売り上げの最高記録を毎年更新し続け、注目を浴びている飴メーカーが名古屋にある。パート・アルバイトを含めて従業員数およそ20名の小さな会社だが、ナメてはいけない。そもそもは駄菓子の問屋だった株式会社ナカムラは、飴のオーダーメイドサービス「まいあめ」を発足。3代目がその事業を承継して改革し、2018年には約5,000万円だった売り上げを倍以上の1億2,000万円にまで伸ばした。
さらに2023年には元・銭湯だった建物に本社を移転し、2024年には社員がエンタメに費やすチケット料金を会社が負担する福利厚生制度を始めるなど、話題には事欠かない。下町の駄菓子問屋からビジネスの前線へと躍り出た3代目に、大胆な変革の理由を尋ねた。
ライター・放送作家。「大阪アニメ・声優&eスポーツ専門学校」講師。京都在住。関西を中心に中小企業、個人経営店、職人を取材し、「街の経済」を視点とした記事をWebメディアに書いている。テレビ番組『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)構成。Yahoo!ニュースにて「京都の人と街」を連載。近著に『ジワジワ来る関西』(扶桑社)がある。
少年期に通った元銭湯を改装して新社屋に
飴のオーダーメイドサービス「myame(まいあめ)」を運営する株式会社ナカムラは、「お菓子の街」とも呼ばれる名古屋の西区にある。クッピーラムネのカクダイ製菓、フーセンガムの丸川(マルカワ)製菓、さくらんぼ餅の共親製菓など息の長い駄菓子メーカーや卸問屋が軒を連ねているのだ。徳川家康が名古屋城を築く頃、集められた職人におやつをふるまうべく、この地に製菓店が続々と誕生したのがルーツなのだとか。
そんなお菓子の街にある「まいあめ」の社屋を見て、驚かない人はいないだろう。なんと元・銭湯なのだ。
銭湯だった面影を残す新オフィスimage by:まいあめ
あえて銭湯時代の看板も残しているimage by:まいあめ
設備の老朽化と店主の高齢化により2021年、創業95年の歴史に幕を閉じた白菊温泉。これを改装し、2023年12月に新社屋のお披露目となった。3代目となる専務取締役の中村慎吾さん(35)は、本社を元銭湯に移した理由を、こう語る。
中村慎吾さん(以下、中村)「もともとは僕が通ってた銭湯なんです。湯船につかりながら、おじさんたちが『今日のドラゴンズはだめだ』とか、『福留はええぞ』といった話をしている姿をよく目にしていました。そういった地元に寄り添った社交場がなくなってしまうのは悲しいですし、コミュニケーションの場として再定義できたらいいんじゃないかと考えてリノベーションしたんです」
株式会社ナカムラ/まいあめ 3代目 専務取締役 中村慎吾さんimage by:吉村智樹
壁のタイルなど銭湯の名残りが随所に見受けられる本社には、さらに驚くことに足湯まである。浴槽メーカーでもないのに社内に足湯があるなんて、おそらく国内でここだけだろう。お湯を張っていない時間は縁(ふち)にクッションを敷き、従業員や取引先との歓談の場所になるのだそうだ。
オフィスには足湯やカウンターバーを設置。透明のカーテンの向こうは以前は女湯だったimage by:まいあめ
湯を抜いている時間は縁に座り、スタッフや取引先との歓談の場になるimage by:吉村智樹
中村「せっかく元・銭湯という物件に恵まれたので、足湯は新設しました。実際に仲間を呼んで足湯をすると、議論が白熱するんです」
足湯によって、実際に頭寒足熱の効果が表れるとは。
足湯につかると新しいアイデアが湧くこともあるというimage by:まいあめ
「エンタメ系の入場料」を会社が負担する異色の福利厚生制度
ユニークなのは会社の建物だけではない。福利厚生も他社とは異なる特色がある。なんと2024年7月から、「エンタメ系の入場料を会社が負担する」という異色の社内サービスを設けたのだ。そこには、こんな理由があった。
中村「弊社の飴はライブや演劇・映画、プロスポーツチームなどエンタメ系のビジネスに関わるケースが多いのです。そして会場の雰囲気やグッズが売られている場所でどういうものが売れているかを理解しないと、いいものはつくれないと考え、実施しました。社員のモチベーションアップにもつながり、かつ弊社の仕事へのフィードバックになる。そんな福利厚生制度があっても面白いんじゃないかと思ったんです」
エンタメ系のチケット代を会社が負担してくれるとなると、これまで躊躇していたイベントなども足を運んでみたくなる。見聞も広がるだろう。実施から約半年、どのような効果があったのか。
Next: 飴は単なる菓子ではなくコミュニケーションツール
中村「具体的な経済効果はまだ表れていませんが、やってみて『あり』でしたね。社員と『どこへ行ってきたの?』『どうだった?』と話ができるようになったのは大きいです。宇多田ヒカルさんのライブだったり、音楽フェスだったり、社員がそれらの現場にいて、時代の空気を感じるのはとても大切なことだと思います」
エンタメ系チケットの料金を負担する福利厚生制度により「スタッフとの会話の機会が増えた」と語るimage by:吉村智樹
飴は単なる菓子ではなくコミュニケーションツール
中村さんの話の端々から、「まいあめ」の流通経路が他の菓子メーカーと大きく違っていること、そしてコミュニケーションをひじょうに重要視していることがわかる。
中村「そうなんです。飴はコミュニケーションツールだと考えています。そして弊社は飴をつくる会社ではなく、“飴を通じてコミュニケーションのきっかけをつくる会社”だと考えているんです」
「飴はコミュニケーションのきっかけ」。確かに飴は自分でなめるだけではなく、人に手渡す場合も多いお菓子だ。「はい、飴ちゃん」と配布用の飴を巾着に常備しているご婦人もいらっしゃる。そのやりとりが人と人との距離を縮め、温かな会話が生まれるケースも少なくはない。それが他の菓子にはない、飴ならではの特徴・美質だといってもいい。
そして中村さんは飴がもつ関係構築性の高さに注目して方向転換をはかり、入社以降、それまで5,000万円だった「まいあめ」事業の売り上げを倍以上の1億2,000万円にまで伸ばしたのだ。その背景には、さまざまなドラマがあった。
2代目の父が始めた飴のオーダーメイドサービス「まいあめ」
株式会社ナカムラは、この地で1963年、祖父・中村弘さんが駄菓子問屋「中村弘商店」を創業したのがはじまりだ。2代目・父の貴男(63)さんが1993年に法人化し、「株式会社ナカムラ」に改称した。以来、ナカムラは駄菓子店やスーパーマーケットにおやつを卸し続けている。
中村さんは180センチを超える長身を活かし、高校時代はバスケットボール部のキャプテンとして、弱小だったチームをまともなチームにただす活躍を見せた。いっぽう古着などのファッションも好きで、卒業後はジーンズメーカーに就職。仕事柄トレンドに敏感になり、マーケティング企画会社に転職した。
2007年、2代目である父・貴男さんは、まいあめの前身となる、顧客が希望する柄をいれられる組み飴のサービス事業「まいあめ工房」を起ち上げる。
「組み飴」とは金太郎飴に代表される、切っても切っても同じ絵柄が出てくる飴のこと。伝統工芸である組み飴に企業ロゴやキャラクターの顔などを組み込み、景品や記念品、キャンペーンアイテムとして活用してもらおうと考えたのだ。
2代目が伝統の技術である組み飴のオーダーをオンラインでできるサービス「まいあめ(工房)」を起ち上げたimage by:まいあめ
たとえば「塩」など、組み飴の技術を活かし、飴に文字を入れることが可能にimage by:まいあめ
中村「父は組み飴をインターネットで注文できるようにしたんです。父はインドア派、今でいうパソコンオタクで、接客が苦手でした。そのぶんオンライン化にはいち早く着手したんです」
のちにインターネットによるオーダーが一般化する時代を迎えるが、早い段階でそのシステムを採り入れた父・貴男さんには先見の明があり、好調な滑り出しを見せたという。
貴男さんがオーダーメイドの飴に着手した理由は、もう一つある。スーパーマーケットが自社ブランドをもつなど業界再編が進み、旧来の菓子の卸問屋は減少。平成の頃には名古屋市西区周辺に400軒ほどあった菓子の卸問屋が、現在40軒台にまで落ち込んでいるという。このまま駄菓子屋やスーパーマーケットに商品を卸しているだけでは、先がない。そう考えたのだ。
ただ、貴男さんは積極的に自ら企画営業をするタイプではなかった。そこで右腕となったのが中村さんだ。マーケティング企画会社に勤務しながら副業として家業に携わり、営業を手伝った。そして2016年、自らビームスジャパンに企画書を持ち込み、日本らしいお土産として配布する飴の受注にこぎつけたのだ。
「ビームスジャパン」の文字が入った組み飴。これが大いに話題となったimage by:まいあめ
中村「ファッションブランドの発表会や各種レセプションなど企業様のPRには『飴が有効である』と、ずっと考えていました。組み飴に文字などを入れると、それ自体が名刺や広告になりますから」
さらにその後、中村さんはInstagram日本法人にプレゼンし、パネルディスカッションの際に招待客へ配布する飴の受注を獲得する。これらが話題となり、まいあめの知名度は上昇した。ファッション業界とマーケティング業界、二つの世界を歩いてきた中村さんだからできた、大胆な発想の転換である。
Next: 「飴に特化した広告企業」へと改革できた理由
3代目として家業に入り「飴に特化した広告企業」へと改革
そして中村さんは2017年、3代目として家業に入る。父から勧められたわけではなく、自分の意志で決めた。
中村「子どもの頃から父や母が働いている姿を見て育ち、ここで誕生した商品が誰かの喜びにつながることも知っていました。そんな飴に、自分のアイデアを組み込んで、これまでの食品業界だけではなく『広告業界で戦おう』と考えたんです。言わば弊社は“飴に特化した広告企業”。実際、私が入社してから広告代理店からの依頼が本当に増えました。飴で広告をつくる会社なんて、他にはありませんから」
「飴に特化した広告企業」。そのような前例なき航路に舵を切った中村さん。そんな中村さんが入社して、先ず挑んだことが二つある。一つはSNSマーケティングへの注力だ。特に組み飴がつくられる様子を公開した動画は海外で大いにバズり、瞬く間に280万回再生され、注文も増えた。映像のなかには70代の職人もおり、匠のワザがSNSを通じて海を渡ったのだ。
飴づくりの動画が海外でバズり、新たな受注にもつながったimage by:まいあめ
中村「SNSマーケティングに力を入れた第1の理由は、『飴づくりはこんなすごい技なんだ』と、言葉ではなくビジュアルで配信したかったからなんです。ファブレスメーカーである弊社にとって、飴づくりをお願いする職人の存在は命。そんな職人の高度な技術を知ってほしかったし、ハイレベルな技術力でつくられた飴をPRに使うと広告価値がさらに高まることも伝えたかった。動画は言葉の壁を越えて視覚で訴えられるので、職人の技術に関心をもってもらうよいきっかけになりましたね」
もう一つは、カードやフライヤー、シールなどの封入サービス。飴のデザインとは別にパッケージやメッセージカードのオーダーも請け、さらにPR力を向上させたのだ。
中村「組み飴のサイズは基本的に直径2センチ。載せられる情報には限りがあります。そんな飴にカードやフライヤー、シールなどを組み合わせれば、メッセージの量も増やせるじゃないですか。たとえば企業の100周年記念のノベルティでしたら、あいさつ文や沿革なども同封できます。広告媒体として、メディアとして、飴の価値がさらに高まるんです」
飴とカードの封入作業は自社で行う。入社前は役員を含めて5名だったスタッフを17名に増員して対応しているという。
中村「封入は面倒な作業なので他の業者さんはやりたがらないんです。それを、うちはやる。そうやって単価・利益率・業績があがっていった部分はありますね。食品ってどうしても利益率が低い業界なんです。だからこそ、付加価値をつけていかないと生き残れない」
他社が避ける煩雑なパッキング作業も請けることで受注を増やしていった中村さん。飴だからこその利点もあった。
中村「弊社は裏方ではあるのですが、食品の場合、食品を販売し責任を負う会社は会社名を必ず明記しなければならない決まりがあるのです。そのため、自社の名前を表示できたのは大きかったですね。そこで検索してもらって、さらに口コミで広がっていきました」
「広告としての飴」の需要はどんどん高まっていったimage by:まいあめ
このように、広告としての飴、コミュニケーションツールとしての飴という中村さんの指針は次第に認められてゆき、得意先は広告代理店、企業広報、グッズ制作会社の比率がさらに高くなってきた。PRノベルティのオーダーは着々と増え、現在はパッケージングを含めノベルティの依頼が6割以上に達している。「NewsPicks」をはじめメディアからの依頼もあるという。
カードの封入やパッキングも請け負い「飴に特化した広告企業」へと業態を変化させていったと語るimage by:吉村智樹
Next: コロナ禍で感じた「飴が想いを伝える力」
コロナ禍で感じた「飴が想いを伝える力」
このように順風満帆に見えたまえあめだが、天からの飴と鞭というか、ここで勢いが止まる出来事が起きる。コロナ禍だ。
中村「コロナの影響でイベントや展示会などがなくなり、売り上げがガクッと落ちました。2020年の7月ぐらいから本当に売れなくなり、『会社を潰した方がいいかな』ってぐらいひどい状況だったんですよ」
食べられる広告として、ひたむきに飴のノベルティ化に尽力していた中村さんだが、さすがにコロナの前では太刀打ちできなかった。そんなおり、中村さんはあるニュースを耳にし、一つの行動に出る。
中村「ソフトバンクがマスクをつくるというニュースがあり、『うちも何か喜んでもらえる飴ができないだろうか』と考え、手洗い・うがいを勧める飴を無償配布したんです。コロナ禍でも宅配便の人たち、コールセンターの人たちなどは休めない状況でしたから、飴で喉をいたわったり、疲れをとったりしてほしかった」
コロナ禍による受注減になすすべもないなか、収益を目的としない利他の行いだった「手洗い・うがい飴」。しかしこれが医療従事者からの反響を呼び、「売ってほしい」との声が多く挙がり、一般向けにも販売を開始した。起死回生だ。皆がマスクをしている状況で、無言で手渡しても文字で想いが伝わる組み飴は、喉だけではなく人の心も潤したのである。
無料配布したところ好評を得て商品化となった「手洗い・うがい喚起飴」image by:まいあめ
中村「手洗い・うがい飴の経験から、幾つかの学びがありました。一つは、飴を配る文化や習慣は社会貢献につながるのだということ。もう一つは飴に企画性をのせる大切さ。『飴ってメディアなんだ』と改めて思いましたね。飴を贈る文化をなくさないためにも、改めちゃんとしたビジネスにしないといけない。そう感じました」
「まいあめ」初の自社製品はオーガニックキャンディー
「飴はメディア」「飴を配る文化は社会貢献につながる」と確信した中村さん。2024年10月19日、遂にまいあめ初の自社製品の開発・販売を開始した。それがオーガニックキャンディー『CanWe?』だ。
原材料調達・製造・包装まですべての工程で有機JAS認証を取得したオーガニックキャンディー「CanWe?」image by:吉村智樹
中村「95%以上オーガニック原料を使用し、国が認めた機関で認証を受けた飴です。有機認証で使用禁止の添加物を使わないだけでなく、従来のキャンディーと比較して化学肥料・化学農薬を製造する際に排出されるCo2を44%削減しています。豊かな土壌をまもり、次の世代へ繋げることをコンセプトにした商品で、将来的には『オーガニックキャンディーをつくりたい』という企業様のOEMに対応できるようにしていきたいです。つまりCanWe? は“食べられる自社広告”なんです。そのためにも、販売に力を入れていきたい。店頭に並べないと、“日本初のオーガニックキャンディー”という存在に気づいてもらえませんから」
一介の駄菓子問屋が、わずか数年で海外の企業からも注目される存在となり、さらにはSDGsへの取組みも始めた。こういった動きが駄菓子工房の並ぶ下町から、そして庶民の営みの場であった元・銭湯から生まれたのがおもしろい。飴、塊(つちくれ)を破らず。飴のやさしい甘みは、ビジネスの世界にも浸透していったのだ。
- 「myame(まいあめ)」
- 公式サイト:https://myame.jp/
image by:吉村智樹
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