日本人の情けなさ。「玄洋社はテロ集団でスパイ養成学校」という不良外国人のデマに簡単に引っかかる情弱ぶり

th20240717
 

日本右翼の祖と呼ばれ、政治団体「玄洋社」を率いたことでも知られる頭山満。しかしながら彼を「右翼」の一言でくくることは、自身の情弱ぶりを晒すことに他ならないようです。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、頭山が「左翼の源流」の中江兆民や「自由民権の雄」である板垣退助とも深いつながりがあった事実を紹介。さらに玄洋社や頭山への「外国によるデマ」に簡単に引っかかる日本人の情けなさを嘆いています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:頭山満の「玄洋社」は自由民権団体だった!/浦辺登『玄洋社とは何者か』が示すアナザー・ストーリー《民権論11》

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

頭山満の「玄洋社」は自由民権団体だった!/浦辺登『玄洋社とは何者か』が示すアナザー・ストーリー《民権論11》

昨年6月からの1年間に10回まで綴ってきた「日本的リベラルとしての『民権思想』を遡る」シリーズだが、元々全体を見渡す構想があって始めたことではない。現今の政治的対抗軸である「保守vsリベラル」を歴史的=論理的により深く捉えようとすると、結局、幕末から明治にかけての「国権vs民権」という基本図式が150年を超えて続いていて、その今日的様態が「保守vsリベラル」であると理解するのがいいのではないか――という漠たる問題意識から、ほとんど行き当たりばったりに出会った本や資料を読み込んで模索を続けてきたのである。

それでも、これまでを振り返ると、大まかには1つの脈絡を追ってきていて、戦後歴史学界の主流を占めた「講座派」やその亜流と言っていい司馬遼太郎的な明治維新への理解は、つまりは「国権」側、薩長藩閥側からしか物事を見ておらず、それに対して幕臣や各地の藩士などの間に遥かに知的レベルの高い公武合体による穏健妥当な政権転換の提言や民選議会開設の構想が広がっていて、それが明治に入っての「民権」運動の爆発につながっていたことを解き明かそうとしてきたのである。

そこで抜け落ちていたもう1つの「民権」の流れがあることに気づかされたのは、最近手にした浦辺登『玄洋社とは何者か』(弦書房、17年刊)によってである。著者は、福岡県出身・福岡市在住でサラリーマン生活の傍ら著述に励んでいる方のようで、郷土史家のような筆致で玄洋社と頭山満への思い入れを書き込んでいる。同書の第1部は「玄洋社は相互扶助団体だった」、第2部は「玄洋社は自由民権団体だった」、第3部は「アジア主義を旗印として」と題され、それらを通して第1話から第54話までの話題が取り上げられている。

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