木造アパートの1階。玄関を開けると駄菓子に埋もれた店番のおばあちゃんが座っていて、部屋の中はアーケードゲームで埋め尽くされていた――元ゲーム少年のAさんが今もその影を追う「幻の駄菓子屋ゲーセン」は、本当に実在したのだろうか。
白昼夢か現実か?ネットでは情報が見つからない幻の駄菓子屋ゲーセン
「駄菓子屋ゲーセンと言っても、店の軒先にゲームが1~2台置かれているような、よくある店構えとはぜんぜん違って。そのゲーセンは、木造2階建てアパートの1階角部屋がまるまる店になっていて、靴を脱いで部屋に上がると、中はアーケードゲームで埋め尽くされていました」
小学生の一時期に通った駄菓子屋ゲーセン『ばっちゃん』を懐かしく回想するのは、関西出身で現在は都内在住の40代後半男性Aさんだ。レトロゲーム好きのAさんによると、この店は1980年代半ば、現在の兵庫県尼崎市栗山町近辺に存在した“はずだ”という。
「私は昔からゲームが大好きで、行き付けだったゲームセンターがその後どうなったかをネットで調べることがあります。ほとんどの店が閉店してしまいましたが、それでも当時を懐かしむゲーマーたちの回想記や写真がたくさん見つかる。でも、この尼崎の『ばっちゃん』だけは、いくら探しても誰も何も言及しておらず、情報らしい情報がいっさい見つからないんですよ」(Aさん)
当時Aさんは尼崎市のお隣、伊丹市に在住。春休みに尼崎の叔父の家に泊まりに行ったさいに『ばっちゃん』を“発見”し、その後たまに自転車で“遠征”するようになった。店は尼崎市立立花小学校の徒歩圏内にあったと思っている。客の多くがこの小学校に通う子どもだったからだ。
だが、いつの間にか店は消えてしまった。親戚一家はすでに亡くなり、ネットでも手がかりが見つからない。「あんなにすごいゲームセンターだったのに、どうして誰も話題にしていないんだろう。ひょっとして自分は白昼夢でも見ていたんだろうか」と、ずっと気になっている。
本当に実在したかどうか不安になる幻の駄菓子屋ゲーセン。レトロゲームファンならずともちょっと面白そうだ。Aさんに詳しく話を聞くことにした。
木造アパートの一室がゲーセン、店番のおばあちゃんが玄関に鎮座
なにせ40年近く前の話だけに、Aさんの記憶も曖昧だ。だがもう少し手がかりがほしい。『ばっちゃん』は具体的にどんな駄菓子屋ゲーセンだったのか?
「外観はごく普通の木造アパート、いわゆる文化住宅ですね。店の看板は出ていませんでした。営業時間中は1階角部屋の玄関引き戸が半開放されていて、店番のおばあちゃんが駄菓子に囲まれて鎮座していたので、お店なんだなということは外からでもわかる。『ばっちゃん』は正式な店名ではなく、子どもたちの間の通称だったと思います。
ゲーム部屋は土足厳禁で、靴を脱いで部屋に上がり込むのがルール。部屋に入ると、むかって左側にテーブル筐体のシマ、右側にアップライト筐体のシマがあり、中央に小学生同士がギリギリすれ違えるくらいの“通路”スペースがあったように記憶しています。6畳間よりはかなり広かった印象ですが、もしかすると4.5畳くらいの数部屋をぶちぬいていたかもしれません。子どもの感覚なので正確な面積は不明です。
足の裏が冷たかったので、床はたぶん畳ではなく板張り。部屋の照明はいくつかの裸電球で、人の表情がギリギリわかる程度でかなり暗かった気がします。料金は1プレイ20円と安く、店番のおばあちゃんに脱ぎ散らかした靴を揃えてもらったり、手渡しで100円玉を10円玉に両替してもらったり…というシステムになっていました。自分の年齢やゲーム歴から、おそらく1985年(昭和60年)前後のはずで、子どもたちに人気の店だったのですが、それがなぜ潰れてしまったのか、いつの間に消えてしまったのか、いくら調べてもわかりません」(Aさん)
かなり具体的な情報だ。Aさんの記憶違いが含まれる可能性もあるが、いかにも子どもたちが好みそうな“秘密基地”。それが小学校の徒歩圏内にあり、おそらくは駄菓子売り場よりもゲーム機の床面積のほうがはるかに広く、照明が暗かったということは、『ばっちゃん』は、1985年の改正風営法施行よりも以前に存在した店ではないだろうか。
このときの法改正でゲームセンターが風俗営業の1つに指定され、国の規制が強化された結果、『ばっちゃん』のような店を経営するのは難しくなったはずだからだ。
『ばっちゃん』の設置ゲームは1983年以前のものが中心
『ばっちゃん』では、どんなゲームが遊ばれていたのだろうか?各タイトルの稼働開始年を調べれば、店が存在した時期をさらに絞り込めるかもしれない。
「私を含む小学生たちが当時、よくプレイしていたのは『マリオブラザーズ』と『ギャラクシアン』、それに『ハイパーオリンピック』でしたね。特にマリオはやり込みました。それから、もっぱら見物専門でしたが『ジッピーレース』がやけに上手い不良風の、たぶん中学生が1人いたのも覚えています。店には全部で10台以上、ひょっとしたら20台近くゲームが置かれていた気もするのですが、他にどんなタイトルが稼働していたか……」(Aさん)
Aさんが記憶から絞り出した設置ゲームを、年代順に並べなおしてリストにしてみた。
- スペースインベーダー(1978 タイトー)
- ギャラクシアン(1979 ナムコ)
- パックマン(1980 ナムコ)
- ギャラガ(1981 ナムコ)
- ペンゴ(1982 セガ)
- ジッピーレース(1983 アイレム)
- ハイパーオリンピック(1983 コナミ)
- マッピー(1983 ナムコ)
- マリオブラザーズ(1983 任天堂)
- フリッキー(1984 セガ)
Aさんによると、『フリッキー』は「たぶん置かれていた気がする」程度。その他のゲームはいずれも1983年以前に発表されたタイトルばかりだ。他にもゲームはあったはずというが、『ばっちゃん』はやはり、1980年代前半~1984年頃にかけて存在した店である可能性が高いのではないか。
『グラディウス』に浮気したら『ばっちゃん』が死んじゃった
地元の子どもたちで賑わっていたはずの尼崎の駄菓子屋ゲーセン『ばっちゃん』だが、具体的にいつ消えてしまったのか定かではない。伊丹市に住んでいた小学生のAさんにとって、放課後に隣町まで頻繁に通うのは自転車といえども難しかった。
「もともと、自宅から楽に通える距離の『塚口さんさんタウン』に、本格的なゲームセンターがありました。ラーメンとソフトクリームのにおいが充満していた記憶があります。ただ、料金設定が1プレイ100円と高かったこともあり、私はわざわざ20円の『ばっちゃん』に遠征していたんですよ。
ところがある日、『さんさんタウン』のほうに『グラディウス』が入荷されて、もう一気に心を奪われてしまいました。レーザーの美しさ、オプションの謎にかっこいい挙動、逆火山ステージ4面の芸術性、音楽の素晴らしさ。まさに神ゲーでした。電源を入れたときに流れる曲も神々しくて、日曜朝イチで聴きにいったり。大学生くらいのお兄さんの上手いプレイを参考に、ひたすら1コインクリアを目指すようになりました。1周目攻略だけで数ヶ月はかけた記憶があります。
そうするともう、『ばっちゃん』で遊んでいたゲームはなんだか古臭いように思えて、まったく行かなくなってしまいました。『さんさんタウン』には当時すでに『ゼビウス』や『パックランド』があったし、その後『スペースハリアー』や『バブルボブル』など最新ゲームが入ってくるのも早かった。それでいて店が広いので、お気に入りの『マリオブラザーズ』もちゃんと置かれていましたからね」(Aさん)
Aさんの“浮気現場”は、尼崎市の阪急塚口駅前『塚口さんさんタウン 3番館6階 憩いのまち』内にかつて存在したゲーセン。『グラディウス』は1985年5月に稼働開始したコナミの横スクロールシューティングゲームで、「電源を入れたときに流れる神々しい曲」は、コナミ基板の「バブルシステム」が起動する際にウォームアップとして流れる「モーニングミュージック」だろう。
1985年2月の改正風営法施行とは約3ヶ月のタイムラグがあるものの、『ばっちゃん』はこの時期に“経営危機”に陥ったのだろうか。
アーケード版の『グラディウス』は、翌年ファミコンで発売された移植版と比較して難易度がかなり高かった。全体バリアではなく前面バリアのためフル装備でも常にミスの可能性がつきまとい、「上上下下左右左右BA」のコナミコマンドで“ズル”をすることも当然できない。一度やられて装備をすべて失ってから立て直すテクニックは「復活パターン」と呼ばれ、特に「高次周4面復活」は多くのシューターの憧れになっていたという。
そんな『グラディウス』攻略に、Aさんも小学生ながら懸命に取り組んだ。だが、半年以上にわたって放課後のほとんどの時間を費やしたにもかかわらず、2週目の4面でついに詰まってしまう。どうやっても超えられない壁にぶつかって、そこでふと思い出したのが『ばっちゃん』だった。
「小学生にして“2-4到達”は、大学生のお兄さんも褒めてくれた“偉業”でした。かといって、これ以上先の面に進めるイメージもない。お小遣いも厳しかった。そこでもう一度『ばっちゃん』に行こう、と思いました」(Aさん)
そろそろ『グラディウス』も入っている頃かな。あの店で1コインクリアできる奴なんておれくらいだろうし、高みを見せつけてやるか――そんなことを考えながら、Aさんはひさしぶりに自転車で“遠征”を試みた。子どもの時間感覚では昔なじみの店に“凱旋”するような気持ちだった。だが、そのときにはもう『ばっちゃん』は跡形もなく消えていた。店はアパートごと取り壊されており、一戸建て住宅が建築中だったという。
「近所の公園で同世代に“聞き込み調査”をしたところ、店番のおばあちゃんが亡くなったらしいとか、いやあのおばあちゃんは実は地主で、結婚した息子のために家を建てるんだとか、いくつか噂話は聞けましたが、どれも真偽不明の推測ばかりでした。『グラディウス』に浮気している間に『ばっちゃん』とはもう二度と会えなくなってしまいました」(Aさん)
『ばっちゃん』に置かれていたマリオは海賊版『マサオジャンプ』か?
『塚口さんさんタウン』6階のゲーセンには、Aさんお気に入りの『マリオブラザース』も設置されていた。もしマリオがなければ、Aさんは『ばっちゃん』のほうにも、たまには顔を出すことになっただろう。それくらいお気に入りのゲームだった。
「『グラディウス』もそうですが『マリオブラザーズ』も、ファミコン版とアーケード版はまったく難易度が違うんですよ。ファミコン版は簡単すぎて、2人プレイの“殺し合い”以外はいまいち真剣になれなかった。一方、アーケード版はステージを進めると火の玉やつらら(氷柱)が多数出現するなど、1人プレイでもかなりやりごたえがありました。当時は、このマリオの“KO面のその先”をひたすら目指していましたね」(Aさん)
アーケード版の『マリオブラザーズ』は25面以降、ステージ数表記が「KO」に変わる。火の玉やつららの個数もゲームが処理落ちするレベルで急増し、本気でプレイヤーを始末しにくるのが特徴。カニやハエの処理中にミスをすると復活した敵の動きが超高速化し、ものの数秒で床はすべて凍結、複数の火の玉が飛び交うようになる。「POWブロック」を使い果たしている場合は特に立て直しが極めて困難なカオス状態に陥るが、それがAさんのゲーマー心をくすぐった。
そんなわけで『グラディウス』攻略中も、日課として『マリオブラザーズ』をプレイし続けていたAさんだが、ひとつだけ不満があったという。
「『ばっちゃん』に置かれていたマリオはアップライト筐体で、ゲーム中にも音楽が流れる仕様でした。しかも操作系はレバー1本(笑)。つまり、ジャンプするときはスティックを上に入れなければいけません。最初は拷問のように遊びにくいのですが、慣れるとマリオとルイージを左手と右手で同時に操る“1人同時プレイ”が可能になるというメリットがある。『ばっちゃん』には、自分を含めて数人その曲芸を得意とする小学生がいました。それに対して『さんさんタウン』のテーブル筐体のマリオは、他のゲーセンでも見かけるごく普通の仕様。自分としては『ばっちゃん』の1レバーマリオこそ本物のマリオだと思っていたので、左右レバーとジャンプボタンでの操作は、いまいち物足りなく感じていました」(Aさん)
Aさんが「これぞ本物のマリオ」と太鼓判を押す、ステージ開始時だけでなくゲーム中にも音楽が流れる仕様の『マリオブラザーズ』。思い出話に水を差すようで悪いが、調べたところ恐らくそれは、海賊版の『マサオジャンプ』ではないだろうか?
『マサオジャンプ』は、タイトル画面が「MARIO」ではなく「MASAO」になっている。さらにゲーム中に、なぜか『ドンキーコングJr.』の音楽が流れ、しかもそれが妙にゲーム進行とマッチしているのが特徴だ。ただ、内容的にはオリジナルの『マリオブラザーズ』と差異はないと思われる。
【関連】偽マリオブラザーズ(pest place) – YouTube
「あ、まさにこれです。音楽もたしかにこれでした。懐かしい(笑)。『ばっちゃん』では、これを1レバーで遊ぶのがスタンダード。それで10万点くらいは軽くいかなければ周囲に一目置いてもらえない、そういうヒリつくような緊張感がありました」(Aさん)
『ばっちゃん』の店番をしていたおばあちゃんは、いったいどういうルートで海賊版の『マサオジャンプ』を仕入れることになったのだろうか。左右レバー+ジャンプボタンのゲームが、無理矢理1レバー化されてしまった経緯も気になるところだ。実は相当な食わせ物だったか、それとも業者に騙されてしまったのか。当時の駄菓子屋界隈ではブートレグが当たり前で誰も気にしていなかったのかもしれない。
いずれにせよ、情報がここまで具体的なら、尼崎市の駄菓子屋ゲーセン『ばっちゃん』がAさんの白昼夢だった可能性は低いだろう。“1レバーマリオ(マサオ)”の試練を子どもたちに課したこの店は、おそらく1984年後半か1985年前半頃に潰れてしまうまで、地元小学生の社交場としてたしかに実在していたにちがいない。
『ばっちゃん』情報募集中
MAG2NEWS編集部では、今回ご紹介した尼崎市の駄菓子屋ゲーセン『ばっちゃん』に関する情報を募集している。心当たりがある方は、Xへのリプライなどでお知らせいただきたい。寄せられた情報はAさんにお伝えするとともに、この記事にも追記という形で反映したい。
最後に、今回話を聞いたAさんにとっての「思い出のゲーセン」を聞いておいた。アーケードゲーム全盛期を知るゲーマー同士なら行動範囲がかぶっている可能性もある。『ばっちゃん』探しの手がかりになるかもしれない。
●ばっちゃん(兵庫県尼崎市)
今回の記事で紹介したAさん幻の駄菓子屋ゲーセン。自分以外でこの店に行ったことがある人をさがしている。尼崎市立立花小学校近辺に存在したと思われるが、いつの間にかアパートごと取り壊されてしまった
●塚口さんさんタウン 3番館6階 憩いのまち内のゲーセン(兵庫県尼崎市)
今回の記事でAさんが“浮気”したデパート系ゲーセン。阪急塚口駅前。屋上にも別のゲームコーナーがあったそうだ。2017年11月に解体され現在は高層マンションになっている模様
●ゲームイン六甲(兵庫県神戸市)
『バーチャファイター2』の時代に、Aさんが阪急六甲駅近くに住むゲーム友達とよく通ったゲーセン。阪神大震災で友達が神戸から引っ越したのを機に行かなくなってしまったという。震災後も改装して営業していたようだが現在は閉店
●百又(大阪府大阪市)
阪急梅田駅すぐにあった大規模ゲームセンター。Aさんは格ゲーのほか『ビートマニア』シリーズをプレイ。「得意のsuper highwayが高難易度曲扱いだった3rdMIXではかなりイキっていた」ものの「最近の音ゲーにはついていけず加齢を実感する」とのこと。現在は閉店。「百又ビル」から「イースクエア茶屋町」にリニューアルされたようだ
●フェラーリ(大阪府大阪市)
『バーチャファイター3』の時代にAさんが足繁く通った、恵美須町駅でんでんタウンにあったゲーセン。1プレイ10円という価格破壊で多くの関西格闘ゲーマーが集った。そのかわり冷房の効きが非常に悪く夏場は汗臭かったらしい。現在は閉店
●ゲームスポット21(東京都新宿区)
新宿西口に存在したバーチャリシーズのメッカ的ゲームセンター。新宿ジャッキー、ブンブン丸、池袋サラ、キャサ夫など有名プレイヤーが多数出入りし、Aさんも学生時代に「10円のフェラーリで腕を磨いてから、腕試しで何度か遠征しました」という。2021年1月に惜しまれつつ閉店
●ナムコプレイシティキャロット巣鴨店(東京都豊島区)
アーケードゲーム雑誌『ゲーメスト』のハイスコア集計店にしてゲーマーの聖地だったナムコ直営店。Aさんは社会人になって上京した際、記念に一度だけ訪れたという。現在も「namco巣鴨店」として健在のようだ
image by: Ato ARAKI from Tokyo, Japan, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons