受信箱に溜まった大量のメールは「目の前から消えればOK」なのか?プロが提案する「インボックス・ゼロ」という呪いからの解放

 

■「整頓」とは呼べても「整理」とは呼べないという問題

当然のようにそんな思考では問題が起こります。特に二つの問題がやっかいです。

一つは、inbox→他のノートブックという処理をしただけでは「整理」はできていない、という問題です。物理的な用語を拝借すれば、単にinboxから移動させただけの行為は「整頓」とは呼べても「整理」とは呼べません。

そうなると、後から必要に応じて情報をとり出すのが難しくなります。Evernoteを使い続けているとどこかの時点で使い勝手が悪くなるのは、整頓ばかりして整理していないから、ということは言えるでしょう。

厳密な整理なく使えるのがEvernoteの良いところであるといっても、ここまで杜撰な管理では、さすがに数が増えてくるとどうしようもなくなります。

自分がその情報をどのように使いたいのかをイメージし、利用のシミュレーションから逆算するような「整理」が必要なはずなのですが、それがスルーされてしまうのです。

■非常に困難となるアイデアの扱い

もう一つの問題は、アイデアの扱いが非常に困難ということです。

インボックス・ゼロでは、しかるべき場所に移すことで「インボックス」という存在に注意を奪われないことが目指されるわけですが、言い換えればインボックス(の中身)について考えないようにすることを目指していると言えます。

一方で、アイデアは気にしないと使えません。あれってどうなっていたかな、あれはどう展開できるだろうと気にするから、発展していくのです。

自分の視界から消して、すっきりしたらアイデアは単に忘れ去られ、死蔵されていくだけでしょう。

■インボックスにアイデアが増え続けるという破綻

具体的な構図で考えましょう。

自分が思いついたことを書き留める場所があるとします。だいたいどのツールでも、そのための場所は「inbox」と名づけられています。受信箱というメタファーはたしかに間違っていません。その慣習に習って、自由に名前をつけられる場合でも同種の役割を持つ場所に「inbox」とつけることも多いでしょう。

さて、「インボックスはゼロにした方がいい」という価値観を有したまま、そのツールを運用するとどうなるでしょうか。もちろん、そのinboxの中身も、できるだけゼロにするのが望ましいと思いながら運用することになるでしょう。

言い換えれば、最低限の「下ごしらえ」くらいはやっておくべきだ、と無意識に思うようになるわけです。

そうなると、二つの状態が生まれます。一つは、自分の思いつき(≒着想)をかなり短い間隔で「処理」してしまう状態。今日思いついたものを今日処理する、あるいはせいぜい明日処理する。そんな感じです。

はっきり言ってしまうと、こうして処理されるアイデアはものすごく狭い構図に押し込まれてしまいます。複数の断片的なアイデアが7~8個集まって大きくなる(キングスラムならぬキングアイデア)なんてことは起こらず、せいぜいそのアイデアにラベル付けするくらいで終わるでしょう。

そうした不具合に気がつくと、もう一つの状態に移行します。アイデアをしばらく並べておく状態です。

つまり、即座に処理するのではなく一定の間隔、あるいは一定の量並べておくようにするのです。たとえば二週間は置いておいたり、100個までは置いておいたり、という運用に移るのです。

これはたしかに効果があるのですが、どこかの時点でその状態を維持するのが面倒になってきます。日付を見て古いものを移動させるとか、規定の個数を超えたものを移動させるとかいった行為は、直接的に何かを産み出す行為ではないので、どうしても価値を感じにくいのです。

その上、だいたいどのアイデアも残しておきたく感じるので、「選択・判断」という認知リソースを消費する作業になり、脳としては好んでやる作業にはなりません。

結果的に、そのやり方は「破綻」します。選別が行われずに、インボックスにアイデアが増え続ける結果になるのです。あたかも、住み手がいなくなり手入れが放置された庭園から伸びた草が建物に密集しているかのように。

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