選択肢1:「移民を受け入れず、言語は日本語だけ」パターン
たぶん、判断のタイミングとしてはかなり「遅きに失した」感じではあるのですが、わが国には3つの選択肢があると思います。
1つ目は、「移民少なめ、言語は日本語だけ」という選択です。この場合は、このまま労働人口が減っていくトレンドを埋めることはできないので、基本的にいろいろな部分をあきらめることになります。
例えばですが、
(1)農業は一気に大規模化して、農地を集約し自動化も導入して改革する
(2)寒冷地の人口は除雪要員とコストが出せないので、都市に徹底して集積する
(3)福祉や介護、外食、保育、移動(交通)、サービスなどの要員はいないので、徹底的に自動化する
(4)人口過疎地が本当に人口ゼロ地帯になるので、ロボットやドローンの巡回やセンサーを張り巡らせることにより害獣を駆除、仮想敵からの工作員侵入を防止する
というようなことになるでしょう。
これはこれで「壮大な社会実験」ですが、特に(3)や(4)については、人間の命に関わる部分も含めて相当な部分を機械に任せることになります。そうなると、不正アクセスや、データ改ざんなどを許さないために、世界でもトップクラスのセキュリティのマネジメントが必要になります。
ただ、この場合、「本当に決定権限のある人が技術的に合理的な決定ができるのか?」が問われることになります。現在の中央・地方政府や企業の統治システムでは、この点に無理があるのです。
もっとも、仮に2026年ないし27年に少子化対策が爆発的な効果を挙げて、年間100万人の出生ペースに戻すことができたとしても、そのゾーンが労働力として社会参加するのには22年かかります。
つまり、2048年まで労働力が減り続けるのは確定しており、これを補って社会を維持していくためには、いずれにせよこの「壮大な社会実験」パターンでは、猛烈なロボット化と自動化を避けることはできません。
そこで問題になるのは、セキュリティのマネジメントだけでなくユーザー、つまり一般市民の意識改革です。猫型ロボットに配膳してもらい、AIに話し相手になってもらってOKということなら、かなりスムーズに進むかもしれません。
ですが、意外なところで人間というのは「手のかかる行動」をしてしまうことがあります。非常に意味のある、しかし決して楽ではない社会実験になるでしょう。(次ページに続く)