頭山満と中江兆民・板垣退助は昵懇の仲
大抵の人は、左翼は反体制で、農民や労働者、貧しい人たちの味方であるのに対し、右翼と言えば権力側に擦り寄り、日の丸・旭日旗を靡かせ軍歌を大音響で響かせて街宣車で走り回る“愛国”団体を思い浮かべてしまい、両者は正反対のものと思い込んでいる。しかし後々「右翼の始祖」と呼ばれる頭山は、「左翼の源流」と呼ばれる中江兆民と実は昵懇の仲だったし、「自由民権の雄」板垣退助とは直接の師弟関係で、高知に彼を訪ねて数カ月も滞在し、すっかり感化されて板垣の「愛国社」に対応する組織として福岡に民権結社「向陽社」を設立、板垣の直弟子の植木枝盛を招いて自由民権を連続講義させた。植木の主著の1つ『民権自由論』〔『植木枝盛集』第1巻所収=岩波書店、90年刊〕はその講義を元に彼の福岡滞在中に執筆され、同地の書店から出版されたものである。
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この向陽社こそ玄洋社の前身で、その向陽社時代からの社員で頭山側近だった来島恒喜は、上京して中江兆民の仏学塾でルソーの民権思想を学んだ後、1989(明治22)年10月、屈辱的な条約改正案を進めていた大隈重信外相に爆弾を投げつけ右脚を失わせ、その場で自刃して29歳の若さで果てた。人名辞典的には「不平士族出身の右翼活動家でテロリスト」ということになるが、彼が頭山だけでなく中江の弟子でもある民権活動家で、ルソーを愛読するインテリだったことは余り知られていない。
ちなみに、やられた側の大隈は「いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する」とまで言って、後々まで来島の年忌法要に代理人を送り続けたというから面白い。
石瀧豊美『玄洋社/封印された実像』
上掲の浦辺の著書は、エピソードの連鎖のような作りになっていて、読み物としては好適だが、構成力には乏しい。しかし私は特に、同書の「はじめに」の早々に出てくる次の記述に注目した。
▼戦後の日本はGHQの意向に沿った道を歩まねばならなかった。「歴史は勝者によって作られる」の言葉通り、日本の歴史も連合国軍を正義として綴らねばならなかった。戦争犯罪人の廣田弘毅を擁した玄洋社は、侵略国家日本の軍部の手先として評され、ブラック、ダーク、右翼、暴力団、黒幕、闇の支配者など、ありとあらゆる負の代名詞を付された。そのレッテルはついに剥がされることなく、マスコミも社会も触れてはならないものとして忌避した。(中略)
▼それでも、2001年1月から読売新聞西部本社版に『人ありて/頭山満と玄洋社』の連載が始まり、これが玄洋社を再評価する機縁となった。(中略)
▼そして、2010年10月、石瀧豊美氏の『玄洋社/封印された実像』〔海鳥社〕が刊行された。これはまさに、戦後日本の歪(いびつ)な歴史観に覚醒を求める内容であり、玄洋社はこれによって再評価の対象として俎上に乗せられた言って過言ではない。……
なるほど、と。頭山満=玄洋社=右翼=暴力団=黒幕=闇といった、何となく植え付けられて染み付いてしまっていた固定観念の連鎖は、GHQによるマインド・コントロールのせいだったのだと思い知るのである。
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