実際の生活は確認できず。映画に漂う北朝鮮に渡った日本人妻の悲哀

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1959年から1984年にかけて、9万人を超える在日朝鮮人とその家族が日本から北朝鮮へと移住しました。その中には、在日朝鮮人と結婚した日本人の妻が約1800人含まれていましたが、彼女たちの生活ぶりが伝えられることはほとんどありません。現在公開中の映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。」は、北朝鮮に渡った姉と日本で普通に暮らしてきた妹が再開するドキュメンタリー。この映画を宮塚コリア研究所副代表の宮塚寿美子さんが、メルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』で紹介します。映画には複数の日本人妻たちが登場。当局の“教育”で生活ぶりや本音は見えないものの、望郷の念とは裏腹に日本にいる家族との難しい関係が垣間見えて印象的と綴っています。

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冷え切った日朝関係の現実。映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。」を見て

今年で在日朝鮮人の帰国事業が始まってから62年の歳月が過ぎる。脱北者を通して、これまで多くの帰国者の北朝鮮でのその後の生活の様子が伝わってきた。しかし、日本人妻として北朝鮮に渡り現在も北朝鮮で暮らしているリアルな状態を映像に残した記録はほとんどない。この映画は、写真家の伊藤孝司氏を通じて、帰国事業で在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡った20歳年上の姉の中本愛子氏と58年ぶりに再会する妹の林恵子氏の劇的なドキュメンタリーである。

すでに帰国事業についての当時の記録、先行研究、さらには、韓国や日本に入国した脱北者が約600人存在し、彼らの証言から北朝鮮での生活の状況を描いてまとめられた書籍などは多くある。日本には約200人の脱北者が生活しており、そのうち日本人妻は5人ほどしかいない。詳細は、拙稿の『「難民」をどう捉えるか』小泉康一編書(慶應義塾大学出版会)第15章「脱北」元日本人妻の生活定住を参考にしてもらいたい。

“3年経ったら帰国できる”という言葉を信じて、新潟港から万景峰号に乗った多くの在日朝鮮人とその伴侶になった日本人妻たち。実際にその里帰り事業ができたのは、長い歳月が過ぎた1997年から2000年にかけてたったの3回。この映画の中本愛子氏も2002年に日本に一時帰国する予定であったが、拉致問題に関して日本国内で北朝鮮への反発が強まり直前で中止になり帰国できなかったという悲劇のヒロインでもある。それから今現在において拉致問題の膠着(こうちゃく)が続き、日本人妻の里帰り事業の再開の目途は立っていない。

閉鎖的な北朝鮮が日本からの撮影に応じ、再会をさせているのは、かなり異例である。ただ、その場所は、中本愛子氏が実際に住む咸興市内の自宅ではなく、招待所であった。それは北朝鮮当局の計らいであるが、妹の林恵子氏も本来は姉の実生活がわかる自宅での再会を希望していた。しかし、滞在中、結局一度もかなわずであった。自宅など近所で工事をしていて危ないからという理由であったそうだが、閉鎖的な北朝鮮の思惑が垣間見れる。

映画の見どころの1つとして、他の親族との再会のシーンも描いていたが、政治的な話の部分にはならないよう、また、日本についての質問を彼らにしても、事前に当局からの指示でよく“教育”されているように、さらりとかわす無難な回答しかしない。

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