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A high school hall or room set up ready for an end of year final exam to be sat by students. examination paper sitting on the edge of a desk or table.

大学全入時代が元凶?現代の若者が失敗を恐れるようになった理由

桜が満開になる今頃は、進級、進学、新生活の季節。これから大学生になる皆さんの中には、目標としていた第一志望の学校に合格し、晴れやかな思いで入学を心待ちにしている人もいるでしょう。反対に、願いが叶わず暗澹たる気持ちのまま春を迎えたというケースもあると思います。メルマガ『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』の著者で自己改革小説の第一人者・喜多川泰さんは、大学受験の意味と「不合格」に含まれたあなたの勇者たる印について語っています。

勝者より、勇者たれ

十数年前、高校入試の実績として「塾生の合格率100%!」を謳った広告を掲げている塾があった。

数字のインパクトが凄いから、それだけ見ると「いい塾なのかなぁ」と思ってしまう人もいるのかもしれないけど、実際には中3生が1人しかいなくてその子が合格しただけかもしれない。

その状況でも「合格率100%」というのは嘘ではない。数字って怖い。

人数が多くなるほどに100%を達成するのは難しくなる。

特に真剣に勉強をする人が増えるほど100%は難しい。

だから人数が多くて本当に100%を達成したのであれば、その塾の生徒たちは合格できる高校を受験するように指導されただけかもしれない。

「このまま受けても絶対落ちるぞ。受けるだけ無駄だから志望校を変えたほうがいい」と毎日言い続けて、合格できるところに志願を変更させる。

そうすることで誰もが合格できるところを受験した可能性もある。

実際に「行きたい高校」を受験するのではなく「合格できる高校」を選択する人は多い。

まあそれを「進路指導」と言うのかもしれないけど。

もちろん頑張った結果「合格できる高校」のレベルが上がって、そこに合格できるようになったということであれば「おめでとう」という言葉も相応しいのかもしれないし、単純に高校のレベルの問題ではなく、最初から行きたい高校というのが、それほど勉強を頑張らなくても行けるときもある。それも「おめでとう」なのかもしれない。

とにかく状況は一人一人違う。

一つ一つの合格に、それぞれの意味がある。

だけど、受験生を指導していると、「頑張るのが嫌で」「遊ぶ時間が欲しくて」「努力をしなくてもいけるところで」という理由で志望校を下げて合格できる高校を選択する子もいる。

もちろん、それらをすべて一括りにして「めでたくない」と言うつもりはない。

義務教育は中学まででも「高校までは行くもの」というのが社会通念上の一般論ではあるので、行きたいところではなく合格できるところを選択しなければならないという背景もあるのは理解している。

だから実は村長も、高校合格に際しては個々の状況に関わらず「おめでとう」と伝えてきた。

ただ、その意味合いは、人によっては「合格おめでとう」であったり、別の人に対しては「進学おめでとう」であったりと様々だ。つまり、何かをクリアすることに対する「おめでとう」ではなく、七五三や成人式などと同じように、そこまで成長し生きて来たことに対する「おめでとう」もあるということだ。

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ただし、大学は違う

ただし「大学」は違う、というのが僕の認識だった。

例えば大人になって時間ができてから、学び直しということで大学に入る人もいる。僕の知っている人の中には50代になってから女子大生になった人もいる。

大学はどうしても行かなければならない場所ではない。ましてや高校卒業後すぐに行かないなければならないというルールもない。学びたい人が学びたいときに行く場所、それが大学のはずだ。

ところが、大学が学問をする場所ではなく、就職のための履歴を獲得する場所になって久しく、さらに、大学全入時代(大学の定員の方が、受験生総数よりも多い時代)となった今、大学に対する認識も価値も大きく変わって来ている。

そういう時代だからこそ考えたい。

「合格」という結果が、何にも増して素晴らしいという価値観でいいかを。

別の言い方をすると「合格、即イコールおめでとう」でいいのかということです。

僕は称えるべきは結果ではなく、本気で挑戦したという勇気だと考えている。

高校で講演会を依頼されるとき、現場の先生たちからお願いされるのは、「今の子たちは素直でいい子なんですけど、失敗を怖がって挑戦しようとしないんです。先生の話で挑戦する勇気を持たせてあげてほしい」ということなんですね。

でも、どれだけ勇気を鼓舞しても、合格するとそれがたとえどんな受験であったとしても条件反射的に即「おめでとう」、不合格だと失敗といった評価を下される。

そのような状況下においては「何よりも合格することが大事」と高校生たちが考えて挑戦しなくなるのも無理はない。

「何よりも」というのは、「大学に入ったあとで困らないように、合格者として相応しい学力を身につけること以上に、どんな方法でもいいから合格することの方が大事だ」ということでもある。

先ほど、「特に真剣に勉強をする人が増えるほど100%は難しい。」と書いた。納得していない人も多いかもしれない。

でも実際に現場にいると合格者、不合格者の様子は世間のイメージとは真逆だったりする。

不合格者は真面目に勉強をして、誰よりも努力をした人ばかりだ。

適当に手を抜いて、誤魔化し誤魔化し受験勉強をして来た人はあまり不合格にならない。

「?」

いまいちピンとこない?

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手を抜いてもどこかの大学には入れる

誤解を恐れず言えば、適当に手を抜いてもどこかの大学には入れる時代なのだ。大学側も学生の獲得に必死だったりする。そんな時代において、真面目に努力をしない高校生はどうなるか。いきたい大学ではなく「今の実力で行ける大学でいいや」ってなる。

一方で、真面目に努力を続けた受験生は「大学ならどこでもいい」とは思えなくなる。むしろそれじゃ嫌だからこそ、他の人がしないような努力を積んでるんですよね。

実力が上がれば、志望校のレベルも上がる。もちろん、そういう大学には受験生が集まるので倍率も高くなる。だから不合格になる可能性が上がっていく。

「大学ならどこでもいい」という受験生と「絶対に東大しか行かない!」と考えている受験生がいたら、どちらの方が合格する可能性が高いかを考えればわかるだろう。

ところが、合格であれば前者のような感じであっても「おめでとう」と声をかけ、上手くいった人、幸せをつかんだ人といったイメージを持つ。不合格ならどれほど努力して挑んだ人であっても「失敗した人」と考え、残念な人、可哀想な人というイメージを持たれる。結果だけを見てそう思われるとしたらどうやって挑戦する若者を育てられるだろう。

これを読む人の中にも、受験生がたくさんいるのを村長は知っている。

大学受験のために勉強をしている人。資格試験の勉強をしている人。昇進試験のための勉強をしている人。

それぞれが、それぞれのステージで、新たなステージに昇るために頑張っている。そういう人がいる。

その挑戦をすると決めた覚悟が美しいと僕は思う。その勇気を讃えたい。

合格が「めでたい」わけでもなければ、不合格が「惨めな」わけでもない。

合格は必ずしも挑んだ証とはならないが、不合格は間違いなくあなたが挑んだ証だ。どのような結果になったとしても、そこに挑んだという覚悟こそ讃えられるべきだ。

僕はそう思う。

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「天」は絶対に笑ったりしない

年に一度しかないチャンスを逃してもう一年頑張るというのは、その人にしかわからない悔しさ、辛さ、苦しさ、過酷さがあるだろう。それでもなお挑もうとするあなたを笑う「人」はいるかもしれないが「天」は絶対に笑ったりしない。

受験生諸君。

「めでたい」とか、「残念である」とかは、あなたの挑戦に対して他人が貼るラベルに過ぎない。

結果に対する他者の評価にに左右される必要はない。

挑んだ時点で、あなたは「勇者」だ。

人生においては「勝者」であり続けること以上に、「勇者」であり続けることの方が断然価値がある。僕はそう思う。

これまでの人生で、「勝者」になれそうにないから挑戦することを諦めたことはなかっただろうか。

レギュラーになれそうにないから、本気で練習しない。勝てそうにないから、本気で走らない。上手い人ばかりだから、入りたい部活に入らなかった。失敗するのが怖くて、ステージに立たなかった。

その瞬間に「敗者」になりたいくないがばかりに「勇者であること」すら捨てたのだ。

挑み敗れた者をバカにする人がいるのは残念ながら事実だ。彼らこそ「敗者になりたくないから、勇者であることをやめた人」だ。

結果にしか価値を見出せなくなると、自分もそちら側に行くことになる。

もしもWBCで日本が予選ラウンドで敗退していたら、その結果を叩いたり、バカにしたりする人もいただろう。でもそれは同じマウンドに立ったことがない、同じ打席に立ったことがない人だ。日本代表に選ばれなかった野球選手たちは、どんな結果であったとしても「よくやった」と選手たちを称えるだろう。

彼らは本気で世界に挑むと決めた時点で「勇者」だということがわかっているからだ。その事実は勝ち負けに関係なく変わらないのだから。

と言うわけで今週の一言。

「何かの壁を越えるべく挑むことを決めたすべての人よ。あなたは勇者だ」

その勇者が、自分の望みを叶えた瞬間には僕も涙を流して心から言いたい「おめでとう」と。でも大事なのはそこじゃない。

また、挑もうよ。何度でも。

また来週。

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image by: Shutterstock.com

喜多川泰この著者の記事一覧

1970年生まれ。2005年「賢者の書」で作家デビュー。「君と会えたから」「手紙屋」「また必ず会おうと誰もが言った」「運転者」など数々の作品が時代を超えて愛されるロングセラーとなり、国内累計95万部を超える。その影響力は国内だけにとどまらず、韓国、中国、台湾、ベトナム、タイ、ロシアなど世界各国で翻訳出版されている。人の心や世の中を独自の視点で観察し、「喜多川ワールド」と呼ばれる独特の言葉で表現するその文章は、読む人の心を暖かくし、価値観や人生を大きく変えると小学生から80代まで幅広い層に支持されている。

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