沖縄ひめゆりを今日も愚弄、自民・西田昌司氏は誰の代弁者か?「大嘘つき」「エセ愛国カルト」「民主主義の敵」…批判殺到でも“歴史修正中毒”が治せぬ訳

 

「発言は撤回しない」はずが「公明党の抗議で即謝罪」の間抜けな対応

この発言が報道されると、県議会や遺族関係者らから批判の声が巻き起こった。西田氏は7日の記者会見で「事実を言っている」「撤回はしない」と開き直ったが、騒ぎは大きくなるばかりだった。

中央政界にも激震が走った。公明党の西田実仁幹事長は、自民党の森山裕幹事長と松山政司参院幹事長に強く抗議した。

さすがの西田昌司氏もこの動きに抗することはできず、9日になって一転、謝罪と発言の訂正・削除を表明した。

「沖縄県民・ひめゆりの塔の関係者のみなさんにおわびを申し上げると同時に、私の発言したところは訂正・削除させていただきたいと思います。本当に申し訳ございませんでした」

西田氏のフェイク体質は「歴史観」以前の問題

だが、問題は単なる「失言」ではない。発言の根底には、近年の保守論壇における歴史修正主義的な潮流が色濃く反映されている。

西田氏の講演は、「日本の戦後教育は東京裁判史観に基づいている」という認識から出発する。これは保守系論壇に共通するフレームであり、いわば「歴史の名誉回復」を掲げる政治運動の一部でもある。

「東京裁判史観」とは、第二次世界大戦後に連合国が日本の戦争責任を追及した「極東国際軍事裁判(東京裁判)」の判決やその論理に基づいた次のような歴史認識を指す。

《日本は侵略戦争を行い、アジア諸国に多大な被害を与えた加害者であり、軍部の暴走と、それを許した政治・社会体制が悲劇を招いた。日本国民にも一定の責任があり、再発防止には民主主義と平和主義の徹底が必要。》

これに対し、1950年代以降、以下のような批判が台頭してきた。

《「侵略」の定義が曖昧で、日本の行動を一方的に悪と断じた。米英仏などの植民地政策や原爆投下は不問にされた。自虐的な歴史観が日本人の誇りや国家意識を損なった。》

教育界やマスコミでは、今も依然として東京裁判史観をベースにした「反戦・平和教育」が主流だ。一方、保守の政治家や論壇では、東京裁判史観から脱却すべきという声が強く、教科書検定や靖国参拝などで繰り返し対立してきた。

だが、西田氏の発言は、歴史観というより先に、記憶の継承を軽んじているといえる。「ひめゆり平和祈念資料館」の展示内容を確かめもせず、自分勝手に理論をあてはめて批判する。イデオロギーが真実を見る目を曇らせていると解釈するほかない。(次ページに続く)

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