被害者がどれだけ訴えても、解決されぬことが多いいじめ問題。「迷宮入り」となるケースも数多あり、加害者の逃げ得が許されているのが現状とも言えます。こうした状況の改善のため学校内への防犯カメラ設置を訴えるのは、現役探偵で「いじめSOS 特定非営利活動法人ユース・ガーディアン」の代表も務める阿部泰尚(あべ・ひろたか)さん。阿部さんは自身のメルマガ『伝説の探偵』で今回、防犯カメラ設置がどれだけ有効かを解説するとともに、「今どきの当たり前」の措置を拒否するかのような教育現場を批判的な目で見ています。
なぜ、いじめ探偵は学校への「防犯カメラ」の設置を推奨するのか
令和6年1月中旬、福岡市の小学校で起きたいじめ重大事態の調査報告書が公開された。
報告書によると、事件は令和4年5月中旬、当時小学4年生であった女子児童に複数件のいじめ行為があったとされるもので、教科書がなくなり男子トイレで見つかったということや「きょうこそころす」と書いた紙片、給食に鉛筆の芯が入れられていたこと、椅子に画鋲があったことなど6つの行為をいじめと認定した。
一方で加害者の特定には至らなかったとされた。
● 調査報告書
物隠しや給食への異物混入、画鋲や糊などを机や椅子、下駄箱に危険な形で置く行為などは、多くのいじめ行為の中でもかなり頻発する被害である。
そして、加害者が単独であれ複数であれ、一切を認めない状況に至ると、タイムマシーンでもない限りこれだという証拠は見つけるのが極めて困難な事案となる。まさに迷宮入りなのだ。
調査の方法論はいくつかある。
1つは、人の動きの導線と事件発生時刻を特定していき、犯行可能な人物を絞り込む方法だ。ある程度の絞り込みができれば、証言の収集や確認のための聞き取りを行っていき、再現するように動きの確認をしていくと、自ずと犯人が絞り込まれるというものだ。
ただし、これは、比較的早期に行わなければ、記憶があいまいになって再現に至らなくなる。
現状、細かな制限があるような学校現場では、この方法にプラスしていじめはいけないことなのだと丁寧に指導することが最も現実的な積極策だと言えよう。
小学4年生だと記憶が曖昧であったり、他のことに夢中で周囲に意識が向いていないなど難しい点もあるが…。
報告書に明記されていた「怪しい人物」
さて、この公表された報告書では、大まかに超怪しい人物が浮き彫りになっているのだ。
例えば、知るはずもないはずの事実を知っている児童がいた。その児童らになぜそれを知っているのかと問うと、特定の児童から教えてもらったと話したという。
それ以外にも、被害児童とトラブルになっていたという児童がおり、この児童は前述の特定の児童であった。
被害児童によれば、「きょうこそころす」の筆跡はこの特定の児童の筆跡によく似ているとされている。
ごく普通の読解力と疑う力があれば、加害児童と明確に書いていないだけで、加害児童はこの特定されている児童だろうと思うだろう。
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証拠品に「添え書き」をするという非常識
一方で、本件では、「きょうこそころす」と書かれたノートの切れ端や鉛筆の芯が使われている。報告書によれば、ノートについては他児童らのノートをチェックしたということであったが、詰めの甘さもあるだろう結局誰がやったのか不明だったわけだ。
これらを徹底して調査すれば、言い訳がつかない証拠が見つかったかもしれない。
ただし、学校の教員は証拠保全や現場確保というような捜査の手順や重要な行為等は知る由もない。本件においては、給食に混入していたという「青い鉛筆の芯」は保存されておらず、脅迫文言の紙片は教員によって言葉が書き添えられていたという。習ってなかったようなことでも、ちょっと想像すればわかることだろう。証拠品に添え書きするバカはそうそういないだろう。
本来であれば、指紋がつかないようにビニールに保管するはずだ。
平均的な学校やその調査の態様からすると、聞き取りは結構頑張った方なのかもしれないが、保護者の対応や状況報告などの対応をしなかったことなどで被害児童の精神的苦痛がより強くなってしまった。特に、短期間に集中的に被害が生じると、大人であっても、大人の中でも鉄メンタルと言われるような人物でも、見てわかるほどに精神的混乱が生じる。
普段私は様々な相談事を聴いているが、例えばトラブルの世界を職業としている人でも、普段とは全く異なる様子となり冷静な判断ができなくなるほどだ。
短期集中した被害は極めて危険な攻撃であり、心を深く傷つけるし、それは一生残る傷だとも言える。
加害者脳はケロッと忘れるのが当然だと思うだろうが、それは心の欠落があるのかもしれない。
「具体的な対応マニュアル策定の提言」の物足りなさ
この福岡市の小学校の報告書では、保護者への対応不備や初動の遅れ、警察連携などがされていないなど多くのことが指摘され、その上で、対応のマニュアルなどの策定を求め、提言としている。
特に被害児童のケアをしていなかったという指摘が報告書ではされているのだが、いったい何をしたかったの思えるほど、学校の対応は杜撰だったのだろうと思うのだ。
それは、具体的な対応マニュアルというより、それ以前の他人を慮る気持ちからやり直す必要があるだろうと思えるほどだ。
確かに具体的対応マニュアルを策定し、これに沿った研修を行い、一定レベル以上に対応できる力を養うことは重要だが、マニュアルがあれば、なんとなくソツなくこなせるとなって、とりあえずこの通りやれば、後々問題にならないという意図で動きそうで怖いのだ。
つまり、結局のところ、ほとんど限界になっている現場の力をより充実させようというのは、現実可能なように見えて、もはや余裕がない現場では機能しない上、現場の疲弊は計り知れないようになり、非現実的対策になってしまう。確かに杜撰な対応はすぐさま変えるべきだから、調査報告書を作った第三者委員会の提言は誤りではないと思うが、問題の根本にマッチした現実対策となると、少々物足りなさがあると思うのだ。
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いじめ事案の「迷宮入り」を一発解消する方法
もの壊しやもの隠し、異物混入など学校という特殊空間で起きるほぼ迷宮入りとなるような問題は、一発で解消する方法がある。
ひと頃前は、これを言うと腫れ物扱いされたが、もう令和も6年目だ。言っていいだろう。
それは「防犯カメラ」を学校内に設置することだ。
何だ、当たり前の事じゃないかと誰もが思うだろう。
しかし、防犯カメラ論は何度も浮上し、その度に言論封殺されてきた過去がある。
例えば、児童や生徒への性的な被害が生じた事件があり、その被害側が、こうした被害は証明が難しいことや再発防止などに極めて効果的な防犯カメラの設置を求めると、それこそ校区では腫れ物扱いでマスメディアは無視、専門家も議論から逃げ出して身の安全を図るということがあった。
学校のカメラ問題と言えば、ニュースでは教員の盗撮問題もあるが、保護者から我が子をレンズの前に絶対入れるなという記念撮影もダメというケースもある。確かにDV被害などを受けて加害側が執拗に探しているケースも事実あるのだが(こうした場合は特別と考えて配慮するのがよい)、トラブルや事件抑止のために設置される防犯カメラと一緒くたにすべきではないだろう。
しかし、カメラというだけで学校側はアレルギーを起こし、議会は予算がないと嘆き、識者はそこまですべきではないという意味不明な教育の可能性を論じ始めるのだ。
そもそも、何も悪さをしようとしていない人からすれば、防犯カメラは寧ろ安心要素になる。それから、仮に映してはならない範囲や人がいるならば、今どきの最新カメラはその部分を黒塗りするなどを自動で行うことも可能だ。
AIと組み合わせて、危険を察知することもできるだろう。どこまでやるかによって金額が上下するからそこは応相談というところなのだろうが、防犯カメラがついて何かの不都合が生じるということはないのだ。
よもや教師が生徒に性的いたずらをするのに不都合だからということはないだろう。ないのであれば、ドンドン公立校でもつけていくべきなのだ。
設置ができていけば、このような物隠しやもの壊し、脅迫状のような迷宮入りしやすい被害はほぼなくなると言えるのだ。
私学では当たり前のように防犯カメラを設置しているところもある。
予算がないなら、いっそ派閥の裏金でも当ててみてはいかがだろうか。どこかの外国にばら撒いているお金の一部でも予算に当てればそれなりに設置も進むだろう。まあ皮肉だが、予算がないのではなく優先順位が低いだけなのだ。
また、防犯カメラをつけるとなってある程度予算を絞るとすれば、教室や廊下、階段や踊り場と言った空間について死角をなるべく減らす設計に変更していけばいい。それが難しいのであれば、一定の導線のみを活かし物理的に入れないように区切るということもできるだろう。諸々提案してもウチはダメ、これはダメと後出しじゃんけん批判は色々あるだろうが、数台のカメラでも、要は工夫すればできるということだ。
それに、最近ではGIGAスクール構想によって一人一台のタブレットなどが配布されている関係で通信インフラが整備されている。そうすると、カメラを通信ネットワークに組み込むことができるから、配線工事なども最小で済ますことができる。これまでより、設置環境は整備されていると言えるのだ。
文科省は学校を地域コミュニティーの中心にしていこうと躍起だ。こうした対策が動けば、地域住民など多くの学校外の人も学校に来ることになるだろう。そうしたことから発生するかもしれない各種トラブルについても防犯カメラは有効だといえる。
むしろ学校外の一般的な構造物やビルテナントなどで、防犯カメラがついていないことの方が異常だと思えるだろうし、コンビニでも大型量販店でも、商店街でも主要な道路でも何らかのカメラはついているのだ。
今どきのあたりまえを当たり前に行うだけで、深刻になるいじめの対策にも繋がり、過剰な指導の問題や有効な防犯対策にもなる、何らかの反対意見もあるかもしれないが圧倒的にメリットがあるのが防犯カメラの設置だ。いじめ探偵としては、全国の問題を聴いている立場として、防犯カメラの設置、これを強く推したい。
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気合と根性とガッツだけでは乗り切れない局面
情報共有や勉強会をしている現役の小中高の先生と話すとみんな防犯カメラを廊下や教室にもつけた方がいいと言います。ちなみに、私も教員免許は持っているし、視察や授業を頼まれることがあるので、普通の大人より学校にはよく行くのですが、やはりついていた方がいいだろうと思うのです。
外向きに防犯カメラはついている学校が多いようです。外部からの侵入とか襲撃とか、実際にあったわけだし、警戒を怠ることはありませんということでしょう。
でも中にはついていない。下駄箱につければ、下手箱で起きるいじめ行為などはその段階で加害者は即判明した上での対策となるわけです。教室にあれば、教員の目を盗んでという行為もわかる。使うのはトラブルが起きた時だけであり、使用の範囲は制限があるわけだから、判例から見てもプライバシー侵害には当たらないということでした。
それでも、毎回防犯カメラの設置運動があるたびウォッチしていますが、反対の嵐が吹き荒れ、いつの間にかに設置じゃなくて、精神論にすり替わったりします。
気合と根性とガッツだけで乗り切れる局面ではないのに。
その度に、あー頭の中がきっとお花畑で、自分の言葉に酔っている人が偉い人なんだな─とか思ってしまうわけです。
そもそもカメラがついて不都合なのは何かしようとしている奴だけだろとか思ってしまいます。
以前、車を運転していて交通量の多い国道をロードバイクで蛇行運転している人が目の前を走っていました。実は結構有名な芸人さんだったのですが、あまりに危険だったのでクラクションを鳴らすと、三軒茶屋の交差点で自転車を降りて、「降りろやー」とものすごい絡まれたことがあります。でも、車にはカメラがついています。
「カメラ付いてるよ」と指さすと、すごすごと自転車に戻り端っこ走り直していました。
カメラ無かったら口論に発展し、警察沙汰だったかもしれません。
この場合はドライブレコーダーですが、やはりあるとないでは雲泥の差だと思いました。
まあ、あっても煽り運転で…みたいなことはありますが、もし何もなかったらと考えるとゾッとします。
その、ゾッとするのが一部では治外法権?と言われている学校の中だと考えるとわかりやすいかもしれません。
どこかの地域で市議会とかが頑張って、校内カメラ全設置でもしてトラブルの減少など実証データを取ってみたらいいのにな、と思います。
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