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「収益を上げるためには、収益を求めない」バルニバービ佐藤会長は、人間の情熱がほとばしる場所に価値を見出す 

morichの部屋vol.31 株式会社バルニバービ 代表取締役会長 佐藤裕久様

福谷学氏(以下、福谷):株式会社START UP STUDIO代表取締役の福谷です。今宵も「morichの部屋」が始まりました。よろしくお願いします。

森本千賀子氏(以下、morich):株式会社morich代表取締役社長の森本千賀子です。始まりました! よろしくお願いします。

福谷:もう2月もあっという間に終わりますね。

morich:あっという間です。このままだと夏休みがすぐ来そうですね(笑)。

福谷:夏休みは少し先走りが過ぎるかと思います(笑)。今日で「morichの部屋」は31回目を迎えます。すごいのが、来年の3月までゲストが決まっているのです。

morich:出ていただくと株価が上がる、個人的なファンが「推し活」をしてくれる、などのいろいろなブランドイメージがあるようです。

福谷:大変良いですね。もう「morichの部屋」は40回を超えるということですよね。最初は3回で終わると噂されていましたが(笑)。

morich:すでに3周年記念のパーティーも8月25日に予定しています。この間振り返ったのですが、ゲストのみなさまは本当にすてきな方ばかりで、よく来ていただいたなとあらためて思っています。

福谷:今日もすてきなゲストをお呼びしています。実は、いろいろな意味で大変緊張しています。

morich:これほど緊張しているのは見たことがないです(笑)。

福谷:あまり緊張しないほうなのですが、今日のゲストはワイルドな方なので緊張しています。お写真だけ拝見した時に「うわぁ!」と思いました。もう1つあります。最近「morichの部屋」は参加者の女性比率が高いのです。

morich:そうですね。特に今日は女性比率が大変高くありませんか?

福谷:視線が少し怖いなと思っていまして(笑)。

morich:見られている感じですね。みなさまはゲストを見ているので大丈夫ですよ(笑)。

福谷:そうですよね(笑)。それでは始めていきましょうか。ゲストの方をご紹介ください。

morich:本日は、株式会社バルニバービの代表取締役会長CEO兼CCOの佐藤裕久さまにお越しいただきました。

佐藤裕久氏(以下、佐藤):こんばんは。

morich:めちゃくちゃ格好良いですね。俳優さんかと思いました。

福谷:ワイルドですよね。

佐藤:どのような場か知らずにきたので、場違いにならないかと思って緊張しました。

morich:今日は非常に大切なイベントがあったとお聞きしました。

佐藤:そうなのです。今日は、重要文化財である大阪市北区中之島の大阪市中央公会堂にあるレストランで、オープンレセプションパーティーがあったのです。

morich:私はそちらに行きたかったです(笑)。

佐藤:パーティーの日程が決まったのが「morichの部屋」より後だったため、当然先約を守らなければならないと思って、ここに来ました。社員からは怒られました。

(一同笑)

morich:本当にありがとうございます。

福谷:「morichの部屋」に出演していることを知られたら、「何をしているのですか」と怒られないでしょうか(笑)?

佐藤:大丈夫ですよ(笑)。

佐藤会長の自己紹介

morich:簡単に自己紹介をしていただけますでしょうか? 後で紐解いていきますので、触り程度で構いません。

佐藤:食べ物屋をやっています。もう30年になるでしょうか。しかし、先日考えたことがあります。テレビ番組の『日経スペシャル カンブリア宮殿』に出た際に、インタビューを1号店で受けていました。

1号店には看板があるのですが、それは30年前に私の妻が彫刻刀で彫ってくれたものです。その看板を見ると「そうか、月日というのはこんなものなのだな」と思いました。一瞬でもあり、途方もなく長くもある……そのような年月、飲食店をやっている者です。

morich:すてきな自己紹介ですね。

福谷:深いなぁ、と思います。佐藤会長、「morichシャワー」はご存じですか?

佐藤:ごめんなさい、何も知りません。それは何ですか?

morich:ご紹介します。私の名前が森本千賀子ですので「morich」です。それが社名になっていまして、株式会社morichといいます。そしてゲストをお呼びする時に、あらゆるメディアや情報を調べ上げることを「morichシャワー」と呼んでいます。

佐藤:そんなこと、ぜんぜんしなくていいのに。

morich:いえいえ(笑)。いろいろなところからメッセージを受け取っています。それをみなさまにお伝えするべく、紐解いていきたいと思います。

「楽しいことをしてはだめ」厳格な父の教え

morich:佐藤会長はもともと京都のご出身ですよね。どのような少年時代だったのでしょうか?

佐藤:京都出身です。……暗黒の少年時代でした(笑)。

福谷:えぇ!? 本当ですか?

佐藤:本当にそうなのです。父親は昭和一桁生まれなのですが、小学校で父親を、中学校で母親を亡くし、兄に育ててもらった人でした。

子どもの時は軍事教育を受けており、学校のグラウンドでサツマイモを作って、イモは兵隊さん、ツルや葉っぱは父親たちが食べる、というように育てられた人です。その時のつらい思いが蘇るようで、私の父親は死ぬまでサツマイモを食べられませんでした。

そのように育った人だったため、「我慢すること」や「自分のしたいことをしないこと」が正しいのだという、不思議な感覚を持った人でした。

morich:大変厳しかったわけですね。

佐藤:非常に厳しかったです。単に厳しいだけではなく「楽しいことをしてはだめ」ですので、笑ってはいけないのです。

morich:えぇ!? ご飯を食べている時など、家庭内でもですか?

佐藤:ご飯は1人で食べており、家庭内も砂漠のような日も多々ありました(笑)。家庭には、母親が養女、父親が養子のため血縁のない祖父と祖母がいたのですが、祖父と祖母は大変良い人でした。根本、父も良い人なのですが、おかしい教育を受けた人ですので、どこかねじ曲がっていたのですね。

父親は、私が40歳くらいの時に「経済的にうまくいっているのだな」と認識したのでしょう。「お前の成功の要因は何だ?」と聞いてきたのです。私は「あなたの言ったことの逆張りをしたことです」と言いました。

morich:えぇ!? 本当ですか?

佐藤:父は良い人ですので「お前、そんなこと言うなよ」と笑っていましたが、本当のことです。「やりたいことはしてはならない。それは堕落だ」と言われてきました。

小学校での少年野球や部活動などはすべて禁止されました。やっていいのは、学校が終わったらさっさと家に帰ってきてお菓子屋を手伝うこと、もしくは勉強か本を読むことです。基本的にその3つしか許されないわけです。

morich:厳しいですね。

佐藤:たまたま勉強も少しできましたし、喧嘩も強かったため、いじめられっ子にはなりませんでした。しかし、友達と遊んでいたら怒られるため、どこか「変なやつ」扱いを受けていました。

morich:学校からの帰りも寄り道はせず、まっすぐ家に帰っていたのですか?

佐藤:そのとおりです。たまには子どもだから遊びたいでしょう。そこで遊んでいたら、母親が困った顔をして「お父さんが怒っているから帰ってきて」と迎えに来るわけです。私も男の子ですので「お袋を悲しませたくない」と思って家に帰りました。

したがって、私の周りで昔のことを知っている人は「よくグレたり変な道に走らなかったな」と言います。

morich:今のお姿が想像できない少年時代だったのですね。

佐藤:それはやはり、祖父母や母親の愛のおかげだと思います。こう言うと父親が悪人のようですが(笑)、良い人ですよ。良い人ですが壊れていたのでしょう。

morich:育ってきた環境がそうさせたのでしょうね。

佐藤:そう思います。そのような少年時代だったため、苦しかったのだと思います。

お菓子屋の看板少年 商売人の基本原則を叩き込まれる

morich:苦しい少年時代から開花したタイミングはいつだったのですか?

佐藤:それは明確です。とにかくこの家は「牢獄」だと思っていました。しかも、父親の言うことが間違いだということは、本を読んでいると、うすうすわかってくるわけです。

子どもの時は「親が絶対」なのでわからなかったですが、さまざまな本を読む機会を与えてもらったため、「社会は父親の言っていることと少し違うぞ。私はもっと広い社会に出てがんばろう」と思いました。そして中学2年生の時に気づいたのが、「人は、1人でも暮らしていける」ということでした。

あまり言いたくありませんが、中学2年生までは、週に1回くらいは死にたいと思っている子どもでした。

morich:そのお話はどの媒体にも書いていなかったです。自己肯定感が低かったということでしょうか?

佐藤:この話は言ってきませんでした。父親が生きていた頃に言うと、父親に悪いということもあります。

自己肯定感というのはよくわかりませんが、とにかく苦しいわけです。友達とも遊べない。例えば、友達が夏にプールに行く時に、私の家のお菓子屋に来てお菓子を買います。私が接客して「ありがとう」と言うと、友達は楽しそうに去っていきました。クリスマスになったら、クリスマスケーキを友達のクリスマスパーティーに配達しに行くのですよ。そんな小学生でした。

morich:家でクリスマスパーティーなどはしないのですか?

佐藤:するわけないじゃないですか(笑)。お店の営業が終わった後、売れ残ったケーキを食べることはできましたが。

父親はずっと「人が遊ぶ時に働くのが商売人だ」と言っていました。これは、今の私も正しいと思っています。私が商売人として飲食業で何かかたちにできたとすれば、子ども時代に父親から受けたスパルタ教育のようなものは役立っていると思います。

morich:お父さまを手伝われていたのですね。

佐藤:手伝っていたどころか、もうメインですから(笑)。毎日働いていたため「お菓子屋のひろちゃんは良い子だね」と言われました。今の時代であれば、どう考えても児童虐待ですよ(笑)。

(一同笑)

morich:小学何年生から接客をされていたのですか?

佐藤:小学校2年生か3年生から「いらっしゃいませ、何にしましょう?」と言って接客していました。

morich:お店の看板だったのですね。

佐藤:アイドルでしたし、近所の「おばさん」から……おばさんと言うと怒られますね。20代、30代の方々でした。私が7歳、8歳の頃から見ていただいていたため、おばさんたちには大変可愛がられたことを覚えています。そして私は、そのおばさんたちの中でも「このおばさんはきれいな人だな」などということがわかっている子どもでした。

お店を手伝うことは、楽しくないわけではなかったのです。私が飲食業者として、お客さまをお迎えしておもてなしすることの基本原則は、おそらくその時に身に付いたと思います。

morich:逆に言うと、基本原則は理論ではなく体で覚えていたということですね。

佐藤:そのとおりです。私はよく「その瞬間になぜお客さまに気づけないのか」とスタッフに言っていましたが、数年経ってから「小学校2年生、3年生から基本原則を叩き込まれている人間とみんなを同じだと思ったら悪いな」と気づきました。

「牢獄」からの脱出で始まった第2の人生

morich:その後、外国語大学に入学されますが、それは何か意味があったのですか?

佐藤:京都出身であるため、府内に大学はたくさんありました。しかし私は、とにかく「牢獄」である実家の外へ出なければならないわけです。そのための必要条件が学費の安い国公立大学に行くことでした。そこで「牢獄」から通学しなくて済むぎりぎりの遠いところにあったのが、神戸市外国語大学(以下、神戸市外大)だったのです。大阪であれば「家から通いなさい」と言われそうだと思っていました。

そして大学に合格したのですが、父親が「調べたら、京都から通えないことはないな」と言い出したため「無理無理無理!」と言いました。大学に合格した頃には、自分の意見を言えるようになっていたのです。

(一同笑)

今でも覚えています。当時の神戸市外大は神戸市灘区の六甲にあったため、その近所に下宿を借りました。いとこの軽トラでそこまで勉強机と布団を運ぶわけです。アパートは四畳半一間、トイレは和式の共同便所、もちろん風呂もシャワーもない木造2階建てでした。

morich:『神田川』の世界ですね(笑)。

佐藤:まさしく、そのとおりです。家賃は1万5,000円で、しかも名前は「ムカデ荘」といいます。「そんなことある?」と思いました。

morich:「ムカデ荘」はちょっと、住みたくないですね(笑)。ムカデが出てきそうです。

佐藤:父親といとこに手伝ってもらって「ムカデ荘」に少ない荷物を運びました。四畳半一間と狭い部屋ですので、父親といとこに上がってもらうわけにもいかず、2人が帰っていきます。

そこで私は1人、四畳半の部屋で寝そべりながら「よし、これから俺の人生が始まる。絶対に、懸命に生きるぞ」と思ったのです。その夜の情景は、座っていた柱の角まで覚えています。その日、私の第2の人生が始まったのだと思います。それからは勉強もせず、懸命に働き続けました。

才覚ある学生起業家たちが競い合う

morich:自由ですね。お仕事はアルバイトだったのでしょうか?

佐藤:最初はアルバイトとして働き、結果的に学生起業することになります。

佐藤:「丸亀製麺」でトリドールホールディングスを創業した粟田貴也氏は同級生であり、私が作ったサークルに一瞬入ってくれていました。時期は一瞬被っているだけですが、私はその時点で神戸市外大を「制覇」していたため、「外へ行って甲南大学や関西学院大学と戦ってくる」と言って他流試合に挑みはじめました。

morich:大学を辞めて実業家への道を進もうと思われたことには、何か決意や背景があったのですか?

佐藤:心のどこかでは、きちんと勉強して大学を卒業し、世間でいう「一流企業」に入る選択肢も考えていました。ラグビー部に所属していたことも有利に働くと思っていました。

morich:そうなのですね。私はラグビー部のマネージャーでした。

佐藤:マネージャーは大変ですよね(笑)。

神戸市外大は、一流と言われる商社はある程度就職できる学校だったのですが、私はその時もう勉強に疲れていたのです。毎年進級のある学校だったのですが、4年間で1回しか進級していません。2年目の1年生で進級して2年になり、そこからまた2年間、2年生として過ごしました。

morich:それでは、大学には4年在籍されたのですね。

佐藤:しかし、勉強はもう無理だと感じました。1浪もしているし、1年目で進級できなかった時に「2年も遅れて、自分は何をしているのだろう」と思ったのです。しかし、学校を辞めたとして何をするのだろうと考えると、何も見つかりませんでした。「これはだめだ」「こんな状態で退学してもどうしようもない」と思いました。

そこで大学3年生、4年生の時に学生起業をしました。大学生を集めるイベント系の企業です。神戸ではナンバー3くらいの位置付けでした。

morich:イベント会社のはしりだったわけですね。

佐藤:その頃の学生起業の仲間は、12人が上場しています。トリドールホールディングスの粟田氏とKlab株式会社の真田哲弥氏などが当時の仲間です。

池添吉則氏が起業したマザーズオークションは美輪明宏氏をCMに起用したことで有名ですが、池添氏は私が作ったサークルの3代目代表です。2代目の上島規男氏はイントランスという不動産会社を起業しました。彼らは、言うなれば私の元子分でどちらもマザーズ上場です。

(一同笑)

morich:すごいですね! 才覚のある方々が集まっていたのですね。

佐藤:たまたまそのような人々が集まっており、みんなが競うわけですよ。誰が神戸市の「ワールド記念ホール」を満員にできるかを競ったこともありました。神戸ナンバー1のイベント団体は7,000人から8,000人を集めましたが、私は3,000人しか集められず、達成できなかったです。

しかも、3,000人を集客しながら赤字だったのです。スタッフも赤字だとわかれば逃げていきました。その時に、学生起業の限界に気づきました。社会のことを何もわかっておらず、借金はすべて私が肩代わりしました。

大学は4年間在籍し、ちょうどいい区切りだと思いました。そこで勉強し直そうと、社員7人くらいのアパレル会社に就職しました。

勤め人を経てアパレル起業 本物の感性を前に限界を悟る

morich:サラリーマンを経験されているのですね。

佐藤:あのアパレル会社をサラリーマンというなら、そうなります(笑)。実質は「見習い」でした。

morich:そこから1990年代にアパレルの会社を立ち上げていらっしゃいますよね?

佐藤:立ち上げたのは1985年です。つまりアパレル会社に勤めたのは1年半ということになります。少人数の会社だったアパレル会社ということもあってすぐさま評価してくださり、当時の初任給は大卒でだいたい15万5,000円の時代だったのですが、順に15万5,000円、20万円、25万円、35万円、45万円まで給料を上げてもらいました。

そこである程度先が見えた時に、私は自分でリスクを負って試すべきだなと思ったのです。その会社の社長も出資してくださって、スピンアウトのかたちで起業しました。

morich:いきなり飲食業には入らなかったのですね。

佐藤:その会社に入るきっかけは、「飲食もこれから試すから」と口説かれたことでした。1980年代半ばはDCブランドの全盛期です。萩原健一氏の着る「BIGI」を見て、私たちはこんなに格好良い世界があるのかと思いました。

私は子どもの時から京都育ちですので、まあまあ着道楽なのです。中学1年生で、バックポケットからギンガムチェックのハンカチを1センチくらい出したら格好良いな、などと思っているような子どもでした。

morich:おしゃれですね!

佐藤:金ボタンのフラノにレジメンタルのネクタイを締めていた小学生でした。私は格好良い世界が好きで、当時はその格好良い世界が初めて飲食を手がけた時代でした。サザビー(現サザビーリーグ)が「アフタヌーンティー」を、ビギが「ラ・ポムベール」を出店したのです。

私も、大学時代の学生起業では学生を動員してディスコやパブ、カフェバーなどをプロデュースしています。それがおもしろいと思っていたため、アパレル会社に入って2ヶ月、3ヶ月が経った頃に「そろそろ飲食をやりませんか」と話をしたら「餅は餅屋だから、やらない」と言い出したのです。「嘘だろ」と思いました。

morich:それが退職の理由にもなったのでしょうか?

佐藤:辞めた理由はいろいろなことがあります。「自分で決めなければならないな」ということも考えました。

結果的にファッションの世界に入ってしまったため、飲食への思いは封印していました。しかし、気が狂うくらい感性のすごい人たちを見てきて、ファッションで食べていけるほどのファッションセンスが自分にはないことはわかりました。

morich:そこで次は何を試そうかと考えたのですね。

27歳ですべて失う 「執行猶予」期間のような借金返済生活

佐藤:山ほどある借金を返さなければならず、5年間かけて返し続け、返し終わる数ヶ月前くらいから「やっと終わりが見えた」と元気になるわけです。それまではいわば「執行猶予中」のような心情でした。

morich:しかし、きちんと返そうと思われたわけですよね?

佐藤:返さなければならない事情もありました。私はその頃、借りられるだけ借りて、すでに借金ができない身の上だったのです。父親に保証人になってもらって仕切り直したため、もし返さなければ、小さなお菓子屋の店舗兼自宅が取られる事態でした。実家の家と職業を奪うわけですので、選択肢としては絶対にあり得なかったです。

私は、27歳で何もかもを失いました。まず、元日に火事で家が燃えました。元日ですよ。除夜の鐘と消防のサイレンが一緒だったと言われました(笑)。

morich:えぇ!? そんなハードなこと、どこの媒体にも書いていなかったです。

佐藤:そこを深掘りすると、たぶん今日1日がこれだけで終わります(笑)。そして1月3日にアパレルの会社が倒産したことがわかり、1月7日にそごう神戸店から呼び出されて、2軒出店していたブティックを「『BEAMS』が入るため、今月いっぱいで閉めてください」と言われたのです。後年、ビームスの設楽洋社長に「俺、タラちゃんに2軒追い出されたんだけど」と言うと、笑いながら話しましたっけ。

その時点で終わりが見えていました。24歳で社長になって、偉そうにしていたのですよ。その時、表面的に着飾っていたり、体裁を繕っていたものの化けの皮が剥がれたのだと思います。

しかし「死にたい」などとは思わなかったですね。子どもの時はそのように思いましたが、大人になっていました。母親のことなどを考えればそんな選択はあり得ないわけです。一方で、「地震が起こってこの世が終わらないかな」「この世が終わってくれたら誰も傷つけなくて済むな」という論外なことを考えたりもしていました。

morich:しかし、そのシチュエーションをきちんと覚えていらっしゃる。

佐藤:覚えていますね。その中で良かったのは、やりたいことは何もないけれど、しなければいけないことがあったということです。「借金を返さなければ、絶対に両親に迷惑がかかる」と考えていました。それが私を生かし、懸命に仕事をしました。朝から晩まで、年間350日ほど働いたのではないでしょうか。

バブル期の熱狂に見失いかけたもの

morich:その時は、すでに飲食業をされていたのですか?

佐藤:いえ、そうではありません。当時は「佐藤事務所」を立ち上げました。1988年の当時はバブル時代で経済が絶好調だったこともあり、企画書さえ書けば予算が下りると言われていました。私は企画書を書くのが得意だったため、大手広告代理店の下請けの下請けくらいで企画書を書いていました。

当時は企業の福利厚生イベントも非常に盛んです。大手スーパーの運動会のディレクターもやっていました。「そこ、大玉出して!」「はけて!」などと声を出すようなかたちです。1回行けば、1日で5万円の報酬でした。土日になると、石神井公園などで行っていたのを覚えています。

morich:非常に順調なように感じます。しかし、飲食業を立ち上げられてから、一度踊り場がやってきて大変な時期があったとYoutubeで拝見しました。

佐藤:それは40歳くらいの時だと思います。実際のところ、業績的にはまったく問題なく安定していましたが、心のあり方で大変だったのです。「何をしたかったのだろうか」と考えていました。

morich:迷いがあったのですか?

佐藤:「上場でもしておけば良いのではないか」というような感覚でした。

morich:当時はそのような時代でしたね。

佐藤:グローバルダイニングが上場して、非常に高い株価がついた頃だったと思いますが、ベンチャーキャピタルなどの勧誘が非常に多くありました。そして、「上場くらいしておけば良いのではないか」という程度は考えており、ベンチャーキャピタルを呼んだところ20社ほど集まったため、「最も私たちのことを理解できる方を選びますね」というような偉そうなことを言っていました。

そこで「どれだけシステム化できるか」「再現性をどうするか」「誰でもできる均一サービスを」という意見を聞いた時、私はまったく違うのだということに気がつきました。某証券会社に「その程度の規模では上場できませんよ」と言われた時は「何だこいつ」と思いましたが、言っていることは正しいのだろうと理解はありました。

上場計画には店舗数の目標があり、そのために人を集めなければなりません。例えば3番手の料理人に、人手がないため「シェフをしろ」と言います。「私にはまだできないから3番手で修行しているのです」と返されても、「チャンスだからやれ」とシェフをやらせました。それでも、やはりできないわけですよ。そこで私は「なんでできないんだ」と言うような感じになっていました。最低の経営者ですよね。

つまりその頃は、規模を追うことで何かを見失っていたんのです。

「バッドロケーション」の哲学

morich:「バッドロケーション戦略」はその頃から採られた戦略なのですか?

佐藤:バッドロケーション戦略はもともと1号店から行っており、アパレル会社に所属していた時も同様でした。私の給料が1年で一気に上がった要因はそこにあります。

同僚たちはみなメインのブティックで働きたいと思っており、裏路地にある倉庫のような残品処分の店舗には誰も行きたがらないのです。そこで新人の私が行かされるわけですね。しかし、私にとってはおもしろかったのです。これほど人通りがない場所で、何かを仕掛けたら絶対におもしろいなと思いました。

その店舗は1日の売上がだいたい平均2万円、3万円だったのですが、私が入れば、一番収益の上がったイベントでは1日で約200万円を売るわけですよ。

福谷:すごい!

佐藤:例えば西麻布でバーを作っても「そうだろうね」と思いますが、聞いたこともない場所に作ったと言えば「何だろう」と思うではないですか。それだけでも、いわゆる振り幅があるわけです。「バッド」というのは、逆に言うと、仕掛けることで「グッド」に変わりますし、当然「バッド」である限りは条件も低コストですよね。

保証金は家賃と連動していますし、1号店にとっては当然、出店ハードルは低ければ低いほど良いですよね。その意味で言うと、世間では「バッド」であっても、自分たちの目から見たらなんとかなる「グッド」な場所を探してきました。それは、30年経った今も同じことなのだと思います。

morich:その戦略は同じ業界からすると「非常識」ですよね。その中でも「ここの場所は」という決め手はあるのでしょうか? 感性、あるいは直感ですか?

佐藤:直感です。「バッドだから良い」というわけではありません。「世間的にバッド」というのは、今までは人が来なかったという過去の物語なのです。しかし、おもしろいものができれば人が来るとしたら、未来はバッドではない可能性があります。したがって、その場所に見える未来の映像、ビジョンのようなものを見出せる場合に限られます。

morich:いろいろな「バッド」から、きちんと見極めていらっしゃるわけですね。

佐藤:バッドロケーション戦略を採るといっても、当然、私にとっては「バッド」ではないわけですから。

福谷:バッドロケーション戦略とは何だろう、ということをずっと考えていました。

morich:お調べする中でも、「バッドロケーション」というキーワードが至るところに出てくるのですよ。そこで、おそらくこれは本当にコアとなる戦略なのだなと思いました。

佐藤:実は、「バッドロケーション」という言葉は私が考えたものではないのですよ。私の後輩の、PR会社ベクトルの西江肇司氏が言ってくれたものです。

morich:西江氏が「後輩」なのですね! そうであれば、その下にはたくさんの人がいらっしゃると思います。

(一同笑)

佐藤:西江氏が「『バッドロケーション・グッドカフェ』というコピーが良いですよ」と言ってくれたのです。やはり西江氏は天才だと思います。

morich:天才! 確かにそう思います。

佐藤:私は西江氏にPRを行ってもらわなかったため「ごめん、仕事は発注しないけれど『バッドロケーション』という言葉を使って良いかな」と言いました。そうすると「もちろんですよ」と快諾してくれました。したがって「バッドロケーション」のRマークは私ではなく、西江氏だと思っています。

そういえば昨日、赤坂周辺をランニングしていたら、カフェテラスで電話している西江氏に偶然会いました(笑)。

食べ物屋の本質は「豊かで楽しく過ごす時間」の提供にある

morich:「単なる飲食業ではなく、空間プロデュースを行っている」というお話も拝見しました。出店後は何を大切に飲食ビジネスを営んでいらっしゃるのでしょうか?

佐藤:明確なのは、「何屋であるか」ということです。私たちが食べ物屋である限り、食べ物を提供するのは当たり前なのですが、それだけでは「食販売」で良いわけです。しかし、私たちの「食べ物屋」はそうではありません。

morich:そのとおりだと思います。

佐藤:例えば結婚披露宴、友達の祝勝会、合格報告、合コンのような男女の出会いの場など、うれしいことや悲しいことを分かち合う時、そのサイドには食べ物や飲み物があります。そこの一番のメインは過ごしてもらう時間ですよね。「食べ物屋」とはそのような事業だと捉えています。

例えば高校生が「10日後にディズニーランドへ行こう」と決めれば、それまでの10日間は楽しみに感じますよね。私はそんな店でありたいと思っています。「過ごす時間が豊かで楽しい」ことを、強烈な情熱をもって感じてもらえるクオリティの店を作りたいと思います。

逆に言うと、わざわざ自分で稼いだお金を持ってきて、時間を過ごしてくださるお客さまが不愉快であったり、楽しくなかったら、私たちは言うならば「詐欺師」ですよね。詐欺師にはなりたくありません。したがって、「絶対に過ごしてもらう時間をすてきにする」という思いは、私たちの心の十字架のようなものだと思います。

まだまだできていないのですよ。ぜんぜん足りていなかったり、がっかりしたりすることがあります。自分の店に行って「なんだこれは」と思い、裏に店長を呼んで「もうこんな店は今日をもって閉めろ」などと言うこともありました。

morich:えぇ!? 映像などを拝見しましたが、私はとてもすてきなお店だと思います。

「1軒のカフェで街は変えられる」という発信をされたり、「飲食は人と街と時間をつなぐ装置だ」ということもおっしゃっていましたよね。

佐藤:今時、ほとんどのものがプレクックや電子レンジで出せますし、コンビニのグルメシリーズもおいしいですよね。

morich:私でも、材料をすべて突っ込めば20分で料理を作れる道具を持っています。

佐藤:そんな時代に、寒い中わざわざ店まで足を運んでくださるのは、そこに「何か」があるからですよね。その「何か」を私たちが見つけ、提供しないのならば、私たちの事業は存在する必要がありません。そう言われないためにも、がんばりたいと思います。

「俺は次へ行く」 飽くなきチャレンジ精神

morich:「丸亀製麺」のように正攻法を多店舗化するのではなく、店舗ごとに違いを出すことにこだわっていらっしゃるのですよね。

佐藤:好き嫌いではないかと思います。私はおそらく、同じことを繰り返すのが不得意なのですよ。

19歳の時、大学に入学して1ヶ月目でおもしろくない学校だと思ったため、「何かやろう」と新たに祭りを作りました。私が作った「七夕祭」という祭りは、今も続いている学校の恒例行事になっているのですよ。

morich:えぇ!? もう40年以上経ちますよね?

佐藤:40年以上ですね。初めはボロクソでした。上級生からは「こいつらは何をやっているんだ」と言われましたし、教授会からも苦言を呈されました。

しかし、何かを作り上げる時の熱情のようなものは、熱に浮かされたようでないとできません。DDホールディングスの松村厚久氏は「熱狂」と言っていますが、熱狂しないとできないのだと思います。

しかし私は、熱狂してクリアしたものを繰り返すことは不得意なのです。したがって、在学当時のサークルの仲間たちには、第1回七夕祭終了後、「あとは頼むな」「俺は次へ行く」と言いました。

1つのことを行い、うまくいったとして、同じことを行うのは尊いですが、私は得意ではありません。そこで次へ行ってしまうのですよね。

morich:それはある意味チャレンジではないですか?

佐藤:チャレンジですね。バルニバービ代表取締役社長の安藤文豪は、私の飽くなきチャレンジング、言うならば切り捨て・やり捨てているものをすべて拾ってくれています。

morich:そのような補完関係があるのですね。

佐藤:私にとって、執行責任者としての彼は大変大きな意味がありますし、やはりそのような人がいないと成立しません。

morich:社員にとっては、マネジメントもマーケティングも変わり続けることになりますよね。常にPDCAを行わなければならない大変さがあると思いますが、社員が離れることはなかったのですか?

佐藤:一度、42歳の時に多くの仲間が離れました。「裏切られた」とエプロンを投げつけられたこともありましたが、私は「そうだよな」と思いました。裏切ったのは俺だよなと思いました。しかし、会社の流れはすでに変わってしまっており、裏切ったことはもう修復できません。

そのようなシステム化を得意としているシェフが出てきて、1ヶ月分のハンバーグを月初めに焼いたりするわけです。そんなものがおいしいわけないではないですか。効率よく回すには仕方がないのだという話を聞いて「えぇ!?」と驚きました。「職人とはそのようなことです」などと言われました。

morich:チャレンジはとても尊いし美しいのですが、上場会社としてしっかり価値を作り続けることは本当に難しいのだなと思いました。

佐藤:私たちの考え方を理解した人間は、実はほぼ辞めないのですよ。理解するのに5年、最低でも10年かかるとしたら、10年を超えた人はほぼ辞めないですね。

morich:拝見した記事には、「儲かるからではなく、意味があるから行う」というお言葉もありました。

佐藤:そう言うと「佐藤は経済合理性を無視している」「お金に興味がない」というように質素な良い人だと思われますが、そんなことはまったくありません。お金はかかるだろうと思っているし、自分なりにコントロールしていますが物欲も十分あります。

お金はどうでもいいわけではなく、人のエネルギーがほとばしる情熱の向こうでしか、なにものかは生まれず、それが生まれない限りお金は集まらないと思っています。やはり人の情熱の中に価値が生まれるわけです。

大谷翔平氏は野球に熱狂しているではないですか。ほとんど野球以外のことをしませんが、その姿に私たちはいつしか飲み込まれていき、彼の成績の良さだけではなく、生き方に対しても共感します。

飲食店でもまったく同じで、いくら「ミシュランガイド」の星を持とうと、お客さまに喜んでもらいたいという情熱がない店は繁盛しません。逆に言うと、繁盛した店は儲かるのですよ。したがって、結果的に儲かることは想定した上で話しているということです。

morich:効率性や数字のためではないということですよね。

佐藤:数字を追いかけたら、数字は裏切りますから。したがって、目指すべきものは数字ではなく理想としています。社会として必要とされる、「あそこへ行ったら楽しい、うれしい、おいしい」お店を目指す結果として、数字はできてくるのではないでしょうか。

お金はパワーであるし、パワーを否定する必要はないと思います。パワーを目的にするのではなく、結果として目的としたものにパワーがついてくるのが、資本主義のいいところだと思っています。

変わる流行、変わらない人間の根幹

morich:飲食業もそうですが、世の中のトレンドはどんどん変わりますよね。

佐藤:変わるでしょうか?

福谷:変わっている部分はあると思います。

佐藤:先日テレビに取材してもらった1号店は、私もこの間行ってきましたが、大変良い店であり、変わらないと思っています。

表層は変わるかもしれませんが、恋愛の物語や古典でも、人のことを思ってドキドキしたり、心配になったり、やきもちを焼いたりということは、実は変わらないですよね。本質は変わりませんが、表層的なものは変わります。例えば今日、私はフレアードのパンツを穿いていますが、これは何十年か前には流行っていたわけですよね。このトレンドが再来したりするでしょう。

したがって、時代の流れを先読みしてどんどん進んでいくということも大切だけれど、反対に、頑なに流されないで貫き続けて、それを良いと思ってくれている人に支持されたら良いのではないかと思います。100人中1人だとしても、日本中で考えると100万人以上になるわけですよね。そのような覚悟はずっと持っています。「今⚪︎⚪︎⚪︎が流行っているからやろう」などと言ったことも、そう思ったことも一度もありません。

morich:感性や直感は、ご自身で磨いていらっしゃるのですか?

佐藤:磨くことを意識したことはないですが、好きなものは変わらないのですよ。今も聴いている音楽は、学生時代に聴いていたものです。「Amazon Music」でリストを作っているのですが、ほとんどが昭和40年代、50年代の曲です。

しかし昨日、「Amazon Music」を利用していると、自動再生で『別の人の彼女になったよ』という曲が流れました。知っていますか? 2018年くらいに発表された「wacci」というバンドの曲なのですが、それを聴いて私は泣きそうになりました。

「こんな曲いらないな」とスキップしようと思ったのに、ふと気になって、もう一度聴いて歌詞を見て「うわぁ!」と感動し、自分のリストに入れました。つまり古いから良いと思っているわけではないのです。好きなものは時代を超えられるから、根幹的なものに対しての私の軸はブレません。

1960年代、70年代の音楽ももちろん大好きです。私は「昭和ナイト」というイベントを行っているのですよ。もう30回くらい開催しているのですが、熱狂が起きます。多い時にはだいたい400人、500人が集まって、最後には全員で『YMCA』を踊るのです。次回は5月15日に東京都港区の日の出埠頭で開催するので、良かったらお越しください。

morich:みんなで行きましょう!

佐藤:前回は1月16日だったのですが、山田邦子氏や藤井フミヤ氏が来て歌ってくれ、松尾貴史氏や清水国明氏もステージで挨拶してくれました。

そのような変わらないものに対して、流行りではないかもしれないけれど、「たまには良いではないですか」という気持ちでイベントを開催しています。

morich:当時のすべてのものというわけではないのですよね。心のひだに引っかかるものを取り上げるということでしょうか?

佐藤:その時に好きだった曲しかかけないです。自分のDNAに組み込まれているくらい、好きか嫌いかはぱっと見た瞬間にわかります。

morich:「前世からご縁があるのかな」と思うような感覚ですよね。

佐藤:そのとおりです。自分の体の中に感性や直感があって、私の場合はそれが事業にもつながっているため、私は自分の店が好きです。ただし、運営するスタッフたちが同じところに辿りつかない場合もありますが、諦めずに続けていきたいと思っています。

収益を上げるためには、収益を求めてはいけない

morich:次の世代にバトンを渡すために、会社をどのようにしていきたいかというお考えはありますか?

佐藤:よく経営者がスタッフに対して「経営者のように考えろ」と言いますが、あれは無理ですよね。経営者のようにがんばったところで、儲けるのは経営者だけではないですか。経営者だけに都合の良いことだと思うため、私はそのようなことを言ったことはありません。「経営者のようにがんばれ」ではなく「経営者になればいいではないか」と思っています。

リアルな数字の話をすると、弊社は100店舗を運営しています。そこに1日1人、余分に人員を入れたとします。1日1人ということは、約2万円かかりますね。100店舗あると200万円です。年間に換算すると約7億円です。弊社の経常利益は7億円弱ですので、1人余分に入れるだけで、経常利益がなくなってしまうわけです。

逆に言えば、1人カットすれば倍になるわけですよね。それはどのようなことかと言うと、まず人件費は、絶対に下げてはいけません。働いてくれる仲間の給料は上がるべきです。しかし、5人で行うところを4人で行うことができたら、その分の利益は出ますよね。利益が増えるのであれば、絶対に給料は上がるべきです。

しかし、それは経営者でないとできないことです。コンビニエンスストアのフランチャイズはよくできていますよね。一番大変な業務は、最も給料が高い経営者が夜中に行います。

福谷:そうですよね。

佐藤:経営者が、本当に好きな仕事をどうやって運営していくかということです。好きな仕事だからこそ稼げていてほしいのです。たまに「一軒家を買いました。自分が飲食業を始めた時はそのようなことができると思っていなかったけれど、この会社に来たおかげです」などと言ってくれる社員がいます。それを聞くとうれしいですし、良かったなと思います。

30年前は「飲食業の人間には娘を嫁がせたくない」などと言われた時代でした。それが立派に子どもを育てたり、その子どもを連れてきてくれたりする時には、良かったと思います。そのためには、絶対に収益を上げないといけないわけです。

先ほども言ったように、収益を上げるためには、収益を求めてはいけません。収益を上げるためには、絶対的に良いものを作っていくことです。良いものを作っていくということに関しては、私は仲間たちに言い続けます。私も小学2年生、3年生の頃から実家のお菓子屋でそうしてきました。

morich:おっしゃるとおりですよね。

佐藤:しかし、まだまだ私もできていません。そのようなこと、簡単にできるはずがないですよ。人間ですので体調が悪い時は不機嫌になったり、熱がある時は味付けの塩加減を間違えたりします。自分にできないことは人に要求できないとは思いますが、それでも諦めません。

次の挑戦は「食から始める地方創生」

morich:まだ実現できていないことはあるのでしょうか?

佐藤:私は「食から始める地方創生」と言っています。日本の未来を考えると、食料不足、天候異変におけるエネルギー問題、格差など明るいことだけではないと思っています。そこで東京一極集中ではないかたちで、移住ではなく2拠点で生活する。その世界でも、どう考えても「食」が絶対にベースになるのですね。食がなくては人は生きられません。近くにレストランがない別荘地は廃れていきます。

morich:そうですね、確かに。

佐藤:湘南がすばらしいのは、素敵なレストランやブティックが山ほどあるからです。それは富裕層の方々が住みたがりますよね。

morich:重要なのは街ですよね。

佐藤:食が持つ力によって変わるのではないかと思っています。先日、東京都港区のマンションが坪単価3,500万円で取引されたそうです。3,500万円で畳2帖ですよ。トイレほどの広さですよ。

(一同笑)

富裕層であればそれで良いのですが、例えば淡路島であれば、月10万円あれば庭付きの一軒家が十分借りられます。そこで庭にサウナ小屋を作ったり、サウナテントを張ったりすることができます。屋根に太陽光パネルを設置して、家庭菜園を作ったら、100パーセントは無理ですがエネルギーを賄えます。絶対に停電にはなりませんし、少しのことでは飢え死にしません。

サウナに入って、子ども用プールに氷を入れて水風呂にすれば良いではないですか。東京都内でそのようなことができるのは大金持ちしかいませんよね。しかし、地方であれば月家賃10万円でできるのです。そのように少しだけ新たな視点や角度の見方をすれば、退屈・卑屈・窮屈の3つの「くつ」は「くつ」がえせると思っています。

(一同笑)

福谷:なるほど、そうですね。

佐藤:私たちはそれを実践しているつもりです。何千万円も持たないとマンションが買えない、平均価格が8,000万円になるといった状況は、訳がわからないですよね。真面目に働いた人が一軒の家も持てない社会が美しいかというと、私は美しいとは思えません。

したがって、そこへの挑戦を食を通して行っていけたら良いなということが、これからできることであり、与えられた力を発揮できることかなと思っています。

morich:それでは、ターゲットとされている地方に、例えばおしゃれなカフェやレストランを作っていくということでしょうか?

佐藤:そのとおりです。今は住宅も作っています。

morich:住宅もなのですね。

佐藤:私は現在64歳ですが、大器晩成型だと思っています。70歳くらいには晩成できるかもしれない。

morich:いやいや、もう十分ではないですか。

(一同笑)

佐藤:私たちが持っている潜在能力は、単に売上がいくらで利益がいくらということではなく、これからの日本にとってどれだけ必要なことを行っているのかということに関しては、自負があります。それがもう少し評価されても良いのではないでしょうか。先ほども、この番組に出たら株価が上がるとおっしゃっていましたからね。

morich:おっしゃるとおりです!

佐藤:私たちがこれから行おうとしていることは確かにハードルも高いですし、資本効率から言うと決して効率的ではないかもしれませんが、じわじわと効いてくるボディーブローのように、この世に役立つことができているかなと思っています。

福谷:お時間がもうそろそろとなりましたが、延長してもいいでしょうか?

(一同笑)

morich:この番組を通じて、オーディエンスや視聴者の方には、ゲストの経営者のファンになっていただきます。ファンになったからには形で示していただこうということで、証券コードを教えていただけますでしょうか?

佐藤:3418です。

福谷:3418ですね。今日もたくさんのことを学ばせていただきました。

morich:地方で素敵な場所は、そこに必ず素敵なカフェや飲食店があるのですよ。立派な別荘が建っているだけでは駄目だというのも、おっしゃるとおりです。

佐藤:料理人を雇っているほどの別荘なら別ですが、そうでなければ、友人を呼んでも自分で料理を作って皿を洗ってと、作業に追われていては楽しめないではないですか。私たちがいればケータリングもできますし、当然「みんなで食事に行こうよ」とお店に行くこともできます。そのようなことを考えた時に、食のないライフスタイルというのは基本的にはあり得ないですよね。

morich:軽井沢があれほど繁栄したのも、同じ理由ですね。

佐藤:そうですね。あるパン屋などは、驚くほど売れていますしね。

morich:そのとおりですよね。これから、日本全国にさまざまな店舗ができていくことが楽しみです。

福谷:お話をうかがって、絶対に変わってはいけないと思いました。さまざまな迷いもあり、流行りもあり、少しブレてしまう時もあると思いますが、やはり流行りは廃れるのですね。

佐藤:表面的なことはどんどん変われば良いのです。しかし軸になるものに関しては、変わってはいけないのではなく、変わらないのではないかなと思います。

morich:先ほどおっしゃったように、やはり好きになったらドキドキしますよね。会いに行きますよね。嫉妬もしますよね。確かにそれは変わらないのだなと思いました。

佐藤:幼稚園の年長から高校1年生まで1人の女の子が好きだったのですが、その方とは今でも普通に仲が良いですからね。

morich:えぇ! 本当ですか。そこも憧れの気持ちが変わらないのですね。

福谷:生きていたら大変ですし、仕事をしていても大変ですよね。

morich:人生のハードシングスが本当に大変でしたね。しかしそれも糧にされていらっしゃいます。

福谷:3418ですね。

morich:はい、3418です(笑)!

福谷:本日は素敵なお話をいただき、本当にありがとうございました。

佐藤:ありがとうございました。

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