◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「交流の裏にあるもの:鄭・習会談に見られる上下関係、制度的非対称性、議題設定の失敗(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。
※この論考は4月13日の<Beyond Engagement: Hierarchy, Institutional Asymmetry, and Agenda-Setting Failure in the Zheng-Xi Meeting>(※2)の翻訳です。
議題設定の失敗
第三の問題は議題設定の失敗だ。研究によれば、小国が非対称な力関係の下で交流する場合に、弱い側の主体が完全に言いなりになるわけではないと考えられている。構造的に厳しい制約下にあっても、選択的な問題設定、ナラティブの方向転換、象徴的なシグナル発信、制度的連携を通じて、主体性を発揮できる可能性がある。弱い側の主体性が物理的な力から生じることは稀であり、議題を生み出すか、方向転換するか、少なくとも簡単には解決できないようにする能力が起点となる。
今回は、会談が実現したとはいえその能力が欠けていたように思われる。
鄭・習会談に先立ち、多くの観測筋はこの会談が概して中国政府が望むシナリオに沿って進むと予想していた。振り返ってみれば、その予想は概ね正しかったようだ。会談は言説を大きく転換させたわけでも、台湾の制度的懸念、互恵の要求、政治的安全保障への不安に関して新たな議題を生み出したわけでもない。会談は行われたが、その意味するところは基本的に従来の枠組みの中にとどまった。
もちろんこの状況の構造的限界は認めるべきだ。中国共産党指導部との厳重に管理された会談では、台湾のいかなる政治主体も言説を主導するのは容易ではない。即興の余地は小さく、象徴的な領域はすでに強者の側に押さえられている。しかしそれゆえに、議題設定はより重要となる。弱い側が力の均衡を変えられないのであれば、少なくとも解釈の均衡に影響を与えようとしなければならない。
今回は実質的にその姿勢が見られなかった。そのため問題は会談が行われたことではなく、台湾側に会談の趣旨を問い直す能力がなかったことにある。その意味で、鄭・習会談は議題設定に失敗した例と見ることができる。対話に失敗したのではなく、対話の舞台設定に失敗したのだ。
経済への影響は限定的
この分析的思考は、発表された台湾優遇策をより現実的な視点で捉える上でも役立つ。デジタルコンテンツ制作、マイクロ企業、若者同士の交流の機会など、会談後に発表された措置は一部のニッチな分野で機会をもたらすかもしれない。しかし、その広範な構造的意義を過大評価すべきではない。
台湾の大企業の経営判断を左右するのは、地政学的な不確実性、サプライチェーンの多角化、規制の予測可能性、米中間の広範な戦略的環境だ。こうした状況下では、わずかなインセンティブが大きな投資転換につながる可能性は低い。そうした政策の実質的な恩恵は、上海市や福建省など特定地域の観光やサービス業といった一部の小規模セクターにとどまるだろう。
だからといって、これらの政策が無意味というわけではない。その意義は経済よりも政治にあると言えるだろう。選択的な開放を打ち出し、差別化された形でのつながりを促し、中国政府が定める条件下で両岸の機会が健在だと見せつけることができる。言い換えれば、その価値は台湾の経済構造を変えることよりも、交流が続いていると演出することにあるのだ。
民主的に選ばれた台湾政府にとっての意味合い
鄭・習会談の長期的な影響は、直近の政策の内容よりも、民主的に選ばれた台湾政府に与える圧力にある。この種の会談を機に、政府が中国との対話チャネルを復活させるべきか、拡大すべきか、あるいは再構築すべきかという問題が提起され、台湾内の議論に影響を与える可能性がある。たとえこうした会談が公式の政策を直接変えることはないとしても、周辺の政治的雰囲気を変えることはある。
だからこそ、今後の動向、特に党が主導する今後の若年層の交流拡大は注視する必要がある。社会的交流自体は珍しいことではなく、短絡的に悪と見なすべきではない。だが制度的文脈は重要だ。もしこうした交流が次第に(公式の国家機関を通さずに、中国政府の党・国家の論理では依然として政治的意義のある)代替的な政治チャネルに形を変えるとすれば、その長期的な影響は単なる人的交流をはるかに超えて広がる可能性がある。
結論
鄭・習会談を、交流の是非を問う問題に単純化すべきではない。より重要なのは、非対称な力関係の下で交流することの政治的意味である。
特筆すべきは次の3つだ。第一に、同じ会談でも台湾と中国では制度的な位置付けが異なるため、両岸の交流は政治的意味合いに差が出ること。第二に、この差は台湾の民主的な政党政治と中国の党・国家体制との制度的非対称性によってさらに強固になること。第三に、こうした状況下で台湾は議題設定能力をまったく発揮できずにおり、鄭・習会談ではその限界がもたらす帰結が浮き彫りになったこと。
台湾にとって、問題は交流を美化することでも完全に拒絶することでもない。より困難ではあるが、制度的主体性、議題設定能力、民主的説明責任を犠牲にしない形で交流することだ。このバランスを維持するのは容易ではない。しかし、交流を新たな非対称性として積み重ねるのではなく、戦略的手段として維持するのであれば、このバランスを守ることを台湾は学ばなければならない。
中国国民党の鄭麗文主席と中国共産党の習近平総書記が会談(写真:新華社/アフロ)
(※1)https://grici.or.jp/
(※2)https://grici.or.jp/7280