第二次世界大戦の終結から79年。この間も戦火が絶えない世界の中で、わが国が幸運にも平和を維持できているのは、悲惨な戦争を体験した方々の存在ゆえかもしれません。そうした方が徐々に減り、世の中の空気の変化を敏感に感じるのもまた戦争経験者たちのようです。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』で評論家の佐高信さんは、予科練生として敗戦を迎え戦後体育教師となった人物が、25年前に感じた変化の兆しを紹介。さらに、同郷の先輩である平田牧場創業者・新田嘉一氏が「戦争はみじめさしか生まない」「このままだったら日本は滅亡する」など、憂慮の言葉を口にしていると伝えています。
食いものがなくなったら死ぬんだ
若き日、先輩のジャーナリストに「写真家の土門拳と同じ酒田です」と言ったら、「わかるような気がするな」と言われて嬉しかった記憶がある。偶然だが、やはり酒田出身の平田牧場の創業者、新田嘉一のことを『週刊東洋経済』の6月29日号に書いた。新田は地元紙の『荘内日報』社長、橋本政之に「人間は何で死ぬかわかるか」と聞いたことがある。
「病気をしたり、事故などで」と橋本が答えると、新田はズバリと返した。
「食いものがなくなったら死ぬんだ」
兵隊でも戦死より圧倒的に餓死が多かったと言われている。「戦争はみじめさしか生まない」として新田は護憲の「九条の会」に入っている。
口先ではなく、その存在から言葉を発した人として、松下竜一も忘れられない。大学進学をあきらめて豆腐屋を継いだ松下は、環境権の確立に向けて『草の根通信』を発行していた。そこに体育の教師のHが出て来る。右翼的なイメージの強かったHは、病身故に「見学」の多かった松下が同窓会に来たことを喜び、「平和が一番だ!」と力説した。
18歳の予科練生として敗戦を迎えたHは、「松下よ。世の中はどんどんおかしくなってきたぞ。絶対に戦争はいかん。戦死者を美化してはいかん。若い命がみんなみじめにむなしく死んでいったんだ。日の丸・君が代で戦死に追いやられていったんだ」と松下に訴え、さらに、「おれも予科練の同期会に出よったが、だんだん言うことがおかしくなってきてな。予科練の制服を持っちょる者は会のときに持って来い、七つボタンを持って来い、軍帽を持って来い。とうとう会の終わりには“帽振れ”をやろうと言いだした。『私兵特攻』を書いたおまえだから、“帽振れ”の意味はわかるだろう」と続けた。
二度と帰ることの許されない特攻機が飛び立つのを、帽子を振って見送ることを「帽振り」というと、松下は解説しているが、Hはそんなことはやめろと言って、以来、同期会には出ないことにしたとか。
「松下よ。おれはおまえのやっていることをずっと見ているぞ。おまえのやっていることは、いまの世に絶対必要なことじゃ。おれは文章も書けんし学もないから理屈は言えんが、ナマの体験はあるぞ。おまえがおれの体験を必要とするときはいつでも声をかけてくれ。―絶対に戦争はいかん。おまえが来てくれたのが一番嬉しいぞ」
これが載ったのは『草の根通信』の1999年9月号である。それから25年経って、ますます「おかしく」なっている。
今年91歳の新田は帰り際に「このままだったら日本は滅亡する」と言った。中国敵視の経済安保など簡単に通してしまう日本に限度を越えたキナ臭さを感じているのだろう。
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