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読み手が抱くワクワク感。なぜ文筆家は個人サイトの情報発信は“ランダム”の方がいいと考えるか

SNSによる発信よりも深くそしてより正確に自身の考えや意見、各種作品に対する感想等を伝えることが可能なブログなどの個人サイト。そんなサイトの情報発信においては、「ランダム」であることがいいと文筆家の倉下忠憲さんは断言します。倉下さんは自身のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』で今回、そう判断する理由を詳しく解説。さらになぜランダムな情報発信が、2020年までのWebでは存在感を消していたのかについて考察しています。

※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:ブログはランダムがいい

ブログはランダムがいい

うちあわせCast第百五十三回でブログのランダムさについて語りました。

第百五十三回:Tak.さんとハイパーテキストについて 作成者:うちあわせCast

「ブログ」というと、少し幅が狭くなるので、ここでは「個人サイト」(Personal Web Site)という呼び方にしておきましょう。

個人サイトはランダムでいい。あるいは、ランダムがいい。

この点について考えていきましょう。

■乱雑さ

まず考えたいのは「ランダム」です。ここでのランダムは何を意味しているのか。

一つは、「系統立てられていない」という意味でしょう。

たとえばすべての記事が料理のレシピの記事だったとしたら、おそらく次の記事も料理のレシピだと想定されるでしょう。精度の高い予想ができます。これはランダムではありません。

一方で、ランダムであれば料理のレシピの次に日記の記事があり、その次に詩が出てくるかもしれません。そうしたサイトは次どんな記事が更新されるのかを高い精度で予想するのは難しいでしょう。

これがランダムさの一つ目です。

■ある範囲内

もう一つは、「カオスではない」という意味があります。

フライパンのお勧め記事があり、その次に美容器具のお勧めがあり、その次に政治的に過激な主張の本のお勧めがあって、さらに大ヒット映画のDVDのお勧めがある。

すべて「お勧め」という点では共通していますが、受け手としては「自分は何を受け取っているのだろうか」という混乱が生じるでしょう。コンテキストが統一されていないからです。

舞台裏を明かせば、こういうサイトはそのときもっともアフィリエイト効率が良い商品を紹介しているだけなので、その事情を知っていれば「精度の高い予想」はできるでしょうが、普通の読者には関係ない事情であり、カオスになっていると判断されるでしょう。

こうなってしまうと、読み物として好ましいものとは言えなくなります。だから、系統立ってはいないけど、カオスまでには至っていない、というところが「ランダム」ということの二つ目の意味です。

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■個人とランダムさ

ではなぜ、個人サイトはランダムでいい(がいい)のでしょうか。

まず第一に、そうしたランダムさを受け止めてくれる媒体が個人サイトだからです。商業メディアでは許容されない程度の「散らかり具合」をがっしりと受け止めてくれる。それが情報表現者から見たときの、個人サイトの一番大きな意味かもしれません。

だから、個人サイトを運営するならば、最大限その魅力を享受して欲しい。その思いがファーストにあります。

そもそもとして、人間の興味なんて正確に系統立ててまとめられるものではないでしょう。

1ヶ月コーディングに夢中になったら、その次の月は熱帯魚のことを調べ出している。そんなことは珍しくありません。Obsidianのプラグインを研究している次の日に、カレーのレシピに夢中になっていることも日常茶飯事でしょう。

とは言え、人間の興味はカオスではありません。分散的に広がりながらも、一定の範囲(あるいは共通項)を持ちます。その興味に沿っていけば、自然に個人サイトはランダムになっていくものです。

■期待感

第二に、読み手としての面白さがあります。

心理学的に「期待感」や「ランダム強化」などを持ち出すのが手っ取り早いのかもしれませんが、もっと単純に考えて、「一定の範囲内に収まるだろうけども、しかし具体的にどんな記事が更新されるかは読んでみるまでわからない」というサイトを購読しているときほど、ワクワクすることはありません。

同一のテーマに絞って発信しているサイトは、「情報源」としてはたしかに有用ですが、「ワクワクする読み物」としては魅力不足なのです(常に予想通りになってしまうものは、あっという間に飽きるからです)。

仮に同一のテーマに絞っているサイトであっても、ちょこちょこ脱線した話題が出てくるならば、「ワクワク」感は醸成されます。そうしたサイトは「部分的にランダム」であると言えるのでしょう。

■立体感

期待感だけの話ではありません。第三に情報を立体的に受け取れる、という面白さもあります。

たとえば、まじめな人文書を紹介している人が、ふと普段やっているゲームについて書く。それだけで受け取れるものの幅がぐっと広がります。ある人がAというものを見つめる視点と、Bというものを見つめる視線。その角度の違う視点を両方受け取ることで、その視点を見つめる私の視点も幅が広がっていくのです。

連続的な情報発信は、一つの「文脈」を形成するわけですが、多様な方面に伸びた情報発信は文脈を複線化する働きがあります。

何かがランダムに発信される。その一つひとつの情報が文脈を形成するとともに、何がどんな頻度でランダムで出てくるのかというメタな情報もまた大きな文脈を形成します。

そのようにして私たちは、その人の「ひととなり」というものを(ごくわずかではありますが)覗き込むことができます。

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■ハイパーリンク

というように、ランダムな情報発信(表現)は良いこと尽くしなのですが、2020年までの(日本の)Webでは存在感を消していたことも間違いありません。

一つには、「ブログ」というフォーマット(あるいはCMS)の流行があり、その上に「半商業メディアとしてのブログの運用」というもう一つの流行が重なったことが原因でしょう。

「ブログ」を、利益を上げるための媒体、もしくは広告を掲載するに値するコンテンツを発信するメディアという捉え方をしてしまうと、ここまで挙げてきたような特徴はさほど重視されなくなるばかりか、場合によっては絶対に忌避するものとして扱われてしまいます。

また、日本におけるブログの商業メディア化を支えていたのはGoogleアドセンスであり、その広告運用はどう考えても読者&発信者に利するものではなかった点も致命的でした。

有用で、面白く、定期的な購読者がついているWebサイトが、それに値する金銭的価値を還元してもらえるという形ならば、発信者はさまざまな工夫を凝らしてメディアを運営していた可能性もありますが、現実は「ともかくPV」であり、その結果が現在の日本の(あるいは世界の)インターネット状況です。

逆に言えば、「ブログで稼ぐ」が当たり前になった(そして廃れた)世界以降に、インターネットに参画してきた人は、かつてのインターネット・Webの有り様をうまくイメージできていない可能性があります。

たとえば、昔はまずindex.htmlというファイルを自分で作り、それをFTPソフトでレンタルサーバーにアップロードしていました。そのindex.htmlは名前の通りWebサイトの総合インデックスのような存在で、読者はそのページからリンクが貼られた他のページにジャンプしたのです。

ブログというCMSがないのですから、そのindex.htmlにリンクを貼る作業もすべて自前で行う必要があります。

すると、面白いことが起こります。記事を三つ書いたとして、書いた順にリンクを貼る必要がないのです。掲載したい順、自分が重要だと思っている順にリンクを並べることができます。「カテゴリ」というのも一種の考え方にすぎず(つまり、記事自身にメタ情報が埋め込まれているわけではなく)、自分がどのページにそのリンクを貼るかだけの判断でしかありません。

たとえば本の書評記事があるとして、それを「Knowledge Walkers」というページにリンクを置けば、それはKnowledge Walkersというカテゴリに属したことになりますし、「書評記事」というページにリンクを置けば、書評記事というカテゴリに属したことになります。

もちろん、必要だと思えば両方のページにリンクを置いても構いません。

つまり、記事を書く順番はどうだっていいのです。それとは関係なく、どう見せるのかを改めて考えることができる。つまり、メディア全体を「編集」できる。それがかつてのHTML手書きサイトの時代の当たり前でした。

今、WordPressを運営していて、その感覚を持っている人がどれだけいるでしょうか。

たしかに、サイトのデザインはいじれます。高機能なテンプレートも山ほどあります。でもそれは高度な着せ替え人形をしているだけであって、自分がメディアを「編集」しているという感覚は持ちえないのではないでしょうか。

ハイパーリンクという機能によって、記事はバラバラに書き、サイトはそのリンクを作って構造を作れる、ということが可能になったわけですが(考えてみると、これはすごいことです)、少なくともブログブームの頃にはその感覚は消失していたでしょう。

自分のメディアを自分で「編集」できないのであれば、それは「自分のサイト」とは言えません。もちろんこれは極論ですが、それでも一つの提言として意味あることだとは感じます。

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■さいごに

日に日に私たちは「個人的なメディア」を失い続けています。系統立てられて役立つ情報源か、プラットフォームの一部として振る舞うメディアの二択に追いやられているのです。

だからこそ、アナログノートなどを使い、そこでランダムなものを受け止めていこうという機運も高まっているのでしょう。それもよい選択だとは思います。

しかし、インターネットでも個人のランダムさを受け止めてくれるものを捨て去る必要はないでしょう。

実際、2024年頃から少しずつ「個人サイト・静的サイトを取り戻そう」という声も聞こえるようになってきました。素晴らしいことだと思います。

今一度、この現代において私たちが個人としてインターネットに何を書くのか。それはなぜなのかを考え直してみたいところです。

(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2024年6月24日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録ください)

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image by: Shutterstock.com

倉下忠憲この著者の記事一覧

1980年生まれ。関西在住。ブロガー&文筆業。コンビニアドバイザー。2010年8月『Evernote「超」仕事術』執筆。2011年2月『Evernote「超」知的生産術』執筆。2011年5月『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』執筆。2011年9月『クラウド時代のハイブリッド手帳術』執筆。2012年3月『シゴタノ!手帳術』執筆。2012年6月『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』執筆。2013年3月『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』執筆。2013年12月『KDPではじめる セルフパブリッシング』執筆。2014年4月『BizArts』執筆。2014年5月『アリスの物語』執筆。2016年2月『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』執筆。

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【著者】 倉下忠憲 【月額】 ¥733/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 月曜日 発行予定

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