行をして、好奇心を伸ばし、好きなことをする時間や空間を確保しています。小学校を卒業する頃には、大学の専門的な研究者と肩を並べるくらいの知識と考察力を獲得しています。本を書いたり、セミナーの講師をしている博士ちゃんも少なくありません。
博士ちゃんが凄いのは、学校や会社という組織に依存していないことです。個人で考え、個人で行動し、個人で情報発信しています。
多分、昔から博士ちゃんは存在したのでしょうが、現在のネット環境が博士ちゃんの育成を加速していると思います。世界中の様々な情報が簡単に入手できる。専門家の活動も知ることができるし、連絡を取ることもできるのですから。
現在の学校教育の基本は、書籍が高価で入手できない時代のメソッドで、先生が書籍を黒板に板書して、学生をそれを写すというものです。そして、学校には図書館がありました。授業で足りなければ本を借りて勉強できます。
ネットから情報が入手できて、書籍が自由に購入できる現代は、先生が学生に何かを与える必要はないのかもしれません。博士ちゃん達は先生の指導を受けずに成長しています。博士ちゃん達が必要としているのは、理解ある親と経済的支援、大学教授や専門家レベルの指導者です。
私は、好きなことを勉強し、好きなことを仕事にするのが最も幸せだと考えています。嫌いなことを勉強しても頭に入らないし、それが仕事につながるとは思えません。全ての科目で平均点を取るより、好きな科目で満点を取る人材の方が現代のビジネスには適しているからです。
ここで疑問が出てきます。なぜ、大学の授業料はあれほど高いのか。大学の授業はそもそも必要なのか。社会人として働くのに大学の授業が役に立っているのか。そして大学に入学するための受験勉強は必要なのか。
博士ちゃんが証明しているように、小学校から高度な専門的な内容を勉強すれば、高校までの12年間で相当のレベルに達すると思われます。大胆な飛び級制度を整備すれば、18歳で大学卒業できるのではないでしょうか。
大学教育も、インターネット限定で格安コースはできないのでしょうか。アーカイブされた講義動画や、リモートで講義を受講するだけの限定コースなら、大学の施設を使う必要もありません。卒業資格を得るための論文審査は別途料金にするという方法もあります。
教育費が安くなれば少子化対策にもつながりますし、高等教育期間を短縮できれば、生涯賃金も上がり、結婚、出産する人も増えると思います。これくらいやらないと異次元とは言えません。
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2.日本企業は疑似単身赴任社会
男性社会の問題点は男女の性別分業にあると言われています。男性は会社で働き、女性は家事と育児を行う。そのため、女性の社会進出、労働進出が遅れているというものです。
特に日本の男性は長時間労働で、家庭不在になりがちという問題点もあります。
この問題を解決することはできるのでしょうか。一つの解決策として、「ワークライフバランスを考えましょう」と言われますが、この問題は個人の意識を変えるだけで解決するのでしょうか。私は、もっと歴史的かつ社会的な問題があると思っています。
江戸時代、参勤交代で江戸に詰めている武士は単身赴任でした。家族は国許にいて、男性だけが江戸で勤務していました。
同様に、商人も単身赴任でした。結婚して所帯を持てるのは主人か番頭くらいのもので、一般の従業員は独身でした。
その他、農村から次男三男が江戸に出稼ぎに来ていました。その結果、享保7(1722)年の江戸は総人口48万人のうち、男性は31万人、女性は17万人で、男性は女性の1.8倍もいたのです。
男性の比率が高いので、性産業が盛んで、女性の方が稼ぎが良かったとも言われています。
日本の男性社会は西欧の男性社会とは異なります。外国企業では、海外赴任する場合、家族と一緒に赴任します。確かに、男性が働いて女性が家事をしているのですが、仕事の以外の時間は、夫婦(男女)が一緒に過ごすのが基本です。
ところが、日本企業の海外赴任は単身赴任が多いのです。奥さんがいないので、現地の性的なサービスを利用する人も少なくありません。
これは江戸時代から続く日本企業の伝統です。本来、仕事や商売は単身赴任で行うもの、という暗黙の掟が存在しています。ですから、仮に家庭があったとしても、職場の男性同士の付き合いが優先されます。日本社会の問題は、男性社会以前に、疑似単身赴任社会であることです。
昭和の時代には、この伝統が生きており、仕事が終われば、毎日のように夜の街に繰り出し、ホステスと話したり、触れ合ったりしていました。実際には家庭があっても、単身赴任の意識を持つことが掟でした。
疑似単身赴任社会の職場は男性の掟で支配されています。女性を性の対象として見る癖がついているので、当然セクハラになります。
まずは、疑似単身赴任文化を完全に撲滅しない限り、男女共同参画も実現しません。
そこで、提案です。もし、会社の経営陣が単身赴任文化を撲滅する意志があるなら、年に数回、会社主催で夫婦同伴のパーティーを開きましょう。そして、所属する業界団体の懇親会も、夫婦同伴にしましょう。秘書や女性社員の同伴は認めず、あくまで奥様同伴です。
そうするだけで、バーティーの雰囲気が変わり、会話の内容も変わるでしょう。単身赴任文化から夫婦文化への転換は、日本企業が国際化する第一歩でもあります。
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3.LGBTと結婚、生物学的多様性
LGBTという言葉が話題となっています。レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)の3つの性的指向と、トランスジェンダー(Transgender)という性自認の各単語の頭文字を組み合わせた表現です。最近では、LGBTでは不十分であり、LGBTQ、LGBTQ+と表現すべきという意見もあります。
私は長年ファッション業界で仕事をしてきたので、LGBTにはあまり抵抗がありません。人生いろいろですから、それぞれの人が好きに生きればいいと思います。
有名デザイナーの多くがゲイであることは公然の秘密ですし、ファッション業界、ヘア&メイク業界ではゲイであることをカミングアウトしても、差別を受けないと言われています。
LGBTと共に、同性婚も問題になっています。結婚となると、法律的な問題になります。
フランスでは婚姻届を出さずに、家族として生活する人も少なくありません。多分、個人的な関係を国に認定してもらう必要はないと考えているのでしょう。事実上、同性婚をしている人も少なくありません。
そういう社会になれば、LGBTも同性婚の問題も解決するのではないでしょうか。つまり、両親と子供の関係を婚姻関係より優先し、DNA鑑定等で実子と認定されれば、扶養義務や相続の権利は生じるという法律を整備するということです。また、財産の相続に関しては実子がいない場合は、遺言で指定すれば、個人にも法人にも相続権を与えることができるようにします。
もちろん、現行の結婚制度は維持し、法的な婚姻関係を望む人は結婚すれば良いでしょう。そうすれば戸籍に記載することができます。
次に性別について考えたいと思います。そもそも、なぜ人には性別があるのでしょうか。雌雄同体の生物もいますし、雌が単独で子供をつくる単為生殖もあります。
有性生殖の意義は、2つの細胞(精子と卵子)の接合によって両者の遺伝子が組み替えられ、新たな遺伝子の組み合わせを持つ個体が生じることです。つまり、多様性が進むということです。
人には免疫に関わる「HLA遺伝子」があり、多様であるほど感染症などに強くなるそうです。そして、女性は自分と異なる「HLA遺伝子」を持つ男性の匂いを「良い匂い」と感じるそうです。
多様性という意味では、外国人に惹かれるのも自然なメカニズムかもしれません。
但し、やっかいなことに、我々は生物学的な問題だけでなく、経済的、社会的、文化的、民族的、宗教的問題等を抱えています。これらは、必ずしも多様性を良しとしません。同一性を重視し、異質なものを敵とみなし、多様性を排除することもあります。
生物学的に異性婚は多様性を志向するものですが、異性婚だけが正しいとして、異質なものを排除する考え方が強くなると、社会的に性の多様性を認められなくなります。いずれにしても、どちらが正しく、どちらが誤りと決めつける態度は多様性を阻害します。互いが異論を許容し、意見の多様性を緩く認めることで社会は円滑に回っていくのではないでしょうか。
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4.ハッピーリタイアメントと休日の生活
定年退職する時、欧米では「ハッピーリタイアメント」のグリーティングカードを贈られるそうです。それほど、皆、定年退職を楽しみにしています。ようやく会社から解放され、自由に生きられるという喜びでしょう。
日本ではどうでしょうか。送別会で抱えきれないほどの花束を贈られる人もいるでしょう。それでも、幸せな気持ちというより、「明日から何をすればいいんだ」と不安を感じる人も多いと思います。
なぜ、欧米では待ちに待った自由な時間なのに、日本ではやることがない不安な時間になってしまうのでしょうか。
その原因は会社に依存していることです。会社が決めた組織や秩序、ルールに従って生きているうちに、自分で何も決められなくなってしまうのです。
定年は突然やってきます。定年になる日は決まっているのですから、いくらでも準備ができるはずですが、多くの人は何の準備もしません。それどころか、定年後の生活を想像することさえしません。
定年後は、毎日が日曜日と言われます。日曜日にやり甲斐のある時間を過ごしていれば、それを毎日行えばいい。しかし、日曜日を無為に過ごしていると、定年後もやることがなくなります。
西欧のキリスト教徒は、日曜日に正装して教会に行きます。教会では地域の人に会い、礼拝が終わると、家で家族と共に過ごします。彼らにとって、日曜日の生活こそ、人生の喜びであり、本当の生活です。本当の生活を得るために労働します。ですから、労働から解放される定年は喜ぶべき記念日になります。毎日が日曜日になれば、毎日人生の喜びを感じることができるのです。
日本では、学生は勉強する人、会社員は会社に行って仕事をする人と定義します。勉強すると偉いと言われ、仕事をすると偉いと言われます。何のために勉強するかは問われませんし、何のために働くのかも問われません。言われるがままに勉強し、言われるがままに仕事をするのです。
もし、日本でも日曜日こそ本当の生活であると考えれば、お父さんが週末に「明日は休みだから飲もう」ということもなくなるし、子供が「明日は休みだから徹夜でゲームしよう」ということもなくなります。むしろ、日曜日のために早く寝よう、ということになるはずです。
仕事をして、仕事の憂さを晴らすために酒を飲む。その繰り返しの生活では奴隷と変わりません。勉強も仕事も手段であって目的ではありません。人生の目的を考えないままに、勉強して、働く。ストレスが溜まったら、お酒やゲームで気晴らしをする。こんな生活の果てに、定年を迎えたら、その人にどんな意欲が残っているのでしょうか。
「オタク」と呼ばれる人は、熱中できる趣味や生き甲斐を持っています。好きなことに熱中している時間が真の時間であり、学校や会社の時間はそのための労働と割り切ることができます。
オタク活動を維持するために、何らかの生活ルールを作っている人も多いでしょう。会社に依存するだけでなく、自分で生活を組み立てているのです。定年までオタクを通すことができれば、定年後の生活は幸せでしょう。
編集後記「締めの都々逸」
「何か変だと 思っていても 文句言わずに 歳をとる」
コンサルタントという職業柄、課題を見つけ、解決策を考えるのが好きです。目先の解決策ではなく、根本的な解決策を見つけることが重要だと思います。しかし、根本的な問題は解決が難しいので、結果的に目先の問題に集中したりします。それでも、やはり根本的なところからスタートしないいけないと思っています。
ビジネスであれば、徹底的に議論する人達も、プライベートに属する事柄はあまり深く考えません。考えてもお金にはならないからです。こうして忘れ去られた問題が沢山あると思います。問題を掘り返しても何もならないのかもしれませんが、それでもあーだこーだと考えてしまうのです。(坂口昌章)
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