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これは教師にしかできないこと。いじめの存在しない「教室」とは?

日本のいじめ問題はなくなることもなく、常に事件は起き続けています。メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』。著者で現役小学校教師の松尾英明さんは、そんな「いじめ対策」について教師ができること、求められていることについて語っています。

いじめ解決の肝は日常の指導にあり

いじめ問題について。いじめ問題については、全国各地で常に事件が起き続けているせいで、逆に大きく取り上げられにくい。確実に常に存在している大問題である。

働き方改革となると教師目線の話題が多いが、教師は子どもへの教育が本業である。学習指導はもちろん、生活指導も行う。中でもいじめ対策はここ十数年の重点項目といってよい。

実際、働き方改革といじめ対策は、強い相関がある。いじめへの対応は生徒指導の中でも特に緊急性が高く、大変な労力と時間を要するからである。もしいじめが少ない、あるいは解決が早い状態になれば、必然的に働き方改革がスムーズになるともいえる。逆にいじめが横行している状態では、働き方改革云々も全てが机上の空論に終わる。本業を真っ当に行った上での働き方改革だからである。

さて、今年度発足のこども家庭庁も、いじめ対策については言及している。

【参考】こども家庭庁におけるいじめ防止対策

いじめを子どもたち自身もなくしたいと感じているという言葉は、真実である。誰しもいいと思っていない。しかしながら、子どもたち自身も解決できず、どうしたらいいかと悶々としているというのが現実である。

『不親切教師のススメ』でも他でも何度も述べているが、いじめの場合でも即座に介入して解決するとは限らない。いじめられている本人を守るのが第一優先ではあるが、それを跳ね返せる力を本人と周りが身に付けることが上策である。子どもは常に守られるべき存在ではなく、ぶつかり合いながら成長していく存在である、というのが基本スタンスである。

次の本はデータも含め、示唆に富んでいる。

いじめを生む教室』荻上チキ 著/PHP新書

この本の中には「学校の役割」が明示されている。ずばり、教師の側に求められるのは、「クラス集団に対する適切な環境改善」であるという。いじめを生まない、あるいはいじめが起きても解決できる環境づくりである。『不親切教師のススメ』における主張と同根であり、ここに強く賛同する。問題解決できる集団づくりこそが肝である。

本文中には「他者への共感性を育む教育」の重要性についても述べられている。共感力がないと、そもそもいじめを解決しようという気持ちにならないのである。
いじめが「他人事」である内は、子ども集団も単なる傍観者と化す。クラス会議で最も育てたい「共同体感覚」(アドラー心理学の用語)はまさにここである。

自らを取り巻くあらゆることを「自分事」として捉え、主体的に解決しようという姿勢。一方で「課題の分離」という観点も必要で、余計なところには首を突っ込まないというバランス感覚も必要である。いじめられている子を助けようとして本人の意思を尊重せずに勝手に動くと、失敗する。問題解決の主体者は、いじめられている側であると同時に、いじめている側でもある。それに周りがどう関わるかが重要である。

教師がどう介入するかも、ここがポイントである。本人は、どうして欲しいのか。助けたい自分には何ができて、何ができないか。どう関わるのが最も根本的な問題解決につながるのか。そして、いじめられている側も大切なクラスの子どもである以上、この子どもにとっても何が最善なのか。これは、子どもが子どもに関わる時にも必要な視点である。

間違いなくすべての子どもが助かるのは、共感的な学級集団づくりである。学級集団づくりこそが教師にしかできない本分であり、ここに尽力する必要がある。

学級生活の些細なところに、この教育の種は撒かれている。例えば、教室の誰かがうっかり何かを床にぶちまけたとする。その時、周りの子どもはどう動くか。最初から自然に動けるかというと、なかなかそうはならない。助けたいという気持ちのある子どもも、多くの場合、何をすればいいかわからないからである。やはりここは「何が正しいか」「どうするべきか」を指導者がきちんと教える場面なのである。ここで「傍観者」しかいない状態で放置されている教室は、いじめ発生時の動きも推して知るべしである。

勉強でわからない子どもがいる時もそう。「自分はできている」と得意気になっている子どもが幅をきかせているような教室では、話にならない。わからない仲間に対し、自分は何ができるかと悩み、考えて、動けることである。極端な話、仲間が一緒に「う~ん」と唸ってくれているだけでも、かなりいいのである。それだけで、わからない子どもも、かなり救われる。あくまで「勉強が嫌じゃない」ことが大切で、それは「勉強がわかる」ということと直結する訳ではないのである。

そういった日常の全てが、子ども自身の自己教育になるのである。「先生」に何でも頼っている教室では、この面での成長は起き得ないのである。

いじめ問題は、根深い。根深いということは、根を押さえることさえできれば、解決につながる可能性がある。だから表面的に「仲良くしましょう」などということは、無意味どころか有害ですらある。日常の実際の行為こそがすべてである。

道徳教育も、ここは常に考えておかねばならない。徳目が見え見えで「チャンチャン」で終わるお粗末でお約束な道徳授業は、浅薄で表面的な人間を育てる。「道徳の研究校は荒れがち」というのはこの辺りに原因があると考えている。
道徳とは、単なる言葉や気持ちではなく、実際の姿と行動こそが大切なのである。

いじめを根から解決する。そのためにも、教師は絶えず情報収集をし、その情報がしっかりと集まってくる学級集団に育てることが肝要である。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

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