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【起業記】大繁盛ラーメン店『町田商店』(その4) 「店舗プロデュースへ」

『<ロードサイドのハイエナ> 井戸実のブラックメルマガ』 より抜粋

第1回第2回第3回

● 横浜家系ラーメン代々木商店

直営2号店となる『代々木商店』は、JR代々木駅徒歩2分、家賃42万円で14坪の、中々の好立地で、先輩から紹介してもらえた表にまだ出ていない物件でした。

物件取得の際に問題になったのは、物件取得費用に掛かる650万円のお金でした。

1号店の『町田商店』の売り上げは堅調で、月商700万円ほどで推移していたのですが、当時僕には利益を出すという概念が欠落しており、儲かった分をほとんどみんなで分けてしまっていたため、人件費は常に50%を超えており、創業から2年半経っていたのにも拘わらず、通帳には600万円ほどしかありませんでした。

何とか1号店の釣銭などをかき集めて初期費用を工面し、物件契約することができましたが、スケルトンだったため、内外装、設備関係で更に1,600万円が必要になりました。

銀行に相談に行くと、保証協会付きで1,600万満額借りることができました。何の根拠もなく勝手に借りられると思っていましたが、今考えるとかなり際どいラインだったのではと思います。財務の知識など全く備わっておらず、かなりの綱渡り経営だったのですが、それにあまり気づいていませんでした。

その後無事オープンし、月商は750万ほどで、まずまずの好スタートを切ることができました。

● ラーメン店プロデュースビジネス

開発したスープを共有して頂いているオーナーから、ある日連絡を頂きました。「田川君が開発したスープすごく評判いいよ! 今度知り合いがラーメン屋をやりたがっているから手伝ってくれないかな?」僕はスープ共有の恩があったため、快諾し、味の開発、お店づくり、オペレーション研修とオープン立ち上げを手伝いました。するとたちまち繁盛店になり、その後も出店を重ね、あっという間に10店舗を超える出店をされました。

その他にも、今、ラーメン屋を運営しているけど、売り上げが上がらない。地方で家系をやりたい、などの方たちにもプロデュースのお手伝いをさせていただき、スタートから1年ほどで、20店舗ほどの出店をお手伝いすることになりました。

『町田商店』という屋号でフランチャイズとして加盟したいとの声も頂きましたが、『町田商店』という屋号自体にブランドなど全くありませんでしたし、何よりラーメン店は同じ屋号で多店舗化することはマイナスだと考えていたため、フリーネームで屋号は自由に決めて頂く、というスタイルをとることにしました。また、個人店らしさが消えないよう、あえてマニュアルも作りませんでした。

フランチャイズではないため、加盟金、保証金は0にし、ロイヤリティではなく、委託で作ってもらった、オリジナルの麺とタレとスープを自社から供給することで、そこから一部利益を頂くというスキームにしました。

たつさんには保険業の本業がありながら、約1年間、無給で手伝ってもらっていましたが、あまりにラーメンプロデュース業のほうが忙しくなったため、新会社を設立し、役員として迎え入れることで、保険業を退職してもらいました。

その後も順調に店舗は増えていきましたが、退店やトラブルはほとんどありませんでした。媒体や営業を使っての加盟店開発は一切使わず、加盟者は実際店舗を持っているオーナーからの紹介のみにしたのが良かったのかもしれません。

プロデュース業を始めたことで、資産を持たずに安定的に収益を上げることができたことと、多店舗展開していくオーナー実績を直で見ることができたことで、その後、直営店の店舗展開に対して大きなプラスを与えてくれることになりました。


● 店舗拡大のきっかけ

『代々木商店』も『町田商店』も、その後も順調に売り上げを伸ばしていきました。正直、1号店の『町田商店』に関しては、自分が現場を抜けることで多少の売り上げが落ちるのも覚悟していましたが、逆にどんどん上がっていきました。自分の下で働いているときは、少し頼りないなと思っていたスタッフ達も、信じて任せることで、意識が高まり、その時は想像もつかなかった成長を遂げていきました。その時、人の成長に限りはないな、人の成長のステージのためにも店舗を増やさなくてはと思いました。創業当初はあまり拡大せず、3店舗位をしっかりとやっていこうと思っていましたが、みんなの自己成長欲求を満たしていくために、店舗展開していくことを決断しました。

そして、『代々木商店』のオープン後の1年後に町田にもう一店舗、そしてその半年後には綱島に出店しました。綱島の店舗は、10坪家賃30万で月商1000万円を超える繁盛店になり、飲食店をやる上でやはり場所は重要だと改めて感じました。

みんなの成長の成果がちゃんと対価として現れるよう、営業利益の25%を毎月の給与にインセンティブとしてつけることにしました。利益が出なければインセンティブもつけることができないので、より一層、場所選びに慎重になっていきました。

綱島の出店を境に自分は現場を離れ、メインの仕事を物件開発にしました。毎日たくさんの物件を見に行き、広範囲のエリアでの土地勘を培っていきました。ラーメン屋の居抜きは、ラーメン店としてまたオープンしてもインパクトがないため敢えて狙わず、意外と家賃が割安で設定されている元々物販や、新築物件などをメインに申し込んでいきました。

ラーメン屋は、同条件で他社の申し込みが入ると取得できないケースがほとんどだったので、人気の物件は条件を上げて申し込んでいきました。5号店となる横浜は、何としてでも取得したかったので、家賃を10万上乗せ、礼金で500万支払って取得しました。そうして2013年は4店舗の出店をし、直営店舗は8店舗まで増えました。

気付けば『壱六家』を退社した時の店舗数と同じ規模になっており、自分の退社後、『壱六家』が出店と退店を繰り返し、伸び悩んでいたのを知っていたため、このままたいした知識も無いまま進んでいくことに一抹の不安を抱いていました。

そして、そんな矢先、自分の経営観に大きな影響を与える1人の人物に出会うことになるのです。


● 運命の出会い

当時僕は、経営者の知り合いといえば、プロデュース業のパートナー企業のオーナーさんがほとんどで、年齢も1周り以上年上の方ばかりだったので、田川君は若いのに凄いね、などと言われていて少し天狗になっていた部分があったと思います。

しかし、2013年の夏のある日、ガイアの夜明けというTV番組を見て、それは思い上がりだったと気づかされます。

「サブライム花光雅丸」

僕の1つ年上ながら、最年少100店舗に最年少年商100億達成。それ以上に心揺さぶられたのは、自分が創業から思い悩んでいた従業員の独立を叶えていることでした。「将来の夢は独立です!」という志を持った従業員に対して、「応援するよ」と口にはしていたものの、優秀な人間に辞められると困るから会社にも残って欲しい、というジレンマを抱えていた自分に対して、まろさんは「独立という従業員の夢を叶えながらそれと共に会社も一緒に成長する」という、まさに自分が理想とする会社を作り上げていました。

僕はすぐにまろさんのブログを夢中で読み漁りました。小学生の時、自分の稼いだお金でシベリアンハスキーを買ったこと、大学時代に1000万貯めたこと。そして何より驚いたのが、生涯で1兆円企業にすると公言していたことでした。

「世の中にはこんな化け物がいるんだ」
「この人に会わなければ」

何の根拠もなかったのですが、この人に会えば人生が変わると思いました。

しかし、会おうにも何の繋がりもなかった僕は、ガイアの夜明けで取り上げられていた馬車道の『ひもの屋』に足を運び、そこのオーナーさんの保坂さんに話を聞きに行きました。

仕事中で忙しいにも拘わらず、色んな話を聞かせてもらえました。その口からは、サブライムやまろさんに出会えたことへの感謝、そして独立できたことへの喜びを語ってくれました。

独立オーナーの生の声を聞くことで、まろさんに会いたい気持ちがより一層強くなりました。

何か会えるきっかけを作れないかと調べていくと、財務コンサルのCFOの鈴木大徳さんと一緒にセミナーを開いていることが分かりました。東京公演は既に終わっていましたが、名古屋公演はまだ残っていました。僕はセミナーに行けば、懇親会で会えるかもと思い、名古屋公演に行きましたが、まろさんは懇親会に参加しなかったため、会ってお話することはできませんでした。

しかし、セミナーの内容は今までに聞いたことのないもので、勉強になることばかりでした。投資回収率を徹底的に磨き上げた業務委託のスキーム。役員報酬や保険で利益をつぶすのではなく、利益を出し、純資産を積み、レバレッジを掛け、銀行融資を最大限に引き出し、それを投資回収率の高いビジネスに投下する。全てがロジカルで、いかに自分が今までどんぶり経営をしてきたのかを知ることができました。

その後も中々会えるきっかけを掴めないままいましたが、池袋の新店舗を出店する際に良くしていただいた、『アガリコ』の大林さんにまろさんの話をしたところ、あっさり紹介してもらうことができました。

まろさんはすぐに僕をご飯に連れていってくれたのですが、仕事の話は最初の30分くらいで、後はずっとイッキさせられました。次の日は、人生初めて、夜寝るまで二日酔いでした。

その後、まろさんに井戸さんを紹介してもらえました。井戸さんに初めてお会いしたのは、まろさんが経営する西麻布のバーラウンジでした。仕事の話はあまりできませんでしたが、井戸さんがカラオケで歌っていた曲が、自分が好きな曲ばかりでテンションが上がってしまい、僕は初対面なのに図々しく、肩を組んで一緒に熱唱してしまいました。

僕は、一夜にしてビッグスターに近づけたと喜んでいたのですが、井戸さんは後日、僕のいない所でまろさんに「あいつ、ゲイじゃないのか?」と真剣に話していました。

おそらく緊張もあって、井戸さんが話をしている時に、しっかり話を聞こうとして、じっと目を見つめていたのが裏目に出てしまったのだと思います。井戸さんと近づくどころか溝ができてしまいました。でもそれから何度かお会いさせていただいて、なんとか誤解を解くことができました。

その後も、井戸さん、まろさんを介してたくさんの方たちを紹介いただき、今後の自分の会社の方向性を決める上で必要な知識をたくさん得ることができました。

会計士のCFOさんをご紹介いただき、財務コンサルとして迎え入れたことは、財務がかなり強化され、キャッシュポジションが一気に上がり、出店計画を上方修正することに繋がりました。

今年は現段階で、直営店5店舗を出店し、年内にさらに10店舗の出店計画があります。しかし成長の中、社内で歪みを感じることも増えてきました。『町田商店』直営店は、美味しいラーメンを最高に元気で、最高に心のこもった接客で提供することで、お客様に満足していただくという想いで運営してきましたが、それができていない店舗があるという現実も目の当たりにしました。創業以来、一度も割ることのなかった売り上げ昨年対比も、初めて割る店舗も出てきました。

スタッフの成長のステージ作りのために、店舗展開が必要と考えていたのに、いつの間にか店舗展開するために人を集めて育てなくてはと、目的と手段が逆転している自分にも気づきました。

年内直営店10店舗の出店は、物件も決まっているため、計画どおり進めますが、来年は既存店舗を徹底的に磨き上げ、その上で本当に次に進むべきかを見極めるために踊り場を作ります。もしかすると1店舗も出店しないことになるかもしれません。

僕は自分のお店が、自分が行って、本当に満足できるお店でないと嫌です。全店、家族や友達に紹介して恥ずかしくないお店にします。飲食人として当たり前のことを当たり前にできるようになるため、全力を尽くします。

そして働く全てのスタッフが心からここで働いてきて本当に良かったと思えるような誇り高い会社を創ります。


● 最後に

これまで読んでくださった皆さんありがとうございました。

僕は仕事とは、自分の人生を充実させるためにおいての、大きな手段だと思っています。一度きりの人生、仕事をできるかできないかだけで判断せず、やるかやらないかの精神で挑んでいきます。

僕は自分で起業したことを心から良かったと思っています。辛いこともたくさんありましたが、辞めたいと思ったことは一度もありません。仮にうまくいってなかったとしても、起業したことを後悔はしなかったと思います。それは、今まで一緒に歩んできた仲間がいたからです。感謝してもしきれません。

今後も『町田商店』に関わる全ての仲間と一緒に、仕事やプライベートを通じて、全力で人生を楽しんでいきます。

そして、改めて自分の今までを振り返る素敵なきっかけを下さった井戸さん、本当にありがとうございました。心より感謝致します。

第1回第2回第3回

information:
町田商店

『<ロードサイドのハイエナ> 井戸実のブラックメルマガ』 より抜粋
著者/井戸実
神奈川県川崎市出身。工業高校を卒業後、寿司職人の修業を経て、数社の会社を渡り歩く。2006年7月にステーキハンバーグ&サラダバーけんを開業し同年9月に㈱エムグラントフードサービスを設立。
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